「『無人島に生きる十六人』」 まこと

5月31日 朝

〇なっちゃんお誕生日おめでとうございます。

 なっちゃん、いつもありがとうございます。なっちゃんが大好きです。なっちゃんの誇り高く前を向いて、生活する姿勢に、いつも堂々とそこにいてくれる勇気に明るいパワーに力をいただいています。
 なっちゃんが、いてくれて嬉しい人になるために、自分の頭と体で考えて自立して周りの人とお互い様の関係でいられる人になります。きちんとした大人になって、なっちゃんが必要な時に動ける人になります。
 
 
〇5月30日(土)

 しなこちゃんのお誕生日でした。しなこちゃんは、ソフトバレーがとても上手です。一緒のチームになったことがあるけれども、しなこちゃんがボールをレシーブして、私たちのチームの穴をカバーしてくれて、しなこちゃんに頼るような形になっていきました。それは良くない状態だったと思います。しなこちゃんは、それからAチームに行きました。しなこちゃんは、毎日淡々と、お父さんお母さんの教えてくださる本質的なことを吸収して、どんどんいろんなことに責任を持って生活し、前向きに落ち着いて積み上げて成長していっています。
 
 一緒に生活しているなのはなのみんなは、しなこちゃんは、毎日の記録を丁寧にしてくれる、一緒にいると距離の取り方が適切で、大事なポイントを見逃さないという、毎日の生活で大切にしたいところに気が付いてさりげなく行動していて、それでいて気持ちが安定しており、前向きに積み重ねているので、成長するし、周りの人の信頼を得ていろんな責任を背負えるようになるのだと思いました。ナッツの木もしなこちゃんがいたから成長できたとれいこちゃんは言いました。当たり前のことを淡々と、続けて前向きに生活していけば、誰かの役に立ち、成長していくことは、尊ぶべきことです。しなこちゃんの美しいところを見て、そうあるべきだと思いました。しなこちゃん、お誕生日おめでとうございます。いつもありがとうございます。
 
 
 
〇無人島に生きる十六人 須川邦彦

 お父さんが購入してくださった冒険小説の一冊を読ませていただきました。これまであまり冒険小説を読み通せたことがないのですが、この本はとても面白く、島での生活を希望を持ちながら読み進めることができました。

 このお話の主人公は、日本の船の船長です。明治30年頃に小笠原諸島の方へ、漁業や鯨の様子を調査に行き、冬場の船の人達の仕事に活かしたり、鯨などの漁ができるかどうかを調べるために出発しました。船長以下16人です。その船員たちは、皆お酒は飲まない、日本のためにという志を持ち、規律を守りいつでもそれを実行し続けた人達です。
 
 途中で、碇が大波に持っていかれて流されてしまい、立ち寄った港で、そのことを疑われ周りの船乗りたちから非難されたとき、船長はひるまず、日本の船乗りは卑怯なことはしない、嘘などついていないと現状を事細かく相手の国の人に説明し、納得してもらいました。そして、船員は、日本の船乗りは他国の中傷など相手にせず、お酒なども飲まないし、金品なども受け取らず、毅然とした態度で、交渉してもらった水などだけを受け取って、また目的を果たすために出発しました。

 その後、すごい嵐に見舞われて、遭難してしまいました。大切なふかからとった油を海に投げ入れて祈ってもだめでした。船が壊れてしまった時、全員がもう駄目だと思いましたが、乗り越え、近くの島を見つけ、必要なものだけをその島に移して命を拾いました。その島には、水がなく、井戸を延々と掘り続けるのですが、出ません。何度か井戸を掘るものの水源にぶつかりません。誰かが、深く掘りすぎているのではないかと思い当たり、植物が水を得る深さから、塩分が少し混じった水を得ることができました。
 
 その後、船長は水夫長などと話し合い、島で生きていくことを考えます。今まで島に遭難して死んでしまった人たちは、自分たちは二度と祖国へ戻ることができないのだという絶望のために死んでいってしまったのだという結論から、自分たちは決してあきらめず、日本へ戻るのだという希望を抱きながらそこでの生活を続けることをみんなで徹底して生活していきました。
 
