「あゆちゃんへ」 なお

5月4日

○あゆちゃん

 遅れてしまったのですが5月2日の日記です。
 あゆちゃん、お誕生日おめでとうございます。食事の席で、一人ひとりのおめでとうの言葉に『ありがとうございます』と答えるあゆちゃんがいて、そのありがとうの一言の中にある、あゆちゃんがなのはなの仲間を心から大切に思う気持ちを感じて、嬉しかったです。あゆちゃんがいてくれるなのはなで、今一緒に生活できることを、私はとても幸せに感じます。
 あゆちゃんの、人としてのスケールの大きさ、懐の深さ、情の深さ、正義とやさしさ、それは私にどう生きることが自分の役割なのかと教えてくれます。あゆちゃんは、仲間一人ひとりを深く理解し、そして仲間として必要な存在として大切にしてくれます。人を正しく評価すること、それはその人に対して本当の意味での優しさを向けることができ、大切にできることなのだと思います。

 あゆちゃんの言葉で、最近とても心に残ったことがあります。それはりゅうさんのお誕生日の時のコメントでした。
「自分が一番大切ななのはなの仲間のことを好きになってくれて嬉しい」
 という言葉でした。私は、涙が出そうになりました。あゆちゃんは、なのはなの仲間は、一番大切なものなのだと言ってくれました。あゆちゃんの一番大切なものの中に、自分もまたいるのです。
 誰かの人生にとって、大切な存在であれること、それほど生きる力になることはないと思いました。あゆちゃんは、私の長所も短所もすべて理解したうえで、良いところを仲間として必要としてくれているのだと思いました。向かっていく方向や志が同じであるのならば、たとえ未熟、未完成であっても、自分の良い部分をいつでも最大限に発揮して生きていけばいいのだと思いました。あゆちゃんと、みんなと、そういう気持ちで生きたのならば、自分の小さな力でも役に立つのだと思いました。

 人は誰でも、未熟な部分や欠けているところがあるものだと思います。でも、それを言い訳や逃げ道にするかしないか、という違いがあります。あゆちゃんは、決して言い訳や逃げ道にしないです。みんなのおかげで、自分のマイナスな部分をカバーし、あるべき姿(なのはなのあゆちゃんとしての姿)にしてもらっているとあゆちゃんは話してくれました。そして、常に人を大きく包む優しさを強さをまとって先頭に立ってくれます。そんなあゆちゃんの仲間として、私はしっかりと自分の足で立ちたいと思います。
 あゆちゃんのやさしさに頼り助けてもらうだけではなく、私も自分のできること(自分のプラスの面)を尽くして、あゆちゃんの隣を一緒に歩いていきたいです。
 なのはなのみんなをひっぱるあゆちゃんの右腕、というにはちょっと力不足なので、あゆちゃんの右手親指くらいになれたらと願っています。そして、あゆちゃんのように人を深く理解し、優しくあれるように成長していきます。あゆちゃん、お誕生日おめでとうございます。