「答え」 さとみ

5月15日(金) さとみ

 私は、朝起きたら、みんなの中でいつでもサービスする人にならなければいけない、と思っていました。それが、普通の大人として当然のこと、と思っていました。
 また、私は没頭してはいけない、と思っていました。没頭する母親に傷つき、自分も没頭することに逃げてきてしまったため、私は没頭することから抜け出さなければいけない、と思っていました。没頭は、気持の逃がし先で、依存だと思っていました。
 一昨日、質問を読んでもらって、そう思っていたのは間違いだったのかもしれない、と思いました。私は、一つのことに集中してしまう性質で、つまり、幾分かアスペルガーで、その部分は今のところ、そのままで良いのかもしれない、と思いました。
 私は、無理な頑張り方をしていました。だから、もう続けられない、と思う程、朝起きるのが憂鬱で、毎日混乱する作業に行きたくなかったのだ、と思いました。

 私は、自分の始末に困っていました。1つのことしか考えられないため、今やっていること以外、わからなくなってしまいます。この世に時間というものが存在していることさえ、忘れてしまいます。
 簾作りのときなどは、1メートルの長さに達して完了するところ、ペアの人にそろそろ完成だと教えてもらわなければ、きっと私は何メートルでも永遠に編み続けてしまっていただろう、と思います。
 台所関係の当番では、色んな役割が同時に行われ、いくつもの工程があります。いつも他の人が責任を持ってやってくれている部分が、自分には理解できなくて、知らないことがあることが不安になっていました。他に何の仕事を終えたら、この当番が完了するのか、今でもわかりません。
 そうやって、作業では色々なことに気をつけなければいけないところが、面倒で煩わしい、と思っていました。でも、私は、作業は苦手と思っていていいのかもしれない、と思いました。全てのことに責任を持つ必要はなく、その代わり、自分が役に立てるところや、楽しいと思えるところで責任を持ったらいいのかもしれない、と思いました。

 過去に幾つかしたアルバイトでは、いつも1ヶ月も経たないうちにお店に1人になって困っていました。どこでもそうだったので、それが世間の普通なのだと思っていました。
 誰も助けてくれないから、1人になる前に、できるだけ早く全てのことを覚えておかなければやっていけない、と思っていました。残念なことに、それが私には苦手でした。
 でも、なのはなファミリーではそういう心配はありません。お仕事組さんとの朝食当番準備でも、本当は全部自分で把握していなければいけないのに、わからないことが山ほどある、と思う必要はなかったのかもしれない、と思いました。全部把握して進めてくれるお仕事組さんがいるから大丈夫、とだけ思っていていいのだと思いました。お父さんが仰っていたように、そのうち覚えられると思います。
 1日の大半を占めている作業が苦手、というのはどうなのだろう、とも思いました。1日の殆どを、お茶を濁して過ごすようなことになります。それでも、写真を撮ったり、トマトと晩白柚の見回りに行ったり、小さなことでも目標があると、楽しく過ごせるのかもしれない、と思います。
 最近、同じような質問を何度かさせてもらって、その度に、今のままでいい、というような答えだったので、それでは困っていることの何の解決策にもならないじゃないか、 と問題が先延ばしにされているような気がしていました。でも、ようやく理解することができました。わからなくてよかったんだ、苦手なことは苦手でよかったんだ、と思うと、気持が軽くなりました。質問の答えを教えてもらって、嬉しかったです。