「本当にあるべき利他心」 りんね

6月15日 

*黄金時代 我らの時代

 先日、大江健三郎の“我らの時代”を読み終えた。そして今、椎名誠の“黄金時代”を読んでいる。まだ黄金時代のほうは途中だが、ふと、この2冊があまりにも対照的だったことに気づいた。
 いずれも戦後まもない時代の若者が主人公として出てくる。

 我らの時代は、お母さんの言葉を借りるなら、とても大変な小説だった。粘っこい文章、息が詰まるような苦悩、「希望のない時代に生まれた若者」という言葉。
 主人公は、生きることを猶予期間であると言っていた。いつかやってくる断罪の宣告までを牢獄内で待つ期間であると。
 主人公は、猶予からの脱出を求めて、欧米への進出の機会を得るが、行く前から、そこにも希望がないことに気づいていた。最終的には、フランス行きを断り、人間関係も損ない、自分に残された唯一の英雄的行動は、自殺のみであり、それが“我らの時代”だ、という結論に至る。
 とにかく大変であったが、深く共感した。そうだその通りだ、戦後から、社会がおかしくなって、すでにそのときから私たちは苦しんできたのだなとわかった。きれいごとなんてどこにもなくて、克明に表された苦悩が、今の社会の本質だ。これくらい言ってやってしかるべきだと思った。

 黄金時代は、我らの時代を読んだ後ならなおさら、拍子抜けするようであった。目くるめく展開が進んでいく。大江健三郎が5ページに3時間くらいの時間が進むとしたら、こちらは5ページに1か月くらい進んでいく。主人公の人生で、大きく動きのある出来事が次々描写されていった。
 主人公の心情は明瞭であった。常に目の前のことに熱中し、常に何事か希望を持って生きていた。特にこれといった絶大な希望を掲げているわけではないのだが、何かしら熱意を注ぐものが常にあった。だから主人公の心の起伏はさほど激しくなくて、安定している。そして、とにかく甘えが無かった。
 労を厭わず、自分の力を尽くす。けれど人の力を借りるときは、その人を深く尊重して存分に力を借りる。大切にすべき人は、大切に接し、長く関係が続く。
 ああ、こういう生き方が正しいのかもしれないなと感じた。甘えがない生き方は、気持ちがいいと思った。

 私はなのはなに来るまでは、我らの時代そのものだったから、そういうねばねばした感じの自分がいる。けれどその上に黄金時代的な、甘えのない強い自分を積み重ねて、お父さんお母さんのように、人の痛みを深く理解する上、自立して背中で語って生きていける人に頑張ってなりたい。

*お母さんの言葉

 お昼の集合で、お母さんの言葉が胸に刺さった。
 お母さんは、憤りがあった。
 分かっているようで、ちっともわかっていない。なのはなに集った仲間をないがしろにして、自分自分ばかりで、ちっとも利他心じゃない。
 違うんじゃないの。そんなの、なのはなじゃないんじゃないの。
 そうだった。最近、私は、方向性を間違っていた。本当に情けないが、間違ってしまっていた。
 それは朝の見回りのときにふと気づきもした。私の言葉が、優しくなかった。もっともっと思いやりある言い方ができた。今までだってそうだが、人と違う意見を言う時は、極めて相手を尊重して、冷静に、意味を持って言わなければならなかった。
 先日まよちゃんの誕生日だった。いつも笑顔で、あるべき人格を演じ続ける強さを持ったまよちゃん。まよちゃんだったら、きっと今も、大きな笑顔をしているだろう。自分は、自己本位な表情と態度をしているな、と感じる瞬間があった。
 本当に最近のこと。以前より誠実さを欠いてしまったのではないか、と感じてしまった。
 
 人と何か関係を持つとき、その一つひとつを大切にしなければいけなかった。当たり前のことを、欠いてしまうのは、情けなくてたまらないが、変えていかなければならない。
 根底から変えていこう。傲慢さを消すために、まずは常に自分を一番下に置かねばならない。当たり前に相手を自分より尊重しなければならない。
 誠実になるために、慎重に本当に必要な言葉と行動を選んで実行しなければならない。
 お母さんに、正直に叱っていただいて、ありがたかった。本当に変わっていきたい。

 今日はゆりかちゃんの誕生日であった。
 ゆりかちゃんの、よくありたいという高い理想を持ち続ける美しさ。ゆりかちゃんと一緒に配膳でも、水やりでもやっていると、ゆりかちゃんの一言一言が、表情が、力強くて、優しくて、仲間を信じてくれていて、一緒にいい仕事をしよう、ベストパフォーマンスにしよう、という気持ちでいてくれるから、勝手に力が湧いてくる。
 ゆりかちゃんの力だ。美しい理想を掲げた心の内側から沸き起こる、無尽蔵のエネルギーで、力強く、みんなを導いてくれるゆりかちゃんだ。

 ヘメレ・ノ・リロのダンスを、やよいちゃんが見てくれている。
 やよいちゃんのエネルギーは一体どこから湧いてくるのかと思うくらい、大きく強くダンスを見てくれる。
 最初から最後まで、ウィンターコンサートのときと同じように、1つひとつの動きを厳しくそろえてくれた。何度も何度も、全員が合うまで、1つの動きを繰り返し練習した。目線、細かなタイミング、全員で揃えて初めて意味が生まれることも形になっていった。

 なのはなでは、本当にあるべき利他心を持って、背中で語ってくれる人が多くいる。そういう人を見て変わっていきたいと切実に思う。