「満ち足りて」 りんね

5月6日

*NICK FESTIVAL

  昨夜は、バーベキューとお父さんお母さんライブが併合した、なのはなNICK FESTIVALが開催された。
 会場は赤、青、白の旗が大胆にはためき、豆腐パックで作った大きな“FES”の文字が異彩を放ち、なのはなのロータリーが、フェスティバルの雰囲気に染まっていた。
 嬉しかったのは、今回初めて、バーベキューの配膳をさせてもらったことである。たれと、マシュマロをつけさせてもらった。
 溢れんばかりのプレートを、台車で体育館へ運ぶのも楽しかった。70人分のプレートは運ぶだけでも大仕事だった。
 そして、あこがれだったみんなへお椀を手渡すことをさせてもらった。その際にも生中継ラジオと称して、みんなからのメッセージなどが実行委員さんに読まれる声が中庭に響いており、かなり本格的だった。

 バーベキューは、やはりすごく美味しかった。今回はセッティングをしてくれた人が、みんなが広々と焼けるようにドラム缶の台数を増やしてくれていた。
 とても快適なバーベキューだった。豪快に肉を食べられた。

 バーベキューの後、待ちに待ったお父さんお母さんのライブだった。半円のロータリーにお父さんお母さんを囲むようにしてみんなで座った。
 あやこちゃんがメッセージで書いていてはっとしたのだが、私も、数あるイベントの中でお父さんお母さんのライブが一番好きだということに気づいた。
 お父さんお母さんのライブの時間は、横にも後ろにもみんなを感じ、お父さん、お母さんのありったけの情熱が胸に響く。オレンジ色の光がお父さんお母さんを中心にぼうっと照らされ、お母さんが山小屋をそうであると言ったように、母胎内にいるときのように安心で満たされる。全員が安心で包まれていることを感じる。お父さんお母さんが包み込んでくれる。
 そして、一人ひとりがいつか自立していくときのために、英気を養い、正しい価値観を心に入れさせてもらう。お父さんお母さんは、世界一のミュージシャンだ。

 今回は、様々なテーマでの質問コーナーとリクエスト曲が入り混じっていた。
 私は、お父さんが“帰ってきた馬鹿息子”に例えたお話がものすごく面白かった。お父さんが欠落した家庭を言い表すとき、確信を捉えてコミカルにされていて、面白いのだ。実際、家庭の問題は本当に笑い飛ばすほど馬鹿馬鹿しいことなのだ。そういうことで、自分も含め、生きる死ぬのところまで多くの人が苦しんでいる。

 お母さんの質問コーナーも、嬉しかった。
 上品に生きたくば、そうでありたいと心に決めて生きるよりほかにないこと。それから、自分のことを横に置いて、目の前の人のために考えることができて、初めて、純粋な目で芸術を見ることができること。自分の好き嫌い、自分の拘りがあっては、あらゆる芸術から深いことを受け取ることができないこと。
 時間と場所と人が違えば、その都度答えが変わることも、繋がっていた。人として大切なことを、いつも教えてもらっているが、この夜はより凝縮されて教えていただいた。

 とんぼは、大好きな曲だった。私にとって、幸せのとんぼはお父さんとお母さんであった。だから、曲中にお母さんが舌を出して笑ってくださったとき、涙が出てきた。
 お父さんのギターも、いつにもまして含みある美しい響きをしていた。欲を言えばもっともっと聴きたかったのだが、ボリューム満点のライブにとても満足して、安心して眠ることができた。
 世界一のライブ会場が自宅であることは、本当に本当に幸せなことだった。
 

*山小屋ウォークラリー

 今日は岩見田の山小屋に出向き、待ちに待ったウォークラリーをしてきた。
 今回の山小屋キャンプの目玉とも言えるイベント、ウォークラリー。約5時間もの時間をおじいちゃんの山で過ごすという、壮大な企画。
 楽しかった。最初から最後まで、心が躍った。
 私は今回、なるちゃんやさやねちゃんが同じチームだった。揺るぎなく尊敬し、大好きな人と一緒におじいちゃんの山で過ごせるというだけで、涙が出てくるくらい嬉しかった。
 誇りを持って生きているなるちゃんたちの傍にいると、偽りのない自分でいられた。安心して、数々のゲームを純粋に楽しむことができた。本当に嬉しかった。

 ウォークラリーは、実行委員の寸劇から始まった。山を調査しに来たけいたろうさんとりなちゃんが現れ、りなちゃんが「うりーーーーー!!」と叫ぶと、山から原住民たちが原住民の言葉を発しながら駆け下りてきた。
 原色の模様を顔に施した原住民たちが、すごく素敵だった。まちちゃんの原住民語には、密かに“ペペロンチーノ”が入って、末尾には“うどん”が入っていた。みんなものすごく真剣な表情で原住民になりきって、豊満な遊び心を発揮するのだから、面白くてたまらない。
 そんな風にして原住民に憧れを抱いたのち、自分たちも藁で原住民になりきる衣装を作り、それを纏ってウォークラリーを回れたことも、嬉しい要素だった。チームのみんなとお揃いというのも、嬉しかった。
 ここでは、年末におじいちゃんに教えていただくしめ縄や、すだれを作った経験が抜群に活かされた。おじいちゃんの山で、おじいちゃんから受け継いだ知恵を使わせてもらう。本当に素敵なことだった。
 藁は山の中で着ていると自分の体に馴染んで、心地よかった。保温効果を感じて、冬なんかは、藁を胴に巻けば随分温かいだろうと思った。

