「情緒」 ななほ

6月4日

 少し前のことになるのですが、サラマンダーのハウスMTが嬉しかったです。
 お父さんが情緒について話して下さった時、今まで自分は情緒が深くも浅くもないんじゃないかと思っていたけれど、情緒が深い方なのかなと思いました。
「あのね、情緒が深い人は、お見送りを人が見えなくなるまでするんだは、あゆがそうだったんだけれどね、お客さんが帰るといつも、(ああ、言っちゃった)って言っていたんだ」
 とお母さんが教えて下さり、私も小さい頃から今でも卒業生や村田先生とかが帰って来て下さると、帰ってしまうのが寂しくて、ずっと一緒に居たくなります。
 お見送りも、礼儀もあるかもしれないけれど、最後の最後までお見送りしたくて、その人とまた会えるように祈って、
 寂しくて涙が出そうだけれど、最後までお見送り、見えなくなるまでお見送りをすると、「絶対にまた会える」と思う事ができます。

(ああ、行っちゃった)
 という言葉も、いつからか言わなくなってしまったけれど、小学校中学年まで行っていたことを思い出しました。
 お父さんが、「悲しいと思う事は、その反対があるからなんだよ」と教えて下さり、私も年齢的にも、最近は悲しくなりやすくて、でもその悲しさの意味が分かりませんでした。
 夜に眠る怖さは、殺されてしまうかもしれない、朝起きたら誰もいないかもしれないという、症状的な怖さだったけれど、
 1人になると、漠然とした怖さや寂しさを感じて、頭が追い付く前に自然と涙が出ます。

 それが苦しい時もあるし、無性に怒りが湧いてきて反抗的な気持ちになるのを必死で抑えるのも、その後すぐに漠然とした不安が来ます。
 これが思春期なんだろうなと思うけれど、きっとその反対があって、「みんなともっと話したい」「もっと優しくなりたい」「もっと強くなりたい」と思うから、その反動が大きいのだと思いました、
 でも、「優しく生きたい」と思えるっていうことは、優しくなれることだし、優しいからそう思えるのだと思います。
 自分がこの世で一番最悪だと思っても、「だからよく生きたい」と思えるなら、そう思える清い心があるのだと思いました。

 お父さんのお話をハウスMTのみんなと共有させて頂けて嬉しかったです。
 情緒が深いというのは良いことだけれど、その代わり寂しさや苦しさもあります。でも、それ以上の楽しさとか、嬉しい気持ちが絶対に戻ってくると信じて毎日生きていきたいと思いました。
 今、畑のリーダーをさせて頂いたり、編集とか、ギターとか、当番にダンス。他にもやりたいことがたくさんあって、常に不安はあります。
 でもそれは「任された責任をちゃんと果たしたい」「ちゃんとやりたい」「何か忘れていないだろうか?」など、みんなの為の欲で、不安という名の責任感だと思いました。
 やることが増えれば増える程、夜寝る前に、もう何もかもどうでもいいと思ってしまったり、諦めたいと思ってしまうこともあるけれど、「神様はちゃんと見てくれているから」「お父さんが言っていたように、苦しい思いをした人には、ちゃんと良いことが帰ってくる」と信じて、(だから絶対に諦めたくない)と思います。

 その苦しさとか、寂しさ、孤独感も全て、良い事として戻って来てくれると信じています。
 誰からも忘れられて、私なんてどうでもいいんだと思ってしまうことも多いけれど、私がみんなの事を好きでいる限り、みんなも私の事を好きで居てくれると信じています。
 だから目の前の事に誠実に、一生懸命に向き合って、逃げ出したくなることもあるけれど、任された責任や役割は最後までちゃんと果たしたいです。
 挫けそうになってもすぐに立ち直って、誰かに何かを言われても関係ないと自分が評価したらもう気にしないで、お父さん、お母さん、なのはなの気持ちで生きます。

 畑のリーダーにさせて頂いて、また人との関係とか、野菜との関係でまた違った考えや感情が湧いてくる事があるけれど、強い優しさと粘り強い気持ちを持って、
 どこまでもなのはなの子としてのプライドと、責任と優しさを持ちます。
お父さん、お母さん、いつもありがとうございます。