「みんなと、幸せになれますように」 まち

9月1日

 今日のお昼の集合の話が、とても嬉しかったです。お父さんは、私たちに、能力を高くなんて言いません。やるべき事はちゃんとやらないといけないけれど、人より優れること、なんて言いません。本当の幸せは、利他心にある。改めて、それをちゃんと、きちんと分かりやすく教えて頂けて本当に嬉しかったです。

 私も、人より優越を得ることでしか、幸せを手に入れられないと、間違った価値観で今まで生きてきて、そして、なのはなに来ても、しばらくいるにも関わらず、その価値観は未だ残っていました。その証拠に、作業などで人よりできないと、ものすごく苦しくなってしまっていました。人のために動いているのに、何故か苦しい。どうしよう。そう思っていた矢先の、今日の集合の話でした。救われた、安心した、と思いました。

 結局は自分の評価を気にしていたから、苦しかったわけです。利他心100パーセントで生きていれば、そんなこと全く気にならない。人のため、ただそれだけが本質です。できようができまいが、人に喜んでもらえること、人と関われることが嬉しいから、どんなことも幸せに感じる。

 それと、これは間違った捉え方かもしれませんが、自分を丸ごと受け入れてもらえたような気がして、それも嬉しかったです。何かというと、私も、人の悪口が言えなかったです。信じやすいし、嘘をつけない、つこうと思っても、ものすごい苦しさが伴ってしまう。人の悪口を言ったり、嘘をついたりして、要領良く生きているように見える人ばかりで、人と違うように感じてしまう自分が苦しかったです。自分は変なんだと、思っていました。でも、お父さんとお母さんの話を聞いていて、それでいいんだよ、と言ってもらえたような気がしました。自分に利他心があるのかどうか分からないけれど、私は嘘もつけなくて、悪口も言えなくて、それで立派に生きていていいんだ、と思いました。丸ごと、救われた気がしました。

 父親の価値観をそのまま受け入れて、私は進学校に進み、何となくの学歴を手に入れ、それでちょっとした優越感を感じてしまって生きてきました。微妙に「成功」体験があったので、だから、今までずっと、今までの価値観が残ってしまっていたのだと思います。だから本当に苦しかった。

 なのはなでの作業も、「できない」と苦しくなりました。ちゃんと人よりできないと、人より能力が高いと評価されないといけないのだと無意識に強迫観念に似たしぶとい価値観が私を支配していました。作業が苦痛でしょうがないときもありました。

 でも、お父さんとお母さんの話を聞いて、もう、いいんだ、と思いました。能力が低くてもいい、できなくてもいい(もちろん、人のためにできるようになるための努力はする)、利他心100パーセントで活動していけば、何も苦しくなることがないと気が付きました。これをすることで喜んでくれる人がいる、みんなのためになる。そう思うと、頑張ることが楽しくて嬉しくてしょうがないし、何も怖くない。

 その証拠に、今日の午後の肥料入れの作業が、楽に感じて、達成感も感じて、楽しかったです。「要領良くしないといけない」「ちゃんと適確に動かないといけない」「人よりできないといけない」という屈強な考えはなく、全体を見て、本質を考えて、かつ自分がいまするべきことはなんなのか、人の評価もどうでも良くて、ただ全体の一部として自分ができること、この作業で求められている本質、効果、目的を意識して作業をしたから、気持ちが楽で前向きに取り組むことができました。「良い評価を受けないといけない」なんてしょうもない意識はまるでありませんでした。利他心で動いているからです。自分の動きが人から見て良かろうが悪かろうがどうでもいいです。そんなことよりも、良い野菜を作るために肥料入れの作業に没頭する、その中で自分ができることを頑張るだけでした。すごくシンプル。自分はそこにないわけです。楽だし、楽しかったです。

 お父さんやお母さんが教えて下さることは本当にシンプルです。ただ利他主義、それだけです。苦しいのは、古い価値観を捨てられないからだと思いました。今までの価値観が微妙にでも残ってしまうと、それは苦しさとなると、身を以て実感しました。私はもう捨てます。そして、利他心100パーセントで生きていきます。自分が苦しさから解き放たれて楽になりたいからじゃない、人と幸せになりたいから、本当の幸せを手に入れて生きていきたいから、私は利他心100パーセントで生きていくと決めました。ずっと、人のために生きていきたい、と思って来ました。でもどうすることもできなかったのですが。でも、お父さんとお母さんが教えてくれたから、ちゃんとそれに沿って生きていきます。価値観が180度変わった気がしました。そして楽になりました。

 競争とかじゃなくて、ただ純粋に、人と、みんなと、みんなが嬉しくなるための作業を楽しめることが嬉しいです。苦手なこともあるし、人よりできないこともあるかもしれない、それでも、精一杯、みんなが喜んでくれることを純粋に楽しめる喜び。それでいいのだと思いました。

 なのはなは何で共同生活を送っているのか、分かった気がしました。来たばかりの頃は、一人の時間がなくて、苦しい、一人になりたい、なんで個室じゃないの、と思っていたけれど、みんなと一緒にいるのが、一番幸せだからだと気が付きました。自分が行動することで、こんなに多くの人が喜んでくれる。それこそが人間としての一番の幸せなのだと思いました。自分が幸せになりたいからじゃない、みんなと、幸せになりたいから、私は利他主義を貫きます。

 リビングから夜空を見上げると、まん丸くて綺麗な月が光輝いていました。お昼の集合で私たちが聞いた話を祝福してくれているような輝きだと思いました。自分さえ良ければ良いんじゃないんだな。自分だけが回復するのは嫌です。みんなで、良い方向に回復していきたい。今リビングにいて、なつみちゃんの背中が見えるけれど、今日も一緒に肥料入れの作業をしたけれど、作業にすっと溶け込んでいて、なつみちゃんも変わったな、と私も感じました。シスターも頑張っていて、素敵だな、と思いました。みんなで良くなっていきたいです。みんなで幸せになっていきたいです。

 私はなのはなに来る前、仕事をしていく内に心が荒んで汚くなってしまって、嘘をつくことを覚えたり、人を馬鹿にしたりしてしまって、汚れた自分が少し嫌でした。でも、もう苦しくないから、汚れる必要もないし、安心して、子どもの頃のように、純粋に人を信用して、まっすぐに生きていこうと思います。自分を守るために悪くなっていたのだと思うので、もう、守る必要もないし、お父さんとお母さんはそれでいいんだよって教えてくれたから、綺麗な心に戻していきたいです。純粋に、綺麗なものは綺麗と感じて、人の優しさを素敵だと感謝して受け止めて、ゆりちゃんやたけちゃんを可愛いと感じて大事にして、一緒に生活できるみんなの良いところを良いと正しく評価できる心に戻していこうと思いました。利他心で生きる事は、自分を攻撃するものは何もないという感覚に似ていると思いました。

 今日も暑かったです。明日はどうだろう。追肥をしたから、雨が降って欲しい。涼しくならないかな。でも、早朝作業は気持ち良いし楽しいからいいか。明日も7時から作業があるみたいです。楽しくがんばってきます。みんなと、幸せになれますように。読んで頂いてありがとうございました。