 私たちは逆回りルートで、一番最初は吹き矢だった。原住民が飛び出てきて、ゲーム説明をしてくれて、嬉しかった。
 吹き矢の的は、瓜坊、鹿、熊、鷹で、棕櫚の皮や巧みな色使いで山に見事に馴染む的となっていた。最高得点は鷹で、木の高い位置についており、見ただけでもドキドキした。
 私は熊を狙った。かなり距離が遠く、届くか心配だったが、足を突っ張って腰を低くし、猟師さながらの体勢で思い切り吹くと、2発目で命中した。
 “ストン”と矢が的に刺さったときの音が現実感を含んで胸に響き、獲物を捕らえた喜びと高揚を味わった。
 のりよちゃんが難関の鷹に挑み、2発命中させていた。当たっても外れても、スケールの大きい舞台で吹き矢をやったり、見たりしていると、いつもよりドキドキして、心が動いた。

 次はおしろい族の村だった。名前から、一番想像がつかなかった村だった。
 しかし中身はいたってシンプル。小麦粉の中の飴玉を、顔面で探し出すゲームだった。
 私はこのゲームを現実で見たのは恐らく人生で初めてで、ものすごくドキドキした。
 奥まったあずまやに入ると、詰めて腰かけるように言われ、実行委員のあゆちゃんとりなちゃんが、かわいい顔をして平然とゲーム内容を告げて、もう後戻りができない感じがした。
 私のチームでは、まことちゃんとゆいちゃんとまきちゃんが実際にやってくれた。小麦粉に顔を突っ込む、というのが、現実的ではなく感じられて、不思議な心持だった。
 小麦粉から顔を上げたまことちゃんの顔が、想像以上に面白くて、一日の中でも一番笑った。
 残念ながら獲得した飴玉は1個だけだったが、そんなことはどうでもいいと思えるくらい楽しかった。
 まことちゃんが一仕事終えたから、といって、白い顔で配膳に向かったことも面白かった。

 絵描き族では、ものすごく面白いことがあった。それは、預言者の手紙の渡され方だった。
 ひろちゃんが上方を指さし、「あ、あれは、預言者の鳥の○○だ!」と叫び、え? と言いながら木々を見上げていると、足元にどさっと音がした。
 見れば、足元には預言者の手紙がどこからともなく出現していたのだ。
 古典的なサプライズだったが、私はこういうことを体験したことが今までになかったので、純粋に驚いて、胸が高まって、実行委員の遊び心に嬉しさを感じて、笑った。

 昼食は、これもまたお父さんから予告されていて、待ちに待っていたフルーツサンドと卵サンドだった。
 感動的なサンドイッチだった。卵サンドは、卵だけでなくCチームのレタスとハムが入っていて、本当においしいサンドイッチだった。
 フルーツサンドは、クリームの量がサービス満点だった。なのはなでは、たまのデザートはいつも惜しみなく振舞ってもらうので、嬉しい。
 お母さんが「おいしいかい?」と満面の笑みで声をかけてくださったことも、本当に嬉しかった。
 山道の縁になるちゃんと隣り合って座っていて、目の前に銀杏の木の赤ちゃんがいた。なるちゃんが「銀杏だ」と教えてくれて、見ると足元に1年目だろうかと思われる膝丈ほどの銀杏の木があった。小さくも黄緑の葉は立派に銀杏だった。
 こういう、産まれたばかりの、可能性に満ちた樹木を見ると心がときめいた。しゃんと根を下ろし、そこでやっていくことに決めたのだろう。
 しみじみと愛情のこもったサンドイッチの美味しさを感じつつ、隣にはなるちゃんがいて、心の中は嬉しさでいっぱいだった。

 それからもずっと、おじいちゃんの山ではしゃいだ。長時間だったので、最後は疲れてしまったが、嬉しかった。こんなに長い時間おじいちゃんの山にいられて、存分に山を探索し、味わうことができた。疲れるくらい満ち足りているというのは、贅沢だった。

 こんな壮大な遊びを企画してくれた実行委員に感謝せねばならない。だが、みんな自ら楽しんでやっているのが伝わってきたので、私も、原住民になってウォークラリーの実行委員をやりたいと思った。

 山小屋キャンプが終わり、日常がまたやってきた。存分に英気を養わせてもらった。これからもできるだけ自分を離れて、強く明るく優しく生活していきたい。