「ワクワクする世界を」 のん

7月16日

 この前の日記の続きのようなものになります。頭がそのことばかり考えてしまうので、書き残して落ち着かせようと思って書きます。

 わくわくするような志をもって、わくわくしながら仕事をしたら、きっと依存はいらなくなるのだろうと思います。依存がストレスの逃がし先だとしたら、依存があるということは逃げたい何かがあるということ。私の場合は、それが他人に言われた「これが幸せ」に向かって生きることでした。

 お金があったら幸せになれるとか、良い大学、良い企業に入ったら幸せになれると思ったら、金額とか偏差値という1つの尺度ですべての人が測れてしまうので、人と比べることが出来てしまいます。あの人より給料が少ないから、テストの点が低いから、良い地位についてないから、幸せじゃない気がしてしまいます。

 ずっとそう思っていました。だからどこまでいっても幸せになれませんでした。もっと良い点をとったら、良い順位をとったら幸せになれると思って無理矢理頑張って、良い点をとって一瞬嬉しくなって、また苦しいのを耐えて頑張って。

 幸せになりたかったから、お金があったら幸せになれると思って頑張り始めたはずなのに、気がついたらお金を手に入れること、良い大学に入ることそれ自体が目標になっていて、苦しいのにお金や学歴を求めて頑張り続けていました。

 なのはなに来てからも、自分のためには生きられない、まだ見ぬ誰かのために治るんだと、そうしたら良い人生になると聞いて、そうか、と思って、誰かのために生きることが目標になってしまっていました。できるだけたくさんのお金があった方が良いみたいに、できるだけたくさんの人の役に立てた方がいい気がしていました。

 私はすべての人やものを同じ尺度で測ろうとしていました。幸せはもってるお金や喜ばせた人の数で決まるような気がしていました。

 でも、違ったんだと気がつきました。どんなにお金があっても、どんなに人の役に立っても、依存に気持ちを逃がしながら、苦しいだけの努力をする人生じゃ意味がないです。わくわくできるものが人によって違うということは、幸せが人によって違うということ。同じ尺度で測れるものじゃないし、比べられるものでもない。

 誰もが、自分のわくわくできることを仕事にして生きていたら、きっと今の社会の間違った競争なんて起きなかった。人より物やお金があったら幸せになれると思っているから競争になるわけで、誰もが日々自分のわくわくすることを突き詰めてやっていて、そこに幸せを感じて生きていたら、競争なんてないのだと思います。

 
 苦しさを耐えて頑張って、お金を稼いで、美味しいものを買ったり、服を買ったりしても、嬉しいのは一瞬です。苦しさを耐えて受験勉強しても、受かって嬉しいのは一瞬です。好きなことを面白いと感じながらやっていたら、その嬉しさはずっと続きます。どっちが幸せか。私はずっと間違っていました。

 誰もが「わくわくできる仕事」をしている世界にしたい、と思いました。そう思ったが頭でなく、心であることを願っています。