「鮮やかに、色濃く生きます」 なお

9月29日

○鮮やかに、色濃く生きます

 日曜日の朝。ゆいちゃんの子供たちに会いに行きました。下町川の地這いきゅうりの元へ。畑の新しいBチームの一員になって、初めての作業の日です。きゅうりのことは、ゆいちゃんの日記でいつも読んでいました。ゆいちゃんが、畑の担当作物のことを、我が子としていつも様子を伝えてくれる日記を、私はとても楽しみに読んでいます。これまで、夏に数回、地這いきゅうりの手入れの作業に行ったことがあるのですが、この日は初めての収穫と、液肥入りの水やりをしました。

「おはようございます。ゆいちゃんの姉妹の、なおです」
 ゆいちゃんの子供、ということで、私は親戚のおばちゃん(いや、お姉さんで!)のような挨拶をしました。そして、いやいや、これからはたまーにやってくる親戚ではなく、ゆいちゃんと同じく、第2第3の母でありたい、という気持ちになりました。水やりをしていると、お天気雨がぱらついてきます。しかし、雨には肥料は含まれていません。雨が降っても、この日の水やりのかわりにはならないね、とやすちゃんと話しました。
 
 さきちゃんリーダーのBチームに入れて、光栄です。さきちゃんのピーマン愛を日々感じていたので、作物を愛して、さきちゃんがチームのテーマにしてくれた「誰かのための野菜作り」を私もみんなとしていきいます。仕事を始めてからのどこか半身の畑作業では恥ずかしく、私も自分の野菜という、私の大切な一部、私の人生の一部としての畑作業をします。できないところに、あぐらをかかないで、成長をしていきます。きっと、それは私の人生を豊かにしてくれます。本気になればなるほど、私は生きることを楽しめます。
 

 自分の人生をよく生きるためには、日々の生活を自分のこととして、自分の人生として責任を果たして生きること。真面目な人、正義がある人が、くじかれてしまう世の中であってはいけない。いまなのはなの生活の中で、無責任に他人事で流して生きてしまったら、自分が心ある人をダメにする人間になってしまう。私たちは、そういう風に生きたら、また苦しくなってしまう。本当に真面目に、正義と利他心を持って、責任ある生き方をしたら、絶対に苦しくならない。良い生き方をできているかどうかは、自分自身が一番よくわかる。だから、本気で毎日過ごします。

 この日は、ゼウスチームのハウスMTの日でもありました。
 今日は、なんというか、衝撃が走ったとでも言いましょうか。久々のこの感覚。お父さんとお母さんの直球の言葉が、ど真ん中にズバッと収まりました。私は人生たるもの、自分がどう生きなければいけないか、わかっていなかったんだ! 清々しいまでに、いまの自分が裸になった感覚。きっと、お父さんとお母さんは、私にその言葉を伝えるタイミングをずっと考えてくれていたのだと思います。今なら届く、いま届けて変わって欲しい、という期待、わたしを信じる気持ちがあるから、ずばっとストレートを投げてくれたのだと思っています。

 人生は、アート。アート性がなければ、人生ではない。
 お父さんは言いました。私には、そのアート性がないのです。お話を聞いて思いました。私は、見ていて感動のない絵のような生き方なのだと。
 
「なおは、全てイーブンなんだ。すべての人、全てのものごとを同じくらい大切にして、全力を傾けて、正確にやりたい、正しく評価したいと、省略ということをしない。そういうのはつまらないよ。自己犠牲で、時間をかけて、誠実にやることが善ではない。誠実であればすべて許されると思ったら、それは大間違い。許されないよ」

 ああ、そうかそうだったんだ。なんだか泣きそうになりました。もちろん、人として誠実であること、全力でものごとに向かうこと、それは大前提です。でも、私の誠実さは、それだけを印籠のようにして、誠実であれば、すべてを同じくらい大事にすれば、間違いはないという、誰にも攻撃されないための自分を守る手段としての誠実さだったのです。


 カシニョールの絵を見ました。魅力的だと感じました。お父さんは、はっきり言って、デッサンは狂っているんだよ、と言いました。でも、いい絵なのです。
 思いました。すべてを大事にする私の誠実さは、寸分の狂いもなくデッサンをして、色をのせていく絵のようなものです。人を感動させるのは、そういう小手先のことではありません。光と影があり、静と動があり、鮮やかな色合いがあり、美しいと感じてそれを表現したい想いがあること。デッサンが多少狂っていようが、そういう鮮やかで美しい表現の前には、なんの欠点にもならないのです。

 同じくらいすべて大切と言うことは、本当ななにも大切にしていないのかもしれないと思いました。いまこの瞬間、誰を、何を一番大事に想い、時間と心を使って向き合っていくのか、それを決断して行動しなければ、結局すべてイーブンでは、誰の心にも本気では向かえません。省略していいことにも、100%のエネルギーを注いでいたら、本当に大事にして全力で向かわなければいけない人や物事に対したとき、それができるエネルギーが残っていません。それは良い人生なのか、それは自分の役割を果たす生き方なのか、それは本当に誠実なのか? 答えはNOです。
 
 テーマを誠実さや、全力というのは、いまの私のテーマたり得ません。それは、基本で、もう根底にあるものです。これからは、日々自分の心を動かす、これは好き、これは嫌い、これをしたいという意欲、これが一番大事なのだと思って鮮やかに色をつけて、毎日過ごしていきます。

 私は、芸術性ある人生を生きます。日々の生活に、光と影をつけて生きます。アンバランスでかまいません。ここが、今日の私のハイライト、今日一番私の心を使う場面。私が一番大事にしたいこと。そのメリハリを怖がらず、勇気を持ってつけます。時と場所と時間が違えば答えは違うこと、そして利他心。それがあればなにも怖くない、例え間違ったとしても、なにも怖くない。とお母さんは言いました。なのはなで教えてもらう、一番大事なクレド(行動規範)をキャンバスにして、鮮やかな色を、光と影を、美しく興味深い日々を、自分自身の心を動かして描いていきます。

 ふと思ったこと。お父さんが10代のあるときからころやけくそになってから、殻を破って人生が変わったんだと話してくれたことを思い出しました。それもまた、この話に通じるように感じます。40代の私にもできるはずです。ほんのちょっとしたことなのですが、夜バレーをそういう気持ちでプレーしてみました。まだまだ、良い意味での“やけくそ感”に振り切れてなかったのですが、それでも、自分が上手い下手とか、チームの足を引っ張るとか、といういうどうでもいい雑念がなくすごく面白かったです。お父さんが、明らかに穴の私を狙ってるな、1球でも2球でも拾って、お父さんを悔しがらせてやろうじゃないか、と思いました。ミスもしたし、相変わらずりゅうさん、しほちゃん、ふみちゃんにカバーしてもらうことばかりだったけれど、私は私で思い切りプレーできました。あらためて、気持ちひとつで、見せる世界感じる世界は変わると知りました。

 さて、明日の私の一日は、どんな色になるのでしょうか。まずは自分の心を捉える、自分が感動し、面白いと思える一日を描きます。