「幸せ」 あやこ

6月3日

 昨日の集合で、みんなは幸せがどういうものかという考え方が間違っていると、お父さんは言いました。それは、これまでもずっと、なのはなで教えてもらってきたことで、私はそれを知ることができたし、実際にその幸せを感じていることが、本当に意味のあるものだと思います。
 人は、何か大きな目標を達成したときが幸せではないです。私は、これまでの人生で、一体何かを目標にしてきたか、と言われると、思い出せません。あえて言えば、高校受験ぐらいでしょうか。それだって、合格したらしたで、苦しい生活が待っていたわけです。
 
 さやねちゃんの合格の話を例に挙げて、お父さんが話をしてくれました。何も変わらないんです。本当に、何もかわらない。なのはなにいるときは、みんなと共に作業や当番をし、仕事にいけば、他の人と同じように、自分のやるべきことをするのだと思います。毎日が幸せだと感じるわけでもないと思います。
 今思うと、なのはなの生活でも、私はそれを感じる機会がありました。なのはなに来てから、私はものすごく気持ちの成長するのが遅くて、当番コンプレックスがありました。洗いに入ることとか、朝食当番に入るのが、他のみんなよりも遅かったです。そのときは、自分の未熟さに悲観して悩んでもいました。洗いに入れば、朝食当番に入れば、幸せになれる、とまではさすがに思っていなかったけど、何かが変わると思いました。でも、そんなことは何も変わりませんでした。そういうのは違うのだと、今ならわかります。

 私は今、いっぱい幸せを感じています。ダリアの球根からたくさん芽が出ていたこと。種を蒔いたアサガオからたくさん発芽して順調に生長していること。あゆちゃんと植え付けたササユリが、日に日に大きくなっていくこと。葉先が茶色になって弱っていた菊が、硝酸石灰をやったらすごく元気になったこと。草刈りで広い斜面を1人で刈りきったこと。同じく草刈りで、3人で短時間で広い畑を刈り終えたこと。刈った自分の後ろを振り返ると、そこがきれいになっていくこと。(園芸と草刈りばっかりだな……)
 そういうことを「幸せ」だと感じることができるようになったこと自体が、私は変わったと思います。昨日の集合の話を聞いていて、私はちゃんと変わったんだなと、改めて思いました。本当によかったです。お父さんとお母さんのおかげです。
 だから、これからはその「幸せ」を自分でつくっていこうと思います。自分でつくって、しっかりと喜びを感じていこうと思います。そのときに感じなくても、終わったあとに「幸せだった」「楽しかった」と感じればいいのだと思います。

 今ギターで、とある曲を練習しています。よくお父さんがライブでやっているように、コードでジャカジャカ弾いて歌えるように演奏するものです。実は、私がギターをやりたいと思って教室に入ったには、このコードでジャカジャカやって、1人で弾き語りをしてみかったからです(でも、実際にやってみたらギターで一曲を演奏できるようになれて嬉しいです)。で、前に『22歳の別れ』でコード弾き一度やって、再び今回ある曲を練習しています。
 これが今、少しずつ出来るようになってきていて、自分で歌を口ずさみながら練習するのが、楽しくて仕方ないです。ちょっとしたマイブームでもあります。でもまだ、弦をしっかりと押さえきれていなくて良い音ではないので、もっと良い音になるように頑張りたいです。

 ちなみに、一番嬉しくて楽しいのは、さとみちゃんやみくちゃんとかと、音楽室で何かに向って楽器の練習をしている時間だと思います。さとみちゃんやみくちゃんの音楽に対する気持ちとか感性とかをとても尊敬しているし、2人の空気もすごく好きです。その中で、私もトランペットを吹いていることがすごく幸せです。何だかんだ言って、私はこれが一番好きなんですね。
(お父さんとお母さんのライブのときなどに感じる幸せは、また別格です。)