「気持ちでステージを作る」 ゆい

11月8日

 午後に、3月に予定しているなのはなの音楽祭のテーマの発表と、10年前のコンサートの録音を聞く会がありました。
 なぜ、私たちが演奏をするのか、そのことを改めて感じることができました。
 
 卒業生のみんなの言葉、演奏、歌を聴くと、涙が止まりませんでした。みんなの心が、音になって響いてきました。お父さんお母さんが、みんなをどういう方向へ導こうとしているか、はっきり感じられました。お父さんお母さんが、ときに私たちを叱るのも、全て、そこに繋がるためだと思いました。治る意味をはっきり自覚し、二度と崩れずに、意味のある人生を進むため、コンサートをしてきたのだと思いました。
 誰も傷つかない優しい世の中にしていくため、自分の微力でも精一杯尽くす。私にも、役割りがある。その役割りを果たすために生かされていると思いました。

 演奏をするとき、お父さんお母さんは、気持ちを出してと、いつも言います。
 演奏をしながら、自分はこうして生きて行くと決意を表し、気持ちを固めていくことができるからです。人に、伝えることができるからです。そしてさらには、その気持ち、自分たちの考えを受け取ったお客さんから後押ししてもらえれば生きる勇気になります。
 
 お父さんが、3月は、自分のためにやるのではないと話してくださいました。誰かに伝えるため。自分の生きる希望が、誰かの希望になるため。意味があり、そして、他にないもの、なのはならしいことをやりたいと。
 1月には、ミーティングも始まると教えてもらいました。自分の傷に向かい合い、言い当て、理解することで、自分の癒しになり、それは誰かの癒しにも繋がります。自分が生きる理由が、誰かの希望になると、お父さんが話してくれました。

 自分が苦しかったことにちゃんと向き合い、言葉にして伝えることができたら、甘えもなくし、ストレスがあっても、逃げずに理性でコントロールできるようになるものなのだと教えてもらいました。
 曖昧な、分からない部分、未解決がなくなるということだと思いました。正しく助けを求めることができて、困らないで解決できるということです。もやのかかった苦しみで依存に逃げるということがないと思いました。

 自分が、傷に向き合うなら、それは自分だけのためではない。誰かにつながるものだ、そう思うと、勇気が湧いてくると思いました。
 自分には、やるべきことがあります。生まれてきた意味があった、そう思ってこれから生きて行けることに、心の底から、何か、強いエネルギーが芽生えてくるのを感じました。
 だから二度と、もとの枠組には入らない。そこで自分を守ることなんてしない。私は戦うけど、私は一人じゃない、と思いました。
 今日、聞いた中に、お母さんの歌声も、あゆちゃんの歌声も、卒業生のあすかちゃん、まこちゃんの歌声もありました。私は、同じ志で生きる仲間がいてくれて、私は一人じゃないんだ、と思いました。私は、絶対、堂々と立って生きるぞ、と思いました。
 お母さんの言葉を思い出しました。「ゆい、お母さんなら、自分が捨て石になってもいいぞ」と。お母さんの歌声の強さに、胸を打たれて、涙が止まらなくなりました。
 
 今度、音楽祭で演奏をするとき、私は、ひよひよした自分を強くするため、決意をもっともっと確かにして揺らがない芯をつくるため、演奏していくのだと思いました。微々たるものでも、自分の役割りを尽くすために、全力で演奏するのだと思いました。
 私は、この世の中で、苦しかった。本当は、みんな大なり小なり苦しいと思います。
 勝ちなんて、本当はなかった。みんなが優しい気持ちを寄せ合って、お互いを大事にしながら生きて行けるように、そういう方向へ舵をきるため、自分は摂食障害になったと思います。もう逃げないし、今からでも、精一杯いきなくちゃいけないし、私はどれだけ小さくても、誇りをもって生きるのだと思いました。
 私は、なのはなの気持ちでステージを作るアーティストです。

 

 夕方には、初めてヒノキの皮むきの作業をしました。自分はとてもセンスがあるのじゃないかと錯覚するほど、自分があたった木が3本とも、よく皮が剥けました。お母さんがきてくださって、「よく剥けているなぁ」と笑ってみてくださいました。まえちゃんは、大木に取りかかっていました。結構、力が要ります。体勢的には腰もちょっとだけ疲れるけれど、すごく楽しい作業でした。うまく、広い範囲が剥けると、最高です。皮が剥がれて現れた、白っぽい肌が、とても滑らかで美しいです。皮になたの刃を入れたときの、パリパリッとした感触も良いです。明日もこの作業に入れるようなので、職人になって短時間で仕上げてみたいです。