「リロに捧ぐ歌」 りんね

6月21日

*父の日

 昨日は、父の日をケニー・モナーク・フェスティバルとして、盛大にお祝いした。
 今回は自分も表現する立場だったから、割と一日中緊張してしまった。それでも、やはりフラダンスは素晴らしかった。

 私はヘ・メレ・ノ・リロを踊った。トップバッターであった。
 曲が始まると、やはり緊張していて、手先が震えて、表情も、固まってしかった。だが、寸劇を挟んで、大分ほぐれた。
 強く緊張していたが、今回は、今までの練習が物を言ったようで、体はどちらかというと勝手に動いてくれた。意外だったことに、本番が今までで一番よく踊れた。みんなの存在が、そういう風に踊らせてくれた。

 私は、ヘ・メレ・ノ・リロという曲が本当に好きである。これは自分の解釈になるが、“リロに捧ぐ歌”という題は、“君が産まれた日”に重なる。
 リロは、この世に生まれたばかりの女の子なんじゃないか。リロがこれから生きる世界は、偉大なる王と王妃が統率する、自然にあふれて、心も豊かで、優しい世界なのだから、彼女が産まれてきたことを祝福する歌なんじゃないか。
 それはなのはなの歌で、日本のカラカウア王、お父さんと、王妃のお母さんが作る社会に辿り着いた私たちの喜びを表現する歌だ。
 だから、この曲を踊らせてもらうことは、誇り高くて、嬉しくて、お父さんやお母さんに届いてほしくて、自分がありたいと思う姿そのままを表現することだった。
 ものすごく未熟ではあるが、本番に見た景色は、この曲を踊ることが決まったときから思い描いていたイメージそのものだった。不思議なことに、当日になって、着た衣装も思い浮かべたとおりだった。
 センターでは、やよいちゃんもやはり同じ誇らしい気持ちで踊っていたと思う。本当にこの曲を踊らせてもらって、嬉しかった。幸せだった。

 リロの次はカイオナで、センターで踊るまみちゃんの表情に吸い込まれるようにひきつけられた。まみちゃんが思い描く理想の姿なのだろうか。この世のものとは思えないような、切なさも、優しさも、包み込むような美しい姿だった。
 ゆりかちゃんのイン・マイ・ライフも、幻を見ているんじゃないかと思うくらい美しかった。
 ゆりかちゃんが選んでくれた曲が、すごくその人の魅力が引き出されるようになっていた。

 この日、最後の締めくくりにお父さんとお母さんの“とんぼ”が聴けたことが、本当に嬉しかった。
 お父さんも、一日フラダンスを見たり、演奏を聴いたりで、表現したい思いが溢れんばかりだったようで、本当に力強くて、これぞ“とんぼ”だ。お父さんの歌だ。と思った。
 やはり、お父さんの弾き語りと、隣にお母さんがいてくれることに、とても安心した。またもっとお父さんとお母さんの歌が聴きたい。

 

*早朝作業

 昨日、消灯直前まで調べものをしていて、頭がフル回転のまま床に就いたので、珍しく全然眠れなった。朝、起きてから、集合までの時間にりかちゃんへのキュウリを収穫することもあったので、緊張もしていてどんどん時計の針が回っていくのに、時間はなんと早く過ぎていくのだろうかと感じた。
 仕方ない、と思って、浅く眠りながら明日の昼間を空恐ろしく思っていた。
 だが、今朝は意外にも、とても嬉しいことがあった。すっと起きて無事にキュウリを収穫できた。玄関下に集合すると、永禮さんのダンプがあった。りかちゃんも、早朝作業に来てくれた。
 それで、大人数で玉ねぎの収穫へ行った。嬉しいこととは、収穫作業中、かなり内側から力が湧いてきて、私は主に玉ねぎのコンテナをダンプに積み込んでいったのだが、いくらでもコンテナを持ち上げられて、気持ちがものすごく前向きだったことだ。コンテナは、片方を浮かせてから両手で持ち上げると、全然腰に負担が行かなかった。
 永禮さんにつられて、途中からすごく嬉しくて仕方なくて、なんて気持ちのいい朝なんだと感じた。朝起きたときから、かなりなんでも来い、という前向きな心境でもあり、すごく嬉しかった。