「今を」 れいこ

4月10日

 先日、牛肥を追肥してから、レタスの成長が著しいです。
 追肥というよりは、元肥の感覚でたっぷりやったら、ぐんぐんのびのび大きくなってくれていて、嬉しかったです。
 あと10日もしたら収穫が始まりそうだなと思いました。
 吉畑手前ハウスに大玉トマトが定植されて、吉畑手前ハウスに整然と2mの支柱が並び、その下で小さく誇らしげに根を張ろうとしている幼苗が可愛らしかったです。
 ナッツの葉が、今までとまるで違う植物みたいにつやつやして、柔らかく伸びていて、実も一気に大きくなっています。ナッツにとっても、やっと春が来たんだなと感じます。少しホッとしています。
 自分が少し離れてみたら、不思議に野菜が元気に見えます。
 これまで、毎日毎日、梅林のレタスを見に行くたびに、ほとんど大きくなっているのか分からなくて、ちゃんと収穫できるのだろうか、手入れが随分下手なのではないかと不安だった気持ちが嘘のようでした。
 1株しおれているのを見るだけで、絶望的な気持ちがじわーっと胸に広がって、こんなんじゃダメだ!という曖昧な怒りを、どこにぶつけていいのかも分からないまま、溜め込んできたのだと思いました。
 それが限界に達して、爆発してしまったことが、この怒りの原因かもしれないと思いました。
 怒りの頂点にあったときは、どうしても人のせいにしてしまっていました。
 みんな同じ密度では心配してくれない、なんでそんな怖い顔しているんだろう、悲しい、寂しい、と思ってしまいました。
 でも、少し冷静になって考えたら、野菜はちゃんと自分の力で根を張って、自分の力でたくましく生きているのでした。
 私たちの手入れがどうこう以前に、まず、1つの命を野菜なりに、力の限り精一杯全うしようとしているから、本当はもっともっと強いんだなと思いました。
 私は、本当には野菜を信じられていなかっただけだったのかもしれない、と思いました。

 昨夜、消灯後に目をつぶって考えていました。
 私は目の前の寂しさにいっぱいいっぱいになってしまっていたけれど、きっとお父さんお母さん、あゆちゃんは、比べ物にならないくらい深い寂しさも乗り越えてきて、だからこそ美しいのだろうなと思いました。
 なのはなファミリーのお父さんお母さんは、お父さんとお母さんにしかできないです。
 いい日も悪い日も、お父さんお母さんであり続けるのは、とても孤独であると思います。
 あゆちゃんの存在があるから、次の世代を創っていく1人の女性として、希望を持てます。そんな美しさを切り開いていくあゆちゃんのそばにも、孤独があるのかなと思いました。
 でも、もし、お父さんお母さん、あゆちゃんと一緒だとしたら、私は誇りを持って乗り越えていきたいなと思いました。
 今の状況も、決して悲観すべきことではない気がしました。

 今日は三島由紀夫の「金閣寺」を読みました。
 午後からは梅林の畑で、読んでいました。
 お父さんが教えてくださったように、三島由紀夫は本当に天才だなと思いました。
 人間の醜さからも決して目を背けず、大胆に緻密に、それでいて後味爽やかに表現できるのが、すごいなと思います。
 まさに、心を耕される、という言葉がぴったりな感覚で、未知の世界をまた1つ開拓したような喜びを感じました。
 さっき、まえちゃんが、桃の花の押し花のしおりをくれました。
 まえちゃんのさりげない心使いが、心に沁みて、あたたかかったです。
 明日は、「罪と罰」を読んでみようと思います。