「とらわれないで」 ゆい

5月13日

○桃の防除
 あんなちゃん、りなちゃんと桃の防除に行きました。石生の桃畑に着くと、ちょうど日の出の時刻で朝日を見ました。
 ちょっと前に草を刈ったと思った畑も、この暑さでは、一気に草丈が伸び、防除のホースにひっかかりました。いつものような丈でホースの補助をしていたら、あんなちゃんの腕に負担がかかることが分かりました。草の抵抗があるからです。1つ条件が違うだけで、いつも通りにいかないと思いました。いつも心を遣って、頭をつかって、進化する質を求めなければ、あんなちゃんが安心して仕事をすることはできないと思いました。
 進化していてはじめて、変わらない、と言われるというのを聞いたことがありますが、毎回何か進化しなければいけないのだと感じます。

 朝食の後も防除を再開しましたが、風が出てきてしまい途中までになりました。続きは夕方5時から行い、7時前に無事に終えることができました。夕方の方がカメムシが出てくるということで、夕方に防除が済んで良かったです。
 桃を作るのは、本当に厳しい仕事で、あんなちゃんの誠実さと心の厳しさと優しさがないとできないのだと思います。自分は、あんなちゃんの気持ちに沿って、動けるようにならなければ、役に立てないと思います。防除の手元を、どうにかして、もっとあんなちゃんの身体が楽に、気持ちも安心してできるようにするにはどうしたらいいのかと思います。

 

○新しい体験
 マクワウリの作業や、キヌサヤの収穫など、あまり私が入ることがなかった作業に入ることができて、新鮮な気持ちでした。
 れいこちゃんのリーダーシップで、マクワウリの土寄せや、ゴボウの草取りをしたのですが、ゴボウの草取りは抜きやすいことこのうえない草丈と種類で、とても楽しかったです。れいこちゃんは、メンバ-を焦らせないのに、しっかり動いて貰うことを考えて、的確に指示を出してくれて、とても動き易く、作業が楽しかったです。れいこちゃんの作る空気は優しいけれどきちんとしていると感じ、とても勉強になりました。
 キヌサヤの収穫は、私がなのはなで始めてした畑作業なのです。ちさとちゃんと、キヌサヤを収穫したのを覚えています。その時、苦しすぎて、全然楽しめなかったと思いますが、今となっては、(これが、シロボシかー! あの、甘い、シロボシがこれですか! 前に見た時とは様子が全然違うようになっているな、すごい勢いだな)と、収穫に入れる喜びを噛みしめていました。豊成は同じ株なのに花の色が違うのに驚きました。紫と、ピンクが、とても綺麗です。スイートピーが好きなのですが、蔓にできる豆だから、同じような花でとても美しくていいな、と思いました。

○夜の集合でのお話
 誰かが質問ボックスに入れてくれた質問のお父さんの答えが、とても印象に残り、教えてもらえてよかった、と思いました。できないことでコンプレックスを持たなくていいのじゃないかとお父さんがおっしゃいました。
 5、6歳の子供と25歳の大人がいきなりロシアに行ったら、どちらが話せるようになるか、それは、6歳の子供の方。なぜなら、子供は、「できなかったらどうしよう」とか、そういうブレーキがないからです。25歳だったら、子供より早く覚えなくてはとか、馬鹿にされたらどうしようとか、色々考えてしまいます。
 今の世の中は、できないのにできる振りをしなくてはいけない機会が多すぎる、とお父さんが話されて、本当にそうだと思いました。
 本当は、誰もが、できなくてもそれをコンプレックスに感じることなく、のびのびと挑戦できるはずではと思いました。できないことにあぐらをかくわけでもなく、「いつかできるようになるだろう」と楽観し、恐れないでいられたら、どれだけ生きやすいのだろうと思いました。
 このところ話題によく登場する洞窟おじさんなら、世間の新しいルールに順応できなかったとしても、「洞窟にいたのだし、できなくても別にいい。もっとできることを、する」ということになり、自信を喪失したりはしないのだろうと思います。
 みんな、自分に駄目だししているんだよ、とお父さんがおっしゃいました。世間にあわせたり、格好つけようとしたり、取り繕うために、自分で駄目だししているということなのだと思いました。
 また、お父さんは、みんなに作業をできるようにという求め方はしていないと言われていて、それにはっとしました。勿論、人によっては、できて欲しいけどできていなかったら、それは駄目ということにはなると思うけれど、みんなに同じように、できるできないという求め方をしているわけではないのだと思いました。そのうちできるようになるだろうと思っています、とお父さんがおっしゃって、1回1回、評価して点数をつけているわけではない、ということかと思いました。
 できるできないとか、できなかったら駄目な人という考えにとらわれすぎて、点数がつくのが怖くて、私は、できることなら自分のことは見られたくないと恐れてしまうけれど、本当はそういう苦しい物ではないのだと思います。

 お父さんお母さんがみているのは、できるできないではなくて、作業に向かう気持ちなのだろうと思いました。どこまでもそれだけを見ているのかもしれないと、今日のお話を聞いて、思いました。全力の質が高いかどうかではなくて、全力を出し切れているか、出そうとして、とらわれなく、思い切り動けるかを見ていて、みんながそういう風に動けるようになったら、本人が良く生きられるだろうな、という求め方なのではと思いましたが、あっていますか。

 今日のお話を聞いて、とらわれるのがとてももったいないことだと思いました。
 お山の大将になりたい、ならなくては駄目、ととらわれて、できなかったらどうしようと恐れるばかり。怖いことばかり。そういうとらわれから離れて、思い切りやることができたら、それは一番嬉しいと思いました。できてもできなくても、いつかできると楽観して、6歳の子供みたいに、人の目も気にせずに自分に駄目だしせずに、やるというのが、自由なことなのかと思いました。格好良くなくてはいけないのにとか、偉くなくちゃいけないのに、という拘りは、自分を苦しめて、狭くして、不自由にしてブレーキをかけていると思いました。恥をかくことは怖くないのではと思いました。私は、6歳の子供みたいにとらわれないで生きられたらいいなと思いました。