「志を持つ」 ゆい

7月3日

 図書室では、ぴーちゃんが縦横無尽に飛び交い、えりさちゃんの肩に乗り、パソコンに乗り、非常に自由に過ごしています。こんなに人懐こくなるものなのですね。恐らく自分を人間だと思っているのではないでしょうか。ぴーちゃんが羽ばたくとき、風が吹きます。頭にとまり、羽ばたいていくときは顔に風を感じて気持ち良いです。
 今、ぴーちゃんは一輪のうすピンクのカーネーションをついばんでいます。

 今日は午前中から雨が降り始めました。朝は、天気が持っていたので、草とりツアーでした。黙々と草をとる楽しみ。そして普段はあまり近くで見ていなかった、他のチームの野菜との至近距離対面。コンパニオンプランツを抜きたくなるけど抜いてはいけない。
 ラストボスのゴボウの畑も楽しかったですが、個人的には、ナスの畑が楽しかったです。畝肩の草を取って、綺麗な畝が浮かび上がる感じが良かったです。

(ここまで書いたところで、ぴーちゃんがこちらに接近。こっちに来るのは可愛いと思ってしまう。そして、ソファの上に丸まって座って、静かに、口をぱくぱくしている。本棚に向かって大人しく座って居る。やっぱり可愛い)

 朝食後のチーム作業では、スイカの草とりをしました。まなかちゃんと草取りをしながら、昨日の太ネギの感じで、「あと○分で1畝いこう」と言いながら進めていました。スイカの畝の草は、抜きやすいタイプの、気持ちがいい草でした。抜いたときの快感がある、名前が分からないけど、草取りの時だけ好きになる草でした。
 スイカの実に関しては、このところ、雨が多いので、受粉ができず、実が増やせないのは難点です。恐らく、雨後に、第二弾という形で着果させることになると思います。
 少し前に、蔓割れ病かと思われたところが見つけていたのですが、その後、それらしい症状や異変もなく、どうやら蔓割れ病ではなさそうで良かったです。
 時間が前後してしまいますが、早朝作業前に、私は今日、一番に葉ネギの収穫にいきました。原2畑で、みんなでネキリムシを退治して守った、あの葉ネギです。早速なるちゃんがお味噌汁にいれてくれました。
 雨上がりには、以前からある九条ネギを干しネギ苗にして、9月に再度定植します。ネギは強くて便利で良い野菜だと思います。

○午後の達成感

 午後に、少人数で、タマネギのカットの作業に入りました。最初は4人でしたが、ニンジンの冷凍作業の方が人数が欲しいということで、2人が助っ人にいき、りんねちゃんと私とで進めました。当初、前回にやってくれた人の結果も踏まえ、なるちゃんが4人で25㎏分と言ってくれいたのですが、2人で達成することができました。ちょっと傷みのある早急タマネギを、可食部分のみカットして洗い、袋につめる作業でした。10分で○㎏だから、30分で○㎏できれば間に合う。終わりは、洗って袋詰めする時間と片付けの時間を残して、ぎりぎりまで時間を使っていこう。20㎏は十分いけそうだから、ちょっと無理をする高めの設定で、25キロを目指そう。そういうことでりんねちゃんと進め、ぴったり5時に、片付けまで終えることができました。
 りんねちゃんがやる気に満ちたきらきらした瞳で一緒にいてくれたら、絶対にできる気がしました。桃のネット作成のときも、りんねちゃんはいつも協力的で、意欲があって、生き生きとした表情で助けてくれて心強かったです。今日も一緒にできて、すごく嬉しかったです。

○夜の集合

 お父さんお母さんがたくさんお話をしてくれました。志をもつことや、親が子供の評価を気にするかどうかについてお父さんが話してくださったことがすごく心に残りました。
 お父さんは、評価は気になるけど、気にしたくないですよね、とおっしゃいました。人生は誰にとっても難しいから、今を生きる人は仲間だと。
 競争じゃなくて、助け合って、良い人生にしようとする。子供も、ライバルだけど、仲間でもある。人生の難しさを、深いところで共感する関係が良い。
 摂食障害になった私たちは、もう、普通には生きられない。ベストを尽くす良い生き方しかできないです。そういう運命です。人にも、子供にも、どう評価されるか、それどころではなく、どう思われてもいいけれど、それ以上は尽くせなかった、自分のベストだったと言い切る生き方をしなければ生きて行けないです。
 お父さんが、20歳に戻っても、同じ道を辿るから、戻らなくて良い、反対にいつ死ぬべき時がきても良い、それだけ、ベストを尽くしてきたと言い切れると話してくださいました。私も、摂食障害になり、今、こうしているのだから、そう生きるべきです。
 
 志をもつと、スタンスが変わるという話もありました。
 何のために、誰のために、何がしたいのか。事業で成功したいとか、それはただの個人的欲であり、志がなければ意味がないです。
 志をもった途端に、拘りがなくなるとお父さんがおっしゃいました。志をもてば、今を認めてもらおうとは思わない。志がなければ、今しかないので、今を認めてほしい、評価してほしいとなる。今を認めて、今、儲けて、今すぐに、となる。拘りが出てきて、口うるさくなる。重要でないことを流せなくなる。しかし志があり、夢があれば、今はどうでもよい、評価はいらない、今の自分に縛られ、とらわれることがなくなります。(かといって、いつかのために今は我慢我慢というわけでもない)きっと、視野が広がり、許容度も大きくなるということかもしれません。
 心を開いて、自分から離れて、拘りも捨てたら、生きて行けると、人と関わって思い切り自分の人生を歩くことができると、私は、自分で体験して、それが伝えられたらいいと思っています。競争をしてきて、苦しかったから、反対の人生を作っていけたらいいと思うし、競争にとらわれて苦しい人に、そうじゃない希望を感じてもらうことができたらいいと思います。どうしたら、希望をもって生きて行けるか、自分が一番それができなくて苦しかったから、自分で希望をもって生きて、そういう可能性のひとつになれたらいいと思います。
 私の生い立ちとしては、かなり縛りが多く、苦しいものだったので、それを外していって、本当はこういう風に生きられると、伝えられたらいいと思います。漠然としていますが。今日のお話を聞いて、そんなことを思いました。