「一番大切なのは」 ちさ

9月9日

 夕方に廊下を歩くと、食堂横の中庭がとてもすっきりしていて思わず二度見してしまいました。お母さんがやってくださっていました。時間もあってしれっと遊びに行きました。私は特に何もしていないのだけれど、その小一時間がすごく楽しかったです。
 お母さんが熊手で草を集めてくださっていました。山になったものを今グラウンドで燃やしているところかどこかに運ぼうと単純に考えていたら、きれいな部分はこういうへこんだ部分に盛ったらいい、と教えてくれました。すごくなじんで、より美しくなりました。とった草はないほうがいい、と特に深く考えず固定観念のようにとらえていたけれど、そのときどきで答えは違って、お母さんの美意識の高さと広さを感じ、なるほどと思いました。

 その後に松の木と夾竹桃の剪定をしました。剪定、という本格的なものというより下の方の枯れたものや、いらないだろう枝をのこぎりで切っています。切るときも根元から出っ張らないように切るのではなく、少し残して枝を切っていて、それは上のほうの枝を切ったりと作業をするときに足をかけるためだと教えてくれました。またもやなるほどと思いました。
 意味もなく木登りがしたくなって思わず上ってしまいました。少し高いところにいるだけなのにすごくすがすがしくて、視界が開けると、気持ちが開けるような気持ちになりました。お母さんも小さい時よく木登りをしていたという話を聞いて、いつか一緒にあえてサルでも滑ってしまう百日紅を登ってみたいな、なんて思いました。
 切るたびにすごくすっきりしていくのが気持ちよかったです。

 よく動きたいとか、力になりたいとかそんな気持ちはなくて、ただお母さんと過ごす時間がほっこりと温かくて、楽しかったです。いろんなことを考慮しないといけないときもあるけれど、一番大切なのは、こまごまとしたことを考えたり、効率とか、先読みとかじゃなくて、今一緒に過ごす時間を大事にすることなのだと改めて実感しました。いい作業、と考えると、質とスピードを意識すること、能率の高い作業にすること、そして高い目標を達成できたときにうれしい、と思っていた部分が強くありました。だけど、本当に大事なのは一緒に向かっている人と共有している時間で、達成したときにうれしいのも、同じように全開で頑張ったからうれしいのであって、究極は目の前の人との間にあったものだったのだとわかります。

 夜は短いです。
 あっという間に消灯になってしまいました。途中なのですが消灯なので提出します。
 明日は手刈りがあるので晴れてほしいです。
 おやすみなさい。