「あゆみちゃんの姿」 えつこ

5月24日

 さやねちゃん、就職決定おめでとうございます。尊敬しているさやねちゃんのグッドニュースが、私にとっても希望となりました。とてもすごいことだと思うのに、さやねちゃんはいつもの通り謙虚で淡々としていて、そんなさやねちゃんの姿に、背筋を正されました。自分に厳しいのに、そのことを周りに感じさせず、どんなときも上品でいるさやねちゃんのことを、心から尊敬しています。就職ということは、これから日中にさやねちゃんと活動することも減ってくると思います。そのことが寂しいです。今、さやねちゃんと過ごせる時間を大切にしたいです。さやねちゃんの背中を見て、私は、一歩でも半歩でも、さやねちゃんに近づきたいです。

 

 夜の集合で、お父さんとお母さんが、まっすぐに私たちに向かってお話をしてくれました。自分の責任感の低さを感じ、重く受け止めました。自分が担当している野菜に、人格が表れます。レタスは今、収穫がピークです。最後の1球を収穫するまで、レタスに気持ちを向け続けます。

 出るべきときに出ないのは優しくない、というお話が印象に残りました。私がつい素の自分をやってしまうのは、優しくないと、思いました。自分は出来ていないからと、立派な人格を演じるのを恥ずかしがるのは、言い訳を残しておきたい卑怯な気持ちからだと思いました。私は人の太鼓持ちをして良い人ぶっていて、でも本当の意味での優しさは持てていないと、思いました。良い人の自分を、壊したいです。素の私は捨てます。自分がどうあろうが、そのことは横に置いて、尊敬する人を演じます。

 お母さんが、あゆみちゃんからのメールを読んでくれました。文面から、あゆみちゃんのどこまでも謙虚に祈るような気持ち、ひでゆきさんの優しさを感じました。いつも安定感があって、力強く私たちをひっぱってくれるスタッフのあゆみちゃんの姿が思い浮かびました。相手に優しい選択を自然とできるあゆみちゃんがすごいと、いつも思っていたけれど、あゆみちゃんも、自分の未熟さを感じるということがあるのだと、思いました。
 
 どんな人にも超えるべきハードルがあって、どんな人も平等であるという、お父さんのお話を思い出しました。あゆみちゃんも、なのはなのスタッフのあゆみちゃんを演じていたのだと、思いました。子どもには、母親のあゆみちゃんを演じるのだと、思いました。大人であるとは、こういうことだと、思いました。私は年齢的には大人だけど、心は大人になれていなくて、それはとても恥ずかしいことです。私は自分を離れます。自分が出来ているかどうかにこだわるのは、人のためになりません。私はみんなのために、演じます。

 それから、神聖な痛みとはどのようなものだろう、ということに思いを馳せました。私もいつか経験することになります。そのときのために、これから出会うまだ見ぬ我が子に、恥ずかしくない私になりたいです。