「ひらめくという感覚」 まち

4月21日(火) 

 夜の集合で、お父さんが、日記には人のいいところだけを書く、外向きの内容だけを書く、人を評論しない、と教えてくださって、ほっとしました。人を評価する練習をしていたけれど、なんか心が苦しかったです。私は間違った評価の仕方をしていたと思いました。「この人はこんな人」という表現が好きです。心の中だけで、正しく人を認識すること、評価すること。日記に書くことは、人のいいところ、作業で感じた楽しかったこと、面白かったこと。そうすれば、私の心そのままを日記に書けばいいのだと思うと、本当に、心が楽になりました。

 午後に憧れの草刈りができたことが嬉しかったです。本当に楽しくて、ずっとやっていたい、と思いました。草刈りと言えば、私にとってあやこちゃんの顔が一番に浮かびます。あやこちゃんがやりたいと熱望する草刈りとはいかほどに魅力的な作業なのか。やってみて納得、楽し過ぎて、時間があっという間です。人がやっている姿は簡単そうに見えるのに、いざやってみると、すぐに地面にぶつかってしまったり、地面から浮かんでちゃんと刈れなかったりで、もどかしい。けれどすごく楽しい!もっと上手な人や慣れている人の動きを見て、学びたいと思いました。

 お父さんが、エンジンのかけ方を教えてくださって、その通りにやるということを、どれだけ自分が怠けていたか、認識違いだったかを改めて実感しました。料理人のたとえをお父さんが教えてくださって、それが非常に分かりやすかったです。どんな仕事も、教えてもらうときは、だいたいとか、なんとなくとか、雰囲気覚えるのではなく、ちゃんとコピーするように、完璧に真似ることが大事だと、お父さんは教えてくださったのだと思いました。「学ぶ」とは、「まねる」が変化したものだ、と昔聞いたことがあって、まさしくそれだ、と思いました。仕事の大原則を、自分は怠けていたのだと気付かされました。そうやって、あるべき姿を、草刈り講習会を通してお父さんが教えてくださったことが嬉しかったし、お母さんも来て下さったので、優しくて、安心感のある中で、貴重な作業をさせてもらったと思います。ありがとうございました。

 グラウンドに竹取りで残った笹が大量に余っていて、あとは燃やすだけ、となっていたけれど、もったいないな、となんとなく思っていました。今日、すだれ作りの片付けをしていて、ひらめきました。これ、草敷きに使えないものか。今年はどの野菜も草敷きをするようで、大量に草が必要な気配がします。草の取り合いになるだろうな、となんとなく思っていたので、もし、笹が使えたら、しかもこんなにたくさんあるのだから、かなり助かるはず、と思って、やよいちゃんに、思い切って言ってみたら、いいと思う、去年もしていたし、良かったら集合で燃やさないで下さいってまちちゃん言ってみて、と言ってくれて、お父さんも良いねと言ってくれたので、良かった、と思いました。ひらめく、という感覚を、私は久々に経験したと思います。もっと良くしたい、良い物を作りたい、と思っていると、ひらめくものなんだと思いました。だからお父さんはどんどんアイデアが浮かんでくるのだと思いました。そういう感覚を、自分はもっと研ぎ澄ませたいと思います。もっと日常や作業に興味を持って、もっと良い物を作れないか、効率よくできないか、と考えて、わくわくして生活してみたいと思います。笹も、今は枝が付いていたり、草敷きにするにはちょっと使いにくいのかな、と思っているので、明日の朝、どういうふうに加工して保存すれば、草敷きに使いやすくなるのか、偵察に行きたいと思います。それで、もし必要な作業があるなら、畑のリーダーさんに相談して、段取りを作ってみたいと思いました。

 

 自分のことになってしまってすみません。草刈りが、こんなに楽しいと思えたことが、嬉しかったです。心が作られた状態で、覚える仕事は、何でも楽しいのだと、改めて思いました。一から仕事を覚え直す気持ちで、どんな作業も、わくわくして取り組んでいきたいです。

 人を評価することが、人の悪いとこ見つけのような感覚になっていた私にとって、今日のお父さんの集合のお言葉にすごく救われて、嬉しくなりました。「この人はこんな人」と、その人全体を正しく評価して、心に落としていきます。人と接するときは、その評価の上で、適切に関係を取っていきます。そして、日記に書いたり、頭に浮かべることは、人の良いところ、毎日の楽しいこと。そうすれば、良いのだと思いました。

 いつもありがとうございます。明日も、良い日になりますように。またひらめきたいです。