「人生を楽しむ」 まち

11月27日(金)

 今日の集合の話が心に残りました。質問者の人は、安心して人と話せるにはもっと時間が掛かるのですか、と聞いていて、私も、人と話すときに自分が傷付けられないか、とか、自分が人を傷付けないかとかにものすごく神経を遣うときがあるし、安心して話すことはない、と思っていました。これは私の心ができていないからかな…と不安だったときもあるけれど、お父さんが、お父さんも安心できないよ、と話してくださって、私は安心しました。
 同じ日本語でも、人によって捉え方は人それぞれだし、イメージも人それぞれだし、まるで違う言語を話しているようだ。もう、そういうものなのだと思うことができると、ふっと楽になりました。
 いい意味で、あきらめ。そういうものだという諦め。私も、人の何気ない言葉で傷つくことがある、でも、相手は決してそういうつもりがないときもある。そして、私も、そのつもりがなくても、ひっそりと人を傷付けてしまうことがあるのだろう。それは、どうしようもないことだ。けれど、人から何気ない言葉を掛けられて、ものすごく元気をもらうこともあるし、私が言ったことで、人を癒したりすることができるのかもしれない。よくも悪くも、言葉とは、コミュニケーションとは、そういうものだ。
 だから、人からの優しい言葉を感謝して受け止めて、私も優しい気持ちで人に話していきたい。言葉の魔法を楽しむ。同じ日本語でも、そういうことがある関係を楽しむ。そんな気持ちで生きていきたいと思いました。
  最近、悩み事や苦しいことがあると、それは自分の気持ちができていないのではなく、人生とはそういうもので、それを楽しむ余裕を持つことが必要なのでは、と思うようになりました。生きている限り、人と接している限り、ときどき不安になったり、心がささくれ立つことがあるのは普通で、でもそれに注目して不安に囚われるのではなく、それでも、人との関わりの中で感じられる喜びとか幸せを噛みしめて、ちょっとした不安なことは人生のスパイスとして受け止めて、何事も楽しむスタンスが必要なのかも、と思いました。
 一生懸命生きている限り、完全にストレスをなくすことはできないだろう、でも、それを楽しむ。自分の人生を楽しむ。自分の命を、気質を、繊細さを楽しむ。繊細がゆえに自分ができること、普通の人では出来ないことで、人を楽しませたり、幸せにできることを求めて、それに向かって生きていく。それでありたいと思いました。