「私の中の神様が」 ななほ

6月15日 月曜日

 梅雨が明け、明日からは本格的にサマータイムに入ります。
 今回の長雨が恵みの雨となり、畑の野菜達に強さと、潤いを与えてくれて、日に日に大きくなっています。
 キュウリの収穫も順調に進んでいて、食卓にも並び、暑さを吹き飛ばしてくれます。

 今日はダンス練習の後、体育館で飾り付けの準備や的の制作などを進めたり、午後は選果ハウスの片付けをしました。
 選果ハウスに入るのは久しぶりだったのですが、懐かしい香りがして、桃の選果の準備のため、道具の移動や、製粉機部屋を作るなど、力仕事もあったのですが、見事に部屋が綺麗になり、気持ちもスッキリしました。

 選果ハウスの道中では、原1畑のヒマワリが満開に咲き誇っている姿もあり、思わずのりよちゃんにカメラを借り、写真をパシャリと撮りました。
 ヒマワリのオレンジが今にも夕日という名になりそうな、お日様に顔を向けニコッと笑っている姿、ビンセントのような黄色のヒマワリが、可憐に上品に、私に向かって「私は、希望を持って生まれたの。」と囁くように話しかけてくれる、その繊細さ。ヒマワリの魅力に圧倒されました。

 話は変わるのですが、お昼のお父さんとお母さんのお話が嬉しかったです。
 今の時代には利他心が必要なこと。なのはなに来てから、いつもお父さんとお母さんが教えて下さることです。
 忙しくなったり、今の世の中の風潮に合わせて、みんなは利他心を忘れかけているとお母さんは仰いました。
 それを聞いて、私も頭では分かっているけれど、私たちの利他心、求める世界はこんなものじゃないと思いました。

 もっと伝えるべきものがあって、もっと変えるべき生き方、モラル、世界があります。
 お父さんが新しく選んでくれた本を読ませて頂くのも楽しみだし、人は協力し合って生きないと、最終的には誰も幸せになれないと思いました。
 これは自分の勝手な意見なのですが、何か作業や当番などをしていて、誰か1人でも嫌な気持ちになっていたとしたら、周りにいる誰かも1人は必ず同じように嫌な思いをしているはずです。
 リーダーをしていても、リーダーがやりにくいなと思ったら、きっとみんなもやりにくさを感じているのではないかと思いました。

 だから卵が先か、ニワトリが先か、私はリーダーとしても、メンバーとしても、目の前の事に一生懸命に向かい、精いっぱいで笑って、楽しみながら動きたいと思いました。
好きという気持ちが写し鏡のように、私は常にサービスする側でいたいし、私は今までサービスし過ぎの側だったけれど、やっぱり適度なサービスが良いと思いました。
 個人的にはサービスし過ぎで、何が適切か分からなくなりがちだと思ったのですが、それをなのはなファミリーで学び、修正していく場です。
 だから私は、自分の気持ちに誠実で、目の前の人に真っすぐに向き合い、利他心だと思った事だけをして、それが違ったら正していけばいいだけだと思いました。

 お父さんがもう1つの新しい本の説明をして下さった時、私に言ってくれているように思いました。
「悲しい気持ちや寂しい気持ちはわびさびの文化からあるから、そんな自分を情けないと思う必要は無い。」
「孤独っていうのは、1人でいるのではなく、いつもみんなの中に馴染んで、元気に明るくしているけれど、心の奥に寂しさや孤独感を持っていること」とお父さんは言いました。
 私は今まで、何に悲しいのか、寂しいのか分からないし、ただそんな自分が情けなくて、許したくなくて、だからと言って、気持ちが落ちている訳でもないから分からなかったのですが、その気持ちは間違っていないと思いました。

 また、「ななほちゃん、いつも元気だよね」とみんなに言われるから、その寂しい気持ちが嫌だったし、そうだ私は元気なんだと思い続けていたから、余計に不思議だったのだと思いました。
 きっと私は、お父さんが言っていた孤独という言葉が、当てはまるのではないかと思います。
 なのはなに来て悲劇のヒロインも私の中からいなくなったし、1人は嫌いです。だからと言って、みんなの中でいつでも、どんな時でもぎらぎらと笑う、低レベルな人間ではないです。
 私はそんな浅い人間になりたくないし、何も考えていない、周りの人に左右されてばかりの、15歳になんかなりたくないです。

 少し偉そうかもしれないけれど、なのはなの子としても生き方、モラル、あるべき姿があるし、
 何かに憧れたり、何かを尊敬したり、何かを目標にするのも、私は低レベルな物ではなくて、なのはな的なレベルの高いものでありたいです。
 お父さんが選んでくれた本を読める日が楽しみです。
 最近は宮本輝さんの本を時間がある時は、無我夢中に読んでいて、とても気持ちが安定して、今の自分でいいんだと思えます。

 私はきっと、自惚れ屋でもないと思うし、だからと言って自己否定が強い訳でもない。
何ができる訳でもないし、何かこれと言った得意なものもありません。
 だけれど、ちゃんとなのはなの子として生きる、ちゃんと生きたいという気持ちがあるから、私は大丈夫だと思えます。
 15歳でこんなことは言いたくないけれど、私の中の神様が、私をちゃんと知っていて、誰が見ていても見ていなくても、よく生きたいという気持ちがあるから、たとえ、思春期のせいか、気持ちの上下は激しいし、言葉にできない悲しさや、苦しさもあるけれど、その分の嬉しさが返ってくると信じられます。

 お父さん、お母さんのことが大好きです。明日は畑に出られるので、このヤケクソのような、悲しいけれど、爆発しそうな気持を、畑でいっぱい動くことで発散させようと思います。おやすみなさい。