「人に伝えながら、何度も」 のん

11月7日

○午前中
 毎日6年生教室の同じ場所で勉強していると、気持ちが慣れて来てしまって、緩んできているのを感じて、どこか人のいる別の場所でやりたい、と思った時、村田先生がちょうど来てくださっている、私の勉強の始まりの場所、5年生教室が浮かびました。テストだったらやめておこうと思ったのですが、ちょうど自習だったので、後列の端に机を持って来てそこでさせてもらいました。

 先生の雑談もちゃっかり聞かせていただいて、勉強に入りました。8期生の緊張感や集中している空気に自分が溶けていく感じがしました。1人だとテキストに入り込むまでに時間がかかる感じがするのですが、みんなの空気があると、すぐに頭が相続税の言葉に浸かっていく、と思いました。

 6年生教室にはなおちゃんとなっちゃんがいて、30分おきに行って、なおちゃんと一緒になっちゃんの訓練をさせてもらいました。もしかしてなおちゃんとやるのは初めてかもしれない、と思いました。

 なおちゃんはかなり久しぶりの訓練だったはずで、微妙に使うものとかやり方が変わっている部分があったはずなのですが、なおちゃんの動きはそんなことを感じさせない、自然で、的確で、優しい動きでした。なおちゃんは、どうしたらいいかと困ることも、手が空くことも、なにかしなくちゃと焦ることもなく、普通に話をしながら、ただただなっちゃんの動きに寄り添って動いていました。その時間、その空間は、なんだかすごく安心できるものでした。

 自分もそうだったけれど、他の人を見ていても、訓練のサポートは慣れていないと、何をしたらいいのか、どうしたらいいのか困ったり、焦ったり、効率よくできていなかったり、的確に出来ていないことに申し訳なさを感じたりしてしまっている、と思っていました。慣れてきたら慣れてきたで、慣れていない人が来てくれたときに、今ここを助けて欲しい、ということをどう伝えたものかと困る時がありました。

 なおちゃんはそれが一切ない、と思いました。利他心ってこういうことか、と思いました。効率よくやらなくちゃ、うまくサポートしなくちゃ、という気持ちは、効率よく上手く出来ない自分や他人を下に思う気持ちとセットだった、と思いました。なおちゃんにはそれが全くなかった。そればかりか、私の心からも、そのときには競争心的なものがなくなっていました。穏やかで、優しい時間が、そこにはありました。魔法にかけられたみたいな、不思議な時間でした。やっぱりなおちゃんはすごい、と思いました。一緒にいるだけで利他心に巻き込むことができる力が、本当にすごいと思いました。そんなことができるんだ、と思いました。優しい生き方、競争じゃない生き方は、こんな風に伝わることができるんだ、と思いました。大きな大きな希望をもらいました。

○お昼の集合
 お昼の集合で、お父さんが、なのはなの表現は、どこまでもこれからの時代の価値観や生き方をつくっていく、こう生きていく、という気持ちを作るため、伝えるための手段であるというお話と、ある卒業生の話をしてくださいました。

 何年も前に卒業して、症状を出すこともなく生活していたある卒業生が、こんな連絡をくれた。最近、症状というわけではないけれど、体形が少し気になったり、あまり食べない方がいい気がしてしまったりする、なぜでしょうか。お父さんは、それは不安だからだ、と答えた。会社に合わせて、仕事を覚えて、こなして、そして慣れてきた。でも、自分のどう生きるか、というプランや目標がなくて、会社に合わせることはできても、これからどうしたらいいのか分からなくて、無意識に漠然と不安を感じてしまったのだ、と。

 それがすごく腑に落ちました。高校生のとき、大学のその先の自分の将来が分からなくて、ひどい症状が出たこと。なのはなに来て時間が経ち、復学するかとなったとき、復学しても何をするのか決まってないことが不安で、症状を出さずにいられる自信がなかったこと。何になるのか何を目指すのか、こうするんだ、という気持ちが湧き出ては薄れてしまうこと。何かやることが詰まっていれば気にしないでいられるけれど、少しでも余裕ができると考えられずにはいられない、何のために勉強するのか、私は何をしたいのか。そうして不安になっていたんだと。

 決められたことはできるけれど、決められていないことを自分で決めることができなくなっていました。そんな自分の気持ちを、表現していくなかで固めていくんだ、と思いました。なおちゃんと訓練をさせてもらって、優しさ、優しい生き方は接するだけで伝えることができるんだと思ったら、私もそうやって生きてみたいと思いました。書くことで、踊ることで、歌うことで、人に伝えながら、何度も何度も、揺らぎやすい自分に、言い聞かせるしかないのだと思いました。

 

11月8日

○2010年コンサート
 午後のはじめに2010年のコンサートの第1部を聴かせていただきました。気持ちを綴った作文の朗読があって、そこから歌が1曲入る構成になっていました。

 10年も前のなのはなにいた先輩たちの苦しみは、悲しさは、生きにくさは、絶望は、そして希望は、10年経った今の自分となにも変わりませんでした。こんなにも、こんなにもなのはなの気持ちは、変わらない普遍的なものなんだ、と思いました。

 久しぶりにぼろぼろ泣きました。1列目の真ん中辺りにいたので、顔を上げると、今回の音楽祭のテーマの紙が真正面に見えました。傷、癒し、生きる理由。それらが胸に迫って、問いかけてくるように感じました。

 お父さんやお母さんのお話を聞かせていただいて、もっとそれらに対する理解を深めて、甘えをなくして、伝えられるように、表現できるようになっていきたいと思いました。

 あと、依存はストレスの逃がし先で、理性でコントロールできないものであることのお話も改めて聞かせてもらって、ストレスがあってもいい、それを逃がさずに解決できるようになればいいのだということが、また1段階自分に落ちてきたように感じました。

 3月の音楽祭、1月のミーティングに向けて、毎日を意味あるように過ごしていきたいと思いました。