「理想を持って」 りんね

7月3日

*キュウリの収穫

 今朝、キュウリの収穫、嫁入りに入らせてもらった。
 今日も、驚くべき美しさのキュウリが、21.8キロ収穫することができた。

 収穫は、えりさちゃんと2人で行った。
 2人で畑の両端からスタートして、行き会うように隈なく見ていったのだが、前日に取り逃して大きくなりすぎてしまったようなキュウリは一切なかった。
 もう、私もキュウリの収穫に目が馴染んで、確実に、一番いいときに収穫することもできあるようになった。

 いまのキュウリの実は、これぞキュウリという実だ。丁度いい太さに、立派な長さ、棘が鋭く、瑞々しくて、元気に満ちた果実だ。そんなキュウリを収穫していると、本当によかったと、よくここまで来てくれたと、思わずにいられない。
 日々、10~30㎏という単位で収穫しているにも関わらず、疲れを見せず、いい実をつけ続けてくれるキュウリの株に、感謝の念が込み上げてきた。

 ふと思い立って、収穫する実のヘタに、剪定ばさみを入れるとき、毎回、小さく「ありがとう」と声をかけることにした。
 以前読んだ本で“奇跡のリンゴ”の中の一場面で、木村秋則さんがリンゴの木、一本一本に語りかけていったこと、それが、リンゴの木を生かした要であったことを思い出したのだ。

 キュウリは紛れもなく生きている。
 葉を広げて、太陽の光を浴びて、驚くべき速さで蔓を伸ばして、地中では根を張って、成長し続けている。
 そして、キュウリの株は、子孫を残すために果実をつける。元気で健康な株ほど、少しでも多くの実をつけて、次の世代のため、種を作る。
 そこを収穫させてもらうことは、野菜であっても、命を頂くということだった。

 いい実をつけてくれて、ありがとう。申し訳ないけれど、頂きます。大切に、嫁入りをさせていただき、家族でも食べさせていただきます。

 ありがとうと言うのは、どの果実にしてもそうだった。ネットに引っかかってしまって、でこぼこした果実、曲がってしまった果実、まだ小さくも、太くなりすぎてしまった果実。
 そんな果実も全部、全部、ここまで育ってくれて、ありがとう、という気持ちだった。
 そうして収穫して、当たり前のことだが、収穫した実に傷一つつけなかった。言葉が、私に足りない優しさを引き出してくれたのだった。

 これからも、収穫だけでなく、作業の折々で、目の前の作物や人に対して、心の中か、小さく口に出して、感謝の念を伝えたいと思った。

 収穫ができるまで、雨がもっていてくれて、ありがたかった。果実に一番栄養があって、鮮度が高い早朝に、一番いい果実を嫁入りさせてもらえることは、本当に、贅沢で、ありがたいことだった。

 

*夜の集合

 今日の夜の集合で、お父さんが、志について教えてくださった。
 志というのは、いつかの自分であり、今の自分は、いつかの自分になるためのスタート地点でしかない。だから、今の自分がどういう境遇にいようが、どういう評価を受けていようが、毛ほども気にしない。高い志があれば、今の自分に拘らない。
 お父さんにそう教えていただいて、ああ、その通りだと、自分はそうあるべきだったと、思った。

 お母さんが、人を羨ましく思ったり、ねたんだりする気持ちは、人の気持ちの中で、最も醜いものだよ、と教えてくださる。もしかすると、人目を気にする、評価を気にする心、というのも、それと同じくらい醜い思考なのかもしれないと思った。
 私は、評価されたくて、認めてもらいたくて、褒めてもらいたくて、あさましく苦しんでいた。それはなのはなに来るまでの境遇で、そういう思考にならざるを得なかった、という側面もある。
 だが、そういうあさましさは、全く以て無用である。馬鹿馬鹿しくて、本質から外れている。本来の私がもつ志へ進むには、捨て去る必要がある。
 捨てることが、できると思う。こうありたい、という理想だけ持って生きたい。
 今の自分の評価を気にしないでいいならば、逆にありがたいという思いもある。今の自分はあってないようなもの、ただスタート地点であるだけに、方向だけ、求める志にびしっと向いている。そういうことにして、お父さんやお母さんのように、自尊心を持って生きていけるように頑張りたい。

 夜の集合で、お父さんに“忠臣蔵”のお話をしていただいたことも、すごく面白かった。忠臣蔵、という言葉だけ聞いたことはあっても、一切内容を知らなかった。
 仇討ちということであったが、お話で聞いて面白いというのは、実際にはそうとう無残なものだと思った。
 なのはなで、筒井康隆が書いた、仇討ちの短編を読んだことがあった。ユーモラスに決闘までの過程が書かれ、いざ戦いあうとなると、燦燦たるもので、どんな魅力ある人物も悲惨に死んでしまっておしまい、という皮肉な話であった。
 目の前のことに拘ったら、そういう風に人生が終わってしまうのかもしれない、と思った。