「良くありたいという気持ち」 ほし

5月9日

 久しぶりの日記になってしまいましたが、少し落ち着きを養った分、書いていこうと思います。

 午後に、キャンプのまとめをする時間がありました。
 私は、つきちゃんと一緒に、まとめをしていましたが、つきちゃんと一緒にいると、安心して落ち着いて話ができて、頭の仲も整理されて、つきちゃんと一緒の空気が大好きです。
 ウォークラリーの当日も、つきちゃんと一緒にいることが多かったですが、つきちゃんと一緒で、本当に楽しかったです。
 まとめをしていても、改善点や、次につなげることも、集中して、二人で深めていくことができました。

 思えば、最近、ソフトバレーが楽しいです。
 時間があっという間です。
 深めていくことが、本当に有意義で、楽しいことだと思いました。

 最近、インターバルウォーキングを始めて、気持ちの持ち方が変わってきました。
 声も出るようになってきました。
 頭の中で、暗い考えや、後ろ向きな考えがグルグルと回っていたのが、無くなってきました。
 私が、苛まれていたものは、シンプルなものだったことに気が付きました。
 私は、著しい緊張感があって、思うように振舞えなかったり、みんなについていけずに、悲しい思いをしたりしていたことに気づきました。
 畑のことを聞くと悲しくなるのは、緊張があって、着いていけないからだと気づきました。
 失敗したらどうしよう、という不安とプレッシャーがありました。
 「良くありたい」という気持ちは、あったと思うのですが、鬱的な考えが巡って、無気力になって、正しく考えることができませんでした。
 ただ、目の前のことに、いっぱいいっぱいになって、何もインプットできずにいました。
 でも今日は、少し違いました。

 これは、今日少しもやっとしたことですが、今日、洗いの時、「エビ嫌い」、「このお皿拭くの嫌い」という声があって、気になりました。
 毎回、少し、洗いの時の会話が気になっています。
 作ってくれた人に対してのありがたみや、自分の役割にこういうのは、モラルの低いことだと思いました。
 私は、「もう全部おいしいよ。嫌いとか言わないの」と言いました。
 私が、人に「違うだろ。これはこうだろ」と思うのは、こういった人に対しての、反発心でした。
 今になって、頭がはっきりして、自分の感じていたもやもやの原因が分かりました。
 私は、気が付いたら、落ち着いて言えばいいのだと思いました。
 そしたら、自分も人も、正しいことに気付けることに繋がると思いました。
 自分が間違っていれば、それなりに人の反応が返ってきて、自分があっていれば、それなりの反応が返ってくるんだと思いました。
 また、自分のことになってしまいしたが、気付きがあったので書かせてもらいました。