「この木にとって」 ゆい

10月31日

 今朝、きゅうりの収穫に行きました。昨日リン酸をやりましたが、花のつきかたの反応は今ひとつです。もう朝夕が冷え込み、夏場のようにはいきませんが、それでもまだまだ良い実をつけているので、ありがたい気持ちになります。

 さて、今日は午前中に小豆の収穫を大人数で行い、午後はあんなちゃんに教えてもらいながら、何人かのメンバ-で梅の木の剪定を行いました。あんなちゃんが、梅の木を実際に剪定しながら、その根拠を教えてくれました。考えるべきことはたくさんあります。
 日当たりをよくする、風通しをよくする。そのために交差枝、内向の枝を落とすこと。強くしたい枝は、強めに剪定することで勢いをつけること。これから出てくる枝の方向を、畑の斜面などの位置関係からも考慮して剪定していくこと。花芽が多くついていれば、あえて今、剪定をせず、実をならせてから剪定するという選択もあること。

 時間の経過も考慮しなくてはなりません。3年生の木を剪定するとき、車枝というそうですが、同じ場所から3本の枝が出ているところがありました。どれを主枝にするか決めるとき、あんなちゃんが「(これを切って主枝にすることに対し)まだ間に合うかな……」と少し考えていました。あんなちゃんは、将来どうなっていくのか、今、この木にとってそれは良いのかなど、色々な条件を総合的に考えているのだと思いました。
 剪定とは、とてもクリエイティブな仕事で、そういう面白さがあると思いました。老木については、骨格をつくるという剪定でなく、どう維持し、実をつけていくか。若い木には、これからの骨格をつくっていく。実がつくよう、木が健やかに良い状態になるよう、木の将来を考えながら剪定をするのは、木の未来を作るということだと思いました。

 桃の木は、もっと難しいところがあると思いますが、あんなちゃんは、こうして、桃の木の未来を見据えながら剪定をしてきたのだと思いました。考える姿。迷いのない姿。木を労ることも、実をたくさんとることも、あんなちゃんの横顔から溢れるように感じました。
 自分はこう切ろうと思う、というプランをあんなちゃんに確認すると、あんなちゃんが「いいと思う」と言ってくれ、答え合わせみたいでそれもすごく嬉しかったです。
 
 木を剪定していくと、どういう理由でこの枝を残したか、というのを覚えておかなくてはなりません。マイ梅の木、みたいにして、作って行く楽しみもあるかも、という話をしていたのですが、「our梅の木」と題して、チームで特定の梅の木を見ていくのも面白いかもしれません。誰か卒業しても、次の人に伝え、一緒に作っていく。将来につないでいく。この木は、○○チームが代々受け継ぎながら育てています、というようなのもちょっと、面白そうだと思いました。

 日記を書くことが、今の自分の人生を書きとめ、自分を作ることになると思って書いています。自分がずれていかないよう、修正することにもなります。
 今、自分の人生です。幸せのその日暮らしをできるようになるため、私は日記を通して自分を作ろうと思うのです。私は、どこかに行かなければならない焦り、不安を持つ必要はない。私は、今、大事に過ごしながら、一緒にいる人と関係を取りながら、気持ちを通わせることで幸せになってよい。それでよい。
 だから、私は、それを確かなものにするため、日記の力を借ります。なのはなで、私は、幸せのその日暮らしを実践して、自分を作って、そして、優しさを広げられるように強くなって、自立をします。