空高く上に上にとまっすぐに伸びる竹と、どんな時も前に前に進化し続けるなのはなをたくさん感じました。
今年は少し暖かかった冬も過ぎ、桜の花も潔く花びらを落とし、新しい葉をつけています。何か始まるような感覚を、空気から、景色から感じ取られます。
新緑の春が来ました。畑も春、夏野菜に向けて動き始めています。
毎年、なのはなの春、夏の畑で見られるのは、竹で作られた支柱です。
ゴーヤ、キュウリ、ナスやピーマン、夏の食卓を彩る主役となる野菜たちは、畑で支柱が必要になるものがとても多いです。そこで、なのはなでは竹を使用して支柱を作っています。
どんなことも、自分たちで行ってしまうなのはな。私たちは、支柱に使う竹を、竹林から取りに行くところから、みんなで行っています。
■黄金色に光る竹
日本には、昔から竹を利用してきた歴史があります。竹細工などもその1つです。その日本での先人たちの知恵を、なのはなの竹の加工にも取り入れています。
竹の中には油分があります。その油を抜くことで、竹の耐久性を強くし、さらに見た目も良くするための〝油抜き〟という肯定があります。

〝油抜き〟というものには、主に2種類あります。お湯を使った湯抜きというものと、火であぶる火抜き呼ばれるものです。なのはなでは、火抜きの方法を参考にしています。
竹をあぶることで、竹の内側から竹の油が浮き出ています。浮き出た油で、竹がつややかに光る姿はとても美しいです。
あぶったばかりの竹は、深い緑色をつややかに光らせています。しばらく時間をおいておくと、さらに竹の色は変わり、黄金色のような深みのある色に変化していきます。
なのはなでは竹は畑で使用するため、竹細工を作るときのようにあぶりに時間をかけて行ったり、油をふき取り磨いたりする工程はしていません。
しかし、竹の加工の時にみせる竹の表情の変化、美しさは、なんどやっていてもとても面白い、美しいと感じます。
竹林の竹もたくましく、美しいけれど、〝炙る〟という工程を経て、竹が内側に持っていた油で、自ら輝きを増す姿に、私もそうありたいと感じました。
私は、いつもと違った角度から感じるとることが多かったです。
今までは、竹取り、竹の加工、支柱立てなどを担当させてもらって行っていました。しかし、今回は環境が変わり、みんなが作ってくれた流れや段取りのなかで、動くことがほとんどでした。そのなかで、気づくこと、学ぶことも多かったです。
竹のあぶりや加工でも、使われる道具が変わっていたり、竹のカットではお父さんが監督してくれたようで、人の動き方、流れなどが少しずつ変化していました。
■みんなの力を集結して
竹のあぶりに、新しく仲間入りしたのは、赤いバーナーです。使ってみてとても驚きました。
以前まで使っていたもの(長い間お世話になった草焼きバーナーへの愛着はあります)よりも、はるかに火力が強いのに、消費する灯油の量は同じくらいか、少し少ないぐらいで行えます。お父さんが新しく導入してくれたものでした。バーナーを2台使えること、さらに効率、燃費の良いバーナーということで、作業性がとても上がってると感じました。
竹取りまでの段取りや、竹取り、そこにはたくさんの人の協力が以前にも増してあるように感じました。
支柱立てに必要な竹を書き出す、フォーマットや、支柱の形を決めるフォーマットなど、各担当の人に協力してもらえるようなシステムも増えていました。

竹取りでは、地域の方の協力を得て、新しい竹林での竹取りが行われました。
田んぼとなる広い場所も切り出しの際に使用してもいいと話してくださり、竹の運び出しには、永禮さんが毎回のように大きなダンプと一緒に参加してくださいました。
今までは、どこか自分たちだけで完結しなくてはいけないように感じ、目の前の作業や竹が膨大な数や量に感じてしまっていたと気づきました。
今のみんなの姿や流れをみて、やはり助け助けられの関係がとても大切で、その中で自分の力を精一杯活かしていけば、なにごともできてしまうのだと、改めて気づかされました。
そんな風に加工された竹は、いよいよ畑に野菜の支柱となって形になり始めています。
■次々と竹が立つ
支柱立てでは、去年から穴あけドリルを使用しています。お父さんの発案です。
穴あけドリルを使用することで、竹を打つ負担を軽くするとともに、強度が増し、杭をほとんど使用しなくていいようになりました。

穴をあけた部分にタテ竹を入れ、ナスやピーマンの場合は横竹を取り付けます。
最初は、土を耕されただけの畑に、次々と竹が立ち、形ができていくのは面白いと思います。
違う種類や、違う動き、人の流れなどの統合が必要とされる支柱立て。
いまだに私は、苦手に感じる部分もあります。しかし、なのはなでだからこそ、そんな苦手なことも諦めずに挑戦ができます。誰かがカバーをしてくれます。お父さんお母さん、得意な人が、言葉であったり、姿であったりで、(こうすればいい)と教えてくれます。答えやヒントがあります。

そうやって、たとえ不得手に感じたとしてそれを行うことで、どうして難しくなってしまったのか、困ってしまったのか、気づくことができるし、なのはなでは答えを教えてもらうこともできます。さらに、自分やみんなの発見や気づきも共有させてもらうこともできます。
今の自分でどう周りにプラスに貢献できるか、自分から離れ周りにプラスなるように考え、動く練習の場でもあるうように感じました。

なのはなでは、助け助けられの関係がたくさんあふれています。私は、そのなのはなの世界を広げられるような人になりたいです。
未熟だけれど、なのはなの中で、お父さんお母さん、大好きな人たちのなかで、気づき、学び、進化できることが嬉しいです。空に向かって上に上に伸び続ける竹のように、私もそうありたいです。