 船から運び下ろした食料は、つかわずに冬が来た時のために備蓄し、その島で捕えることのできた正覚坊というカメを食べました。日課を作り、当番を決めて、規則正しい生活をし続けました。船員には、魚を釣る名人がいたり、船の上でほとんど生きてきた55歳の帰化した方がいました。小笠原諸島には、アメリカの船乗りが住んでいるところもあったようです。鯨の捕鯨船に乗っていた父親、アザラシなどを捕まえるハンターなどをしていた父親の子どもが、小笠原諸島が日本になったときに、帰化したそうです。船員には帰化した人は2人いて、その人たちは、英語を解するけれども、ずっと小笠原諸島で生まれて船に乗って生きてきた人でした。
 
 長く船に乗ってきた人は、若い人たちに希望を失わせないように心を配り、船長は、小言は言わないことを決めて、雨の日には茶話会をして、いろんな話をしたり、陸での貴重な時間を使って、若い人に勉強を教えました。英語を帰化人に教えてもらったり、句を教えたりしました。そして、みなに、この体験を国のために活かすことを伝え、それを全員実行に移しました。
 
 島の近くにはアザラシがいて、そのアザラシ達については、冬の食料がなくなって困った時のためにアザラシ達にはその場所で生息してもらって普段は近寄らず、自分たちは怖れる存在ではないようにしていました。船員の中には、動物好きな人がいて、船長が近寄らないように、ときまりにしていましたが、長く住んでいる中で、どうしても仲良くなっていきました。魚をやったらそれを食べるくらい慣れてきたのです。その中でも、一匹だけは、プライドが高く、人間と友達にならないアザラシがいました。しかし、その一匹も船員の中のとても豪傑な若者とだけは仲良くなったそうです。
 
 船員たちは、みな自分の役割はみんなのためと思って生活していました。日本に帰るために、見張りをするための砂山を作りました。最初は、木がなかったために、砂を持って高い丘のようにしたのです。そして、見張りをする人も作りました。食べ物は、カメの卵が美味しいと書かれてありましたが、便が出にくくなり、そればかり食べるのはやめたと書かれてありました。
 
 野菜が食べたいけれども、取れないこと、水は真水は井戸からくめない、魚とカメがほとんどの食糧だったようです。雨が降ったときだけは別でした。雨が降った時は、外での活動ができないために、茶話会をしたそうです。帰化人の人達が自分の話をしたり、いろんな知識を学ぶ時間だったそうです。特にみんながホッと喜んだのは、おもゆにしたお米が食べられたからです。普段口にしないで、それを食べると甘く、おもゆがこんなに甘く美味しいものだと知らなかったと感じ特別な時間を過ごしていました。
 
 雨が特別なのは、水が手にはいるからです。おもゆを作るにも水が必要です。雨が降ってくると、全員が雨水を受けてそれを溜めにかかりました。貴重な水です。そして茶話会をしたのだそうです。食べ物に関しては、規則正しく食べていたことと、お腹がいっぱいになるまで食べる習慣はつけないように気を付けていたと書いてありました。もしも、食料がなくなってしまったときに、お腹がいっぱいになるまで食べる習慣にしていると、耐えることができない心配があったからです。運動をしたり、勉強をしたり、当番をして規則正しく生活をして、やることを作って、日本への思いを考える時間を作らないようにもしていたのことです。
 
 島には、あまり木材もありませんでした。冬を前にして、船長は、薪が足りないことに頭を悩ませていました。大波などで、島に木々が運ばれるとそれをひろい集めただけでは不十分でした。そのため、話し合いをして、近くの島を探しに行くことになりました。3人選出されて船をこぎ出し、宝島を見つけました。その島には木々がたくさんありました。カメがいました。しかし、水は出ませんでした。薪は見つけることができ、資源の確保ができるために宝島という名前がつけられました。
 
