「優しい気持ちを」 まち

12月10日

 今日も午後にバンドの練習をしました。主にさきちゃんがコーラスのハモり部分を考えてくれて、それに沿って練習をしていきます。さきちゃんはパソコンで原曲を聴きながらピアニカでハモり部分を決めていくのですが、綺麗なコーラスを即席で作ってしまうさきちゃんがすごいと思いました。さきちゃんはいつも自然体で、楽観的だと思います。一緒にいてとても居心地が良いし、きっと他の人も同じように感じているんだろうな、と思います。きっと、さきちゃんの行動や言動に欲が含まれていないから、そう感じるのだと思います。ただ純粋に今を楽しんでいるから、それが周りにも伝わって、軽やかで優しい空気がまとっているのだと思いました。
 
 気持ちができていないほど、人に自分のやり方を強要してしまいがちだと私は思っています。私がそうだったからです。自分がこうじゃなきゃいけない! と思ったことは、人にそうしてもらわないと自分を通せない気がして、自分を肯定された気持ちにならないからです。気持ちが落ち着いてきて、視野が広くなり、人を受け入れられてくると、よっぽど、命に関わったり大きな欠落に陥ること以外なら、本質を見て、相手に添うことができると思います。自分が思ったことがたとえ採用されなかったとしても、自分を否定された気持ちには一切ならず、みんなで良い物を作っていく過程とか、そもそもみんなで集まれることが楽しくて、そのひとときをただ楽しむことができるのだと思いました。

 クリスマス会の『Bird Set Free』は、コーラスも変わっていって、何回か合わせもできて、どんどん良くなっていくのがとても楽しいです。この曲でYoutubeで流れている映像で、女の人がソロで踊っているものがあるのですが、是非そのダンスをなるちゃんに踊って欲しいなあ、そうなると見応えがあるものになりそうだなあ、と思っていて、また変化していくのがとても楽しみです。私はコーラスで、いつもはアルトだけど、今回はソプラノを歌っています。最初はソプラノを歌うつもりはなくて、主旋律だったり、アルトを歌おう、となっていたのですが、メンバーの構成の都合上ソプラノをやらせてもらうことになりました。いざ歌ってみると、高い音なので、主旋律の音をもっと響かせる役目があることを知って、自分がその重要な役割を担っていると思うと、歌っていてとても気持ちがよく、気持ちも入ってくるものだと思いました。高音だから響かせたいから音量はしっかり出していいよ、とさきちゃんが言ってくれたので、気持ちを込めて、周りの音も聞きながら、しっかり歌っていきたいと思います。

 今日はシルフィードのハウスミーティングがなくて残念でした。先週も、シルフィードはお休みでした。愚痴じゃないです。でも、お父さんの話を聞きたいと思いました。心なしか、シルフィードのメンバーの顔が残念がっているように感じます。愚痴でないです。お父さんに聞きたいことたくさんあったな、と思いました。愚痴じゃないです。私の週に一度の楽しみなのに、と思いました。愚痴ではないです。拗ねているだけです。冗談です。

 たまに、こんなふうに、質問したいときに都合がつかなくて質問ができなかったりすると、前にやすよちゃんが言ってくれた言葉を思い出します。質問を熟成する期間ってあるんだよ、とやすよちゃんは言ってくれました。一番良いタイミングで、質問ができるものなんだと思いました。確かに、なのはなで生活していると、成長がとても早くて、今は聞きたくてしょうがない質問でも、一週間後にその質問を考えてみると、気が付いたら自分の中で腑に落ちていて、今は質問しなくてよかったな、と思ったりとか、自分の質問の内容がとても幼稚に感じたりします。そういうものだから、今は次のハウスミーティングまで、自分の成長を楽しみたいと思いました。

 今日の夕方に、リビングのパソコンでYouTubeを見ていたら、隣のパソコンであやかちゃんとまりなちゃんがなのはなのホームページを見ていて、誰かの日記を読んでいるようでした。あ、日記読んでるな、と思って、ぼんやりと私も眺めていたら、なんかまあ優しいこと書いている、と思って、でもどこかで聞いたことある内容だな、と思っていたら、それはよく見たら私の日記で、ええ、と思いました。客観的に初めて自分の日記を感じました。それを見て、自分はそのままでいいんじゃないか、と思いました。思っていないことは日記に書けないし、まあ、それでいいんじゃないかと思えました。

 自分の心を綺麗だとも思わないし、いいとも思わないけれど、別に自分をいじくりまわして、無理に自分を高みに置こうとしたり、それに届かない自分に対して自己否定する必要もないんじゃないか、と、自分の日記を客観的に読んで思いました。無理に力み過ぎたりする必要もないのでは、と。もちろん、未熟で迷惑を掛けることもあるだろう。でも、適切な感謝の気持ちと優しい気持ちを当たり前に出していれば、それは許される範囲のものではないだろうか。むしろ力みすぎると「我、ここに有り!」精神むき出しになって面倒臭くてうっとうしい奴になるだろう。なんか、そう思いました。

 自分を肯定することは人を受け入れることにもつながると思います。私はずっと、自己否定の塊だったから、人から優しくされたり、温かくされても、絶対何か裏がある、こんな私を好きなはずがないんだから、と思って、疑心暗鬼になっていました。でも、まあ、あんな日記を優しく書ける自分はまあ、普通だろう。だから、当たり前にみんなは優しくしてくれるのだろうと思いました。そうなると、みんなが優しかったり、温かいのも、普通に受け入れることができて、自分の心に余裕が広がっていくのを感じました。

 自分にいいものがあると気付いて、それを周りも肯定してくれていると感じたら、その良い部分を、もっと人のために、笑顔で使っていきたいと思いました。そこに力みはいらない。ただ純粋に、みんなの温かさの中で、温かい気持ちで、自分を使える喜びを噛みしめて生きていけばいい。もっと開放的になればいい。優しい気持ちで、自分の良い部分を人のために使っていく。こうして、自分を肯定しながら、人との間で、自分の優しい気持ちを使えることに喜びを感じることで、摂食障害は回復していくんじゃないか、と思いました。

 優しく、穏やかな気持ちで、毎日温かく過ごしていきたいです。みんなと過ごせる毎日そのものが、幸せなのだと思います。いつも、そうして生きていきたいです。いつも優しい気持ちで生きていけますように。みんなと一緒に、どんどん良くなっていけますように。明日も良い日になりますように。読んで頂いてありがとうございました。