「意志を持って、夢を持って」 ひなの

9月27日

 お昼のお話を聞かせて頂いて、本当にちゃんと生きなければいけない、と思いました。

 今日は畑のことを例にお話しして下さったけれど、私は日常のどんな場面でも、些細なことでも、逃げたり無責任になってしまうことが多いと思いました。大多数の中の一人、という立場に甘んじる気持ちがあります。
 
 最近だと、結婚式でのアンサンブルが思い浮かびます。
 楽器の経験も、なのはなでのアンサンブルの経験も比較的長いです。譜面隠しの準備であったり、出はけのことも、みんなが忙しいときにはさとみちゃんや誰か任せにせず、自分が進めようと思えばできました。進めないにしても、自分のこととして気にかけたりすることもできたと思います。
 
 父の日のフラダンスショーの練習でもそうでした。
 以前曲を踊ったことがあり、かつ平日もなのはなにいられるのは私だけだったのに、自分に拘って、どう思われるか気にして、出るべきところで出られなかったし、グダグダになってしまうこともありました。

 自分がどうかとか、出来が悪いからとか関係なくて、ただ利他心と良かれの気持ちでいたら、自ずと自分の行動は変わってくるのだと思います。
 
 私は、長い間、自分と向き合うこと、変わることから逃げて、逃げて、逃げ続けてきたと思います。いつも言い訳を作って、安全地帯に身を置いて、責任をとることから逃げ続けてきました。だから本当の充実感なんて得られたことがなかったです。
 安全地帯に身を置くことは、安心するようだけど全然安心できませんでした。むしろ、ただ消費するだけ、存在しているだけであることへの後ろめたさと申し訳なさでいっぱいでした。
 最近、みんなの中にいることとか、のうのうと生きていることに対して罪悪感があったけど、それはあながち間違いではなかったです。

 私は社会性が極端に欠けているし、未熟なところばかりで、度々注意されたりすることがあるけど、その度に拗ねたり開き直りたくなってしまいます。それは、人としてとても格好悪いし、見苦しいことだなと思いました。
 それに、ソフトバレーでも何でも、あまりにも消極的すぎるのも間違っているし、それは謙虚さでも美徳でもなんでもないんだなと思いました。

 私は学校に行って(特に高校で)、少しばかりプライドが挫かれた部分があるし、そのことでいじけている部分もあるように思います。けれど、その痛手なんてなのはなの子であること、なのはなの子として生きていくことへのプライドを正しく持ったら、一瞬にして埋まるくらいの微々たるものだと思いました。

 昨日お父さんが、熱意を持っていなければ人生じゃない、間違っていようと、人に何と言われようと言われまいとちゃんと夢を持つことが大事、と話して下さりました。
 今のようにぬるっとしたまま、この先の数十年の人生を生きるのは嫌です。
 間違っていようと、多少空回りになってでもいいから、意志を持って、夢を持って、希望を持って、前向きに生きたいです。その意志や夢も、なのはなの正義となのはなの子としてのプライドを持った上でのものでありたいです。

 怒られるんじゃないかとか、人にどう思われるかとか関係なくて、全ての人に笑われたとしても不格好でも、失敗を恐れず自分の人生に責任を持って、張りを持って生き生きと生きたいです。それは今までの自分を守る生き方と違って、少しリスキーかもしれないけれど、その方がずっと生きることが楽しいのだろうな、と思います。
 前にも日記に書かせてもらったことがあるけれど、私は、今の私と同じ19歳の頃のあゆちゃんのようになりたいと思っています。(自分はあゆちゃんとスケール感が違いすぎるので、間違った目標の持ち方だったら教えて頂けると嬉しいです。)

 また、話があちこちしてしまいますが、今日お父さんとお母さんが話して下さったとき、私たちのことを本当に思って、良くなってほしいと思って話して下さっていると感じました。もう見て見ぬふりをして向き合うことから逃げてはいけないと思いました。