 
 長い間過ごす間も、遭難したことを知らせる努力は続けられました。船底に貼りつける銅板に字を書いてそれを海鳥につけて飛ばしたり、海に浮かべたりしました。また、島ではインクを作ってマストの布に字を書いたりしました。
 
 塩が足りなくなったときは、海水から塩を取ろうとしました。塩をただ煮詰めるだけだと時間がかかるばかりでたくさんとれないので、海綿を作って、それに海水を含ませて乾かすことをくり返し塩分濃度を濃くしていき、それを海水と混ぜて煮詰めるようにしたら、塩を作りやすくなったそうです。海綿は、それのもとになるものをとってきて、お湯で似て中身を取り除いてしっかり洗って乾かしたら出来ると書いてありました。
 
 船長は、船員の誰一人として、日本へ戻ることを信じないで心弱くなるものがいなかったと書いてありました。そういう人がいると、体が弱くなってしまい、チーム力が落ちると。16人全員がみんなのために、それぞれの仕事をみんなのためになっていると信じて取り組まないと生活は成り立たなかったと書いてありました。このお話を読ませてもらって、お互いの信頼関係が根底にあり、その関係をより強固にするべく一人ひとりの気持ちを強く持ち続ける毎日が全員での生活を良くしていったことがあったから体調を大きく崩す人を出さずに生活を続けていけたのだと思いました。
 
 
 結果的に、日本の船が近づく機会があり、それに気が付いて助けを求めることができました。
 
 その時、2人の若者がどうしても体調がすぐれない状態が長く続き、仲良くなってしまったアザラシの肝臓を食べることで2人に元気になってもらわないとどうしようもなくなってしまっていました。仲間を助けるために、アザラシを2頭仕留めに行くことを相談し、今からそれに向かいに行く、その時でした。

 日本からの船には、2人の元気のない原因を良くする薬があり、アザラシ達に危害を加えずに済んだのです。また、野生のアザラシ達が人間になれることはまれだということです。

 日本からの船には、最初は乗れない予定でしたが、島での生活の様子を聞いたその船の船員たちは、ぜひその人たちを一緒に乗せて行きたいという希望を出してくれ、遭難して島で生活していた人たちは、全員その船に乗って無事に戻ってくることができました。
 その船の船長は、船にはその船の船員に対してのギリギリの食糧しかないために、16人分の食料のために、自分の船員たちが食べることを我慢するのはとても大変だから、遭難した人たちには、別の迎えの船を待つように最初は話したそうですが、16人の生活の様子を聞き、その船の船員たちは一緒に乗ってもらいたいと船長に申し出たそうです。

 どこで生きていくにしても、いつもみんなのために自分の生活をきちんとして、全部誰かのためになっているのだという気持ちで、人は強く生きていけること、そして、それがあるべき姿だと思いました。私は、モラルがあるという状態がとても安心できると思いました。基本的なモラル、基本的にお互いがお互いを思いやって生活がある、という生活を実際にしていく中で、強い力や希望や勇気が培われると思いました。私はなのはなのことを思いました。状況が違いますが、お父さんお母さんの強くて正義を通す、モラルを崩さない姿勢を思いました。お父さんお母さんから吸収して進化されようとしている仲間の姿が目の前にあります。頭を使って目の前のことを楽しんだり考えたり気持ちをぶらさないで向かいたいです。
 
 
〇 自己否定、被害感情は、時間の無駄、役に立たない
 ずっと前から教えいただいていることであるが、つくづくそうなのだと身に染みる。本質的なことからかけ離れてしまうし、楽しくないし、役にたたない嫌がられるものだ。それを繰り返すのは、それが好きで手放したくないから、居心地がいいからだったのだろうと今は思う。自分をそれで守っているのだと、勘違いしていたと思う。でもそのときは気が付かないし認めたく無かったのだろうと思います。こだわりが強く視野が狭いことは、良くないことです。弱いものの味方では、進歩しません。全部自分が悪い、というのは、進歩しないです。誰かのためになりません。気が付いたら修正します。ありがとうございます。