「社会性と常識」 のん

10月1日

○朝食当番
 木曜朝食当番の配膳は、いつもはちさとちゃんがリーダーをしてくれているのですが、今日はあゆちゃんが代わりで来てくれて、あゆちゃんリーダーのもと、やらせてもらいました。食堂にいるメンバーはあゆちゃんとまなかちゃんと私で、まりこちゃんが魚を焼いてくれていて、まちちゃんとなおとさんで味噌汁や午前の作業のジャグを用意してくれていました。

 あゆちゃんリーダーの配膳は穏やかでスムーズでした。副菜をつけてプレートを配る時間をあゆちゃんが決めてくれて、それまでに副菜を盛りつけていきました。プレートを配っていたとき、数が合わなくなって、私は慌ててしまったのですが、あゆちゃんは落ち着いていて、すぐに席に並べられた名前の札と席のボードの名前が合っていないことが分かって解決しました。

 プレートを配り終えたらすぐにご飯つぎに入るかと思ったら、先に洗い物、という指示が来て、驚きました。洗い物は手が余るときにやるものだと思っていたので、ご飯つぎがあるならそれをまず終わらせるものだ、と思っていました。でも、あゆちゃんは、味噌汁を朝食時間ギリギリに注ぐように、ご飯も温かく出せるように必要最低限の時間でやる、と決めて最後に回しているのだと思いました。

 最後にバタバタするんじゃないか、と不安に思って、やれることは早いうちにやってしまおう、と思ってしまうのですが、あゆちゃんからはそんな不安は感じなくて、これはこのくらいの時間でやるもの、必ず終わるはず、という意思があって、落ち着いていました。一緒にやらせてもらっていて、すごく安心感がありました。

 最後15分くらいで一緒にご飯つぎをさせてもらって、あゆちゃんの意識に引っ張ってもらって、ほとんど1発か2発で決まっている量を盛ることができました。こういう意識でいつもやらないといけない、と思いました。

 自分にはなかった気持ちや時間の使い方を見させてもらって、そんな風にやったらいいのか、と思って、ミニカルチャーショックを受けたような、ふわふわしたような不思議な心地がしました。


○ハウスミーティング
 ハウスミーティングではすごく心と耳が痛かったけれど、大事なことをたくさん教えていただきました。法律は利他心の最高形だということの意味。法律は優しい人、利他心のある人は不利益を被らないようになっている。悪い人だけが制限を加えられるようになっている。

 最近相続税法を勉強しているなかで、ずるい人が考えた抜け道を塞ぐように法が改正されている、というのを知るたびに、よくそんなこと考えたな、とある種感心する気持ちと、そんなことをする人がいるのか、そんな人がいなければこんな法はいらないはずなのに、というちょっと悲しい気持ちになっていました。でも、お父さんのお話を聞かせてもらって、そんな人もいるという前提で、「善意の人を守る」ということに焦点を当てた視点で法律を見たら良いんだ、と思えました。

 それから、役者で演技をすることが恥ずかしいのはどうしたら恥ずかしくなるのか、という私の質問に、役者は観客に気持ちを伝えなくちゃいけない、それを恥ずかしがっていたら何も伝わらない、仕事でも生活でも同じで、税理士はお客さんと税務署の人と一緒に正しいこと、真理を追求しなくちゃいけない、恥ずかしがって殻を被っていたらいけない、と答えてくださいました。お父さんが物書きになったばかりのころのインタビューで、年配の企業のトップの人とものすごく話があって、共感したときのことを話してくださいました。

 それらの話を聞かせていただいて、私は中学のときから、気持ちを伝える、とか、人と共感する、というアンテナをへし折った(折られたのか自分で折ったのか分からないけれど)と思いました。

 きっと馬鹿にされる、きっと誰ともわかり合えない。心の底にずっとそんな思いがあったかもしれない、と思いました。中学に入学してからしゃべれなくなりました。クラスメイトや部活の友達との登下校で話が出てこなくて、沈黙の空気に困るようになりました。

ちょっと話が逸れるかもしれないけれど、前に本の好きな人の話をハウスミーティングでしたときに、愛するというのは、理解し理解することだから、好きな人というのは共感できる人、だから似ている人、とお父さんが話してくださいました。思えば私が本や漫画の登場人物で好きになるのはみんな堅物で、言葉数が少なくて、愛想が悪い…くなってしまった人のような気がします。好きな人が自分の鏡だとしたら、自分の状態がすごく分かりやすい、と思いました。

 馬鹿にされることを怖がらない、笑われることを怖がらない、みんながみんなあのクラスメイトたちと同じではないのだと思うようにします。自分の気持ちを受けとってくれる人がいることを信じるように心がけます。伝えたいことを意識して持つようにします。


 あと、私達には常識がない、社会性がない、ということについての話もしてくださいました。常識がない、というのは、「これはこのくらいの丁寧さ、慎重さで扱うものだ」とか、「これはこのくらい重要に考えるべきだ」とか、「この仕事はこのくらいの質と量でやるものだ」とか、「このくらいの力でボールを打ったらこのくらい飛ぶだろう」とか、そういう感覚がない、間違っているということなのだと思いました。

 それを聞いてまず思い出すのが、大学に入って情報かなにかの授業でパソコンのを扱う授業があったのですが、ポスターを作ってみよう、という回があって、飲酒運転防止なんかのポスターだったのですが、みんなが普通に作り始めても、私は何が正解か分からなくて周りをきょろきょろしているばかりでできませんでした。「こんなもんだろう」というものが自分のなかになくて、困り果てました。あの絶望感は忘れられません。1人暮らしやバイト、車の免許を取っていく友達を見て、自分には出来る気がしないと思ったのは、まさに常識や社会性がないからだと思いました。

 バレーでボールの動きを予測するのも全部社会性が関係していて、野菜の手入れで病気や虫の影響を予測するにも常識が関係していて、本当になのはなの活動は全部社会性や常識を鍛えるためのものなのだと今更ながら思いました。それなら全部無駄にしたくない、と思いました。気持ちを入れ直して頑張ります。