「あやこちゃん」 えつこ

7月5日

 いつか来るべきときだけれど、寂しいから出来るだけ先延ばしになってほしいと思っていた日。だけど、とてもおめでたくて嬉しい日。あやこちゃんが、次のステージに向けて出発をしました。車の中から手をふるあやこちゃんの笑顔を見ると、もうあやこちゃんと楽器を吹いたり、図書室で隣に座って本を読んだりする日常がもうなくなって次に進むのかと思って、泣けてきました。あやこちゃんは、本当の私のお姉さんのような存在でした。性格に近いところがあって、同じように担当楽器を愛していて、偉そうかもしれませんが、相棒のような存在でした。
 
 苦しいときでも、私と似ているあやこちゃんが頑張っている姿を見ると、私も頑張ろうと思えました。特別に親しく話をするわけではないけれど、私はとてもとても、あやこちゃんに気持ちを救われていました。マラソンで言ったら、ほどよいスピードで一緒に走れる、親鮫のような存在でした。作業のときも、図書室で本を読んでいるときも、あやこちゃんといるだけで、とても安心した気持ちになります。
 
 夜、図書室に入ったとき、いつもの場所にあやこちゃんがいないのを見て、寂しい気持ちになりました。でも、いつまでも軽トラの荷台で後ろを見ているわけにはいきません。次にあやこちゃんに会えるときには、今よりもワンステップ上がった私になって、また会いたいです。住む場所が変わっただけで、これからも仲間です。旦那さんと共ににあやこちゃんが幸せを作っていると思うと、私も頑張る力が湧いてきます。ふさぎこんだり停滞したりしている暇はありません。あやこちゃんの存在が私にとっての希望であったように、あやこちゃんの希望となれるような私でいたいです。あやこちゃんが私にとっての心強い親鮫でいてくれたように、私も誰かにとっての心強い親鮫になりたいです。いつまでも子鮫に甘んじているのではなく、次は私が親鮫になるときです。そのことを励みに、前に進みます。

 あやこちゃん、結婚おめでとうございます。あやこちゃんと出会えたことは、神様からの贈りものだと思います。もっと一緒に楽器を吹きたかった、もっと隣で本を読みたかったという、名残惜しい気持ちがとてもありますが、人生とはそんなものなのでしょうか。だから、本当に、毎日を大切に過ごさなくてはいけないのだと、強く感じました。何気ない日常は、いつまでも続くわけではなくて、どこかで別れがあります。なるべく悔いの残らないように、毎日を全力で丁寧に過ごさなくてはいけないと、思いました。

 恥ずかしいので今までお誕生日のときもあっさりとしたコメントしか言えなかったのですが、あやこちゃんのことが大好きです。

 

 今朝、あんなちゃんを中心として何人かと、スモモの収穫をしました。あんなちゃんとの作業にしばらく入っていなかったので、とても嬉しかったです。あんなちゃんと作業をしていると、どんな作業でも、あんなちゃんの優しさを感じます。スモモの収穫基準は少し難しいです。あんなちゃんが、ひとりひとりに、お見本となるスモモをとってわたしてくれました。最初はまだ熟していないスモモを穫ってしまったのですが、スモモの味をイメージすると、穫るべきスモモが浮き上がって見えてくるようになりました。黙々と、穫りました。
 
 あんなちゃんとの作業は、どんな作業でも、緊張感と安心感とのバランスが心地よいです。自分にはとてもストイックなのに、人に優しいあんなちゃんに、憧れています。昼食で、今年初の桃をいただきました。甘さがまだのりきっていないと、あんなちゃんが言っていたけれど、上品な香りと食感がして、これから本格的に甘くなったらどれだけ美味しくなってしまうんだと、思いました。あんなちゃんの真面目さと繊細さと優しさが、繊細で緻密な芸術作品のように美しい桃を作っているのだと、思いました。生半可な気持ちではあんなちゃんのようになりたいと、言ってはいけない気がします。しかし、あんなちゃんのようにあるべきだと、あんなちゃんの生活している姿や仕事をしている姿から感じます。
 
 久しぶりにあんなちゃんと作業ができたことが、とても嬉しかったです。あんなちゃんからもっと吸収して、人としてあるべき真面目さと優しさを持ちたいです。