「心が潤う」 りんね

4月28日 

*ハウスミーティング

 今日はハウスミーティングがあり、とても嬉しかった。
 お母さんが、なのはなに来た子は、みんな4,5歳の時点で成長が止まっていて、そこから受けるべき躾をされてこなかったから、実年齢に促成栽培するために、お父さんお母さんたちが躾をしてくれているということを教えてくださった。今となって、お母さんの言葉が本当にその通りだと感じられた。
 なのはなでお父さんお母さん、スタッフさんやみんなから教わることは、人として生きるために備えなければならない要素だった。それは4,5歳の子供が疑うことを知らずに母親を信じて肯定するように、吸収させてもらわなければならないことだった。そして、親から正しい躾をされなかった私たちにとって、そうしてなのはなで躾直しをしてもらえることは、本当にありがたく、恵まれたことだった。もう一度、真っ当な人間として生きる道を示してもらっているのだ。

 今、養老孟司の“自分の壁”を読んでいる。
 その中で、伝統芸能を受け継ぐように、人は本来、師匠のような正しい基礎を持った人をまるっきり真似て、自分のものにすることが必要なのだが、現代には真似る対象が存在していないのに、個性を求められ、若い人は困っていると書いてあった。
 私たちはそんな社会で、なのはなでお父さんお母さんに出会い、お父さんお母さんの言葉を毎日聞かせてもらい、正しい存在から吸収させてもらう機会を得ている。本当に幸福なことだ。

 もっと吸収しなければならない。今までの人生で間違ってしまった部分を修正しなければならない。
 あゆちゃんが18歳だったころ、きっとすでにものすごく頼りがいがあっただろう。あゆちゃんがスイカを掌で割っていたのは16歳くらいのころだそうだった。
 もし自分がお父さんお母さんに育てられて、18歳になったらというところまで、促成栽培しなければならないのだ。
 遠いな、道は険しいな、と感じる。だが確実に前進しているのだ。なのはなを信じてこれからも生活していく。

 自分の壁に、“自己”“自我”“自意識”という意味での“自分”は、地図上の現在地点であるということが書いてあった。自分、個々の人間と言うのは、同じ地図上の点でしかなく、その点は絶え間なく動いているのだから、自分という概念はあってないようなものだと書いてあった。
 お父さんお母さんのお話をいつも聞かせてもらっているから、余計にその意味が理解できた。とにかく自分というものに拘る必要はないのだ。
 また、他人に対しても拘る必要はないのだ。自分たちは点でしかないという考えが、わかりやすかった。

 

*絹さや

 連日絹さやの手入れに入らせてもらった。防除、誘引、収穫などだ。
 絹さや。畑でも随一の繊細さを持った野菜ではなかろうか。それが今ではどうだろう。メインの豊成という品種は、全ての株が身長180センチほどになり、どの品種も旺盛に蔓を茂らせ、花をつけ、豊かに莢を実らせている。
 これはずっと心の中で願っていた光景だった。こうなったら、本当に素晴らしいのにな、でも絹さやは病気にかかりやすくて、なかなか全部がうまく育つことはないんだよな、と思っていた。だが今、夢が実現していたのだ。
 絹さやが定植された去年の11月ごろから、霜から株を守るために、毎日ビニールの開け閉めを行った。ゆず畑は風が強い。風が強すぎてビニールが止まらなかった日が1日あった。一時止まっても、洗濯ばさみの力では朝にはビニールが開けていることがあった。
 みんな一生懸命ぐるぐると丁寧に止めてくれているのに、翌日には開いていて、心が痛んだ。
 それでも絹さやは死んでしまうことはなかった。寒さのために葉先がしなびても、復活した。
 根腐れか、立ち枯れ病か、とにかく株が丸ごと枯れてしまう事が度々あった。毎日の見回りで、数株ずつやられているものを撤去し、悲しかった。根切り虫が大量に発生し、戦った。主軸をやられ、残ったのはか細い脇芽1本のみ、という株が散見された。そんなとき、畝は空白が多くて心細かった。

 それなのに、今はどうだろうか。あのか細かった脇芽が、成長してくれたのだ。畝の空白も埋めるほど、元気に蔓を茂らせてくれるようになったのだ。
 春の温かさを感じて、ため込んできたエネルギーを一気に放出したのか。多く茂っていても病気が来る気配もない。
 ああ、本当によく育ってくれたなあ。苦労はかけたけれど、こんなに誇らしいほど立派になってくれたんだなあ、と感じた。本当に嬉しい。
 こうして収穫される莢は、1つひとつが宝のようだ。艶やかで張りのある美しい莢が、今までの手入れを肯定してくれた。徒労ではなかった。失敗したとしても、それは意味のある経験となるだろうが、やはりこうして大きく成功してくれると、本当に嬉しい。
 野菜が豊かに育つということは、心を潤わせてくれる。絹さやの成功に立ち会わせてもらえて、本当にありがたかった。

 

*支柱立

 今日は午前午後と、支柱立の作業をした。
 去年も同じことを言ったが、支柱立の作業はなによりも楽しい。(なのはなでは度々なによりも楽しい作業があるのだが……)
 抱っこちゃん結び、これはこなれてきた。3本同時に留める応用もできるようになった。これをなおとさんが、3本指で表す何とかの定理と言っていた。まさにその通りの位置関係で、ものすごく面白かったのだが、私は高校の勉強をしていないから、名前を忘れてしまった。残念。また勇志で習うのが楽しみだ。

 今日一番嬉しかったのは、ネット張りだ。なおとさんチームで4人で1畝進めて、容量を学び、次はまちちゃんと2人で1畝を進めた。
 今までと違ったのは、まずネットを畝の端まで引っ張って、仮留めしてしまうこと。それから、まゆちゃんの提案で、浮いてしまいやすい下のスズランテープを、“抱っこちゃん結び”で竹と結び合わせることで、浮かなくなったということが大きかった。
 そうすれば端以外は、上下のみ留めるだけで、全体としてぴんと張ることができた。ものすごく速かったし、これなら、今後ネットが緩むということもない。
 こんなに気持ちのいいネット張りは初めてだった。まちちゃんと心が深く通っていた。お互いの、“本当はこれくらい速く、綺麗に作業することができるはずだ”という気持ちが通じ、迷いなく張っていくことができた。
 何ともすっきりとした嬉しい気持ちで、配膳をしに古吉野へ走って向かった。

 

*大江健三郎

 大江健三郎の“死者の奢り・飼育”という短編集を読み終わった。
 なんとこれが、彼の最初期の作品集であったようだった。何冊も読んでいく中、著者の理解が深まっていく。やはりどんどん好きになっていく。
 主人公に深く共感することがある。私も、こんな風に誇りを持って生きたいと感じる。こんな風に心を動かしたいと、こんな風にもっと清冽に明瞭に経験を得ていきたいと感じる。たくさん揃えられてあって、まだまだ読めることが本当に嬉しい。