「れいこちゃん」 るりこ

1月30日

○れいこちゃん
昨晩、山小屋便り2月号が完成しました。のりよちゃん、れいこちゃんと、お父さんのところに持っていき見ていただいて、一発OKをもらえたことが嬉しかったです。

今月号から、編集メンバーにれいこちゃんが入ってくれました。わたし自身も、れいこちゃんが入ってくれたことで、初心に返って編集を進めることができました。
それでも、れいこちゃんと並んでパソコンに向き合っていると、これまでも一緒に編集をしてきたような気がしていました。そう感じてさせてしまうくらい、れいこちゃんがわたしとのりよちゃんにずっと気持ちを沿わせてくれていたのだと思いました。きっと、わからないことだらけのなかだったと思うけど、れいこちゃんは絶対にそれを言葉や表情に出しませんでした。わたしとのりよちゃんが目指す目標に向かって、れいこちゃんは同じ気持ちで居続けてくれたのだと思いました。

夜、わたしが編集をしていると、れいこちゃんがそっとやって来て、「るりこちゃん」と笑って横に座り、わたしがレイアウトをしているところをじっと見て勉強してくれていました。「るりこちゃん」。れいこちゃんのその一言だけでも、れいこちゃんの真っ直ぐさ、編集を覚えたいという意欲が伝わってきました。わたしの心は、仲間が増えた喜びでいっぱいになったのと同時に、れいこちゃんが妹のようにも思えて可愛かったです。
編集期間は夜の時間も編集に費やすことが多いけれど、れいこちゃんは何も言わず、夜、朝と、自分の隙間時間を見つけて、コツコツと進めてくれていました。

わたしが1番嬉しかったことは、編集3日目の夜でした。わたしはリビング前のパソコンでレイアウトをし、れいこちゃんは後ろのパソコンでレイアウトをしていました。
21時50分頃、れいこちゃんが、「るりこちゃん! 終わった!」と本当に嬉しそうな笑顔で伝えにきてくれました。そのとき、丁度わたしも目途が立ったときでした。2人がほぼ同じタイミングで編集の目途が立ったことが、偶然のように思えなかったです。
そして、れいこちゃんのやり切ったと感じさせる、すがすがしい表情がきれいでした。れいこちゃんが初めて作った、セブンブリッジの記事。レイアウトが美しくて、さらに見た目からも楽しさが伝わってくるレイアウトでした。1番最初からここまでできるれいこちゃんが、ただただ、すごいなと思いました。
翌日、れいこちゃんが、「できたときの達成感がすごい。これ(編集)、楽しい!」と言いました。その言葉が、言い表せないくらい本当に本当に嬉しくて、救われたような気持ちになりました。

さらに今日、「れいこ、リビングにある山小屋便りは全部読んだよ」と教えてくれました。思えば、れいこちゃんがなのはなに来たばかりの頃、一生懸命に山小屋便りを読んでくれている姿をよく見かけました。最新号が出来上がったときも、1番に読んでくれていて、その姿に嬉しい気持ちになったことを今でも覚えています。
純粋に山小屋便りが好きだと言ってくれて、仲間が書いた記事や、仲間が感じた気持ちを受け止め、吸収しようとする姿勢、なのはなのことをもっと知りたいという、れいこちゃんの心持ちが本当にきれいだと思いました。
そんなれいこちゃんが編集メンバーに入ってくれたことが、何回も書いているけれど、やっぱりどうしても嬉しいです。

今月号は成人式から始まり、フルメニューや畑作業、そして年末年始へ続く、全54ページの、最近のなかでも超大作の山小屋便りができました。
個人的には編集に関してものすごく調子が良くて、写真と文章をみて、どういうレイアウトにしたいかという勘(?)がよく働いて、1つひとつの記事を自分のなかでハイスピードで効率良くできたと思います。なので、できあがってから全54ページにも及んでいたことに驚いてしまいました。
それもこれも、のりよちゃん、れいこちゃんがいてくれたからだと思いました。のりよちゃんがどんなときも明るい空気でリードしてくれたこと、れいこちゃんが編集メンバーに入ってくれて、最後まで笑顔で楽しんでやってくれたこと。大好きな2人とだったから、わたしも最後まで楽しみながらできました。
今月号から目次は、【編集者 のりよ るりこ れいこ】になります。
3人の記念の号が、良いものにできてとても嬉しかったです。

 

最後に、山小屋便りのことでもう1つ。
昨晩、山小屋便りが完成して達成感でいっぱいで眠りについたはずでしたが……夢のなかでも山小屋便りのレイアウトをしていました。それが、ある1つの記事が入れても入れても枠に収まりきらなくて、レイアウトが完成しない! という悲劇の夢でした。夢のなかでどうして、どうして! となっていて、あまりの悲劇につい目が覚めてしまいました。何かを知らせる予兆かと思い、朝起きてすぐにデータを開いて、全ページを上から確認しましたが、しっかり完成していて(小さいミスを3つ見つけて修正しましたが)、安心しました。
自分としては、夢でも山小屋便りをしていて、笑ってしまうような、おかしな夢だったなと思います。

 

○ゆりちゃんの日記
昨夜、お母さんが、卒業生のゆりちゃんから送られてきたメールをコルクボードに掲示してくれて、わたしも読ませていただきました。
お母さんのお誕生日をお祝いする内容でしたが、社会人として外で働いていると、なのはなのお父さんとお母さんが教えてくださること、お父さんとお母さんの生き方の偉大さを改めて実感することがあると書かれてありました。
なかでもわたしは、お母さんの『仲間集め』について書かれてあった文章が心に留まりました。

「お母さんは、よく、『仲間集めをしている』と仰いました。
私は、なのはなにいたとき、既にお父さんとお母さんが集めてくださった優しい仲間たちの中に入るだけだったから、お母さんの『仲間集めをしているんだ』という言葉の意味が、本当には分かっていませんでした。
(中略)
改めて、優しい人、真面目な人が、傷つかない、真面目な人が真面目に生きられる、足の引っ張り合いのない社会にしていかなくてはいけないのだと思いました。
真面目にやりたい、本気でやりたい、自分の全能力を尽くしたい、そう真摯に思っている人の気持ちが挫かれるような世の中は、闇です。
流されずに、真面目に真っ直ぐに取り組んでいる姿は、きっと誰かの希望や救いになる、そしてその姿勢をどこまでも保ち続けることが、特に大切なのだと思いました。」

この文章を読んだとき、今のわたしは、上の文章だと思いました。最近も、日記でお母さんの仲間集めの一員になりたいということを書きましたが、じゃあ自分は本当のその意味を理解しているだろうかと考えると、本当に、「はい」とは言えないと思いました。
でも、なのはなの卒業生として、なのはなの気持ちで自立しているゆりちゃんが、体験としてそれを感じ、お母さんの言葉の本当の意味がわかったこと、お母さんの仲間として、自分も新たな地で仲間集めをしていくんだという決心をしたという気持ちを共有させてもらって、そんなゆりちゃんの姿が、わたしの希望だと思いました。
ゆりちゃんの文章、言葉の選び方からも、ゆりちゃんが本当にそういう気持ちで働いたり、真っ直ぐに生きているのだなということを感じました。そう思ったとき、今でもずっと、ゆりちゃんを憧れの人として思っている自分が恥ずかしく思いました。ゆりちゃんの日記に、自分の気持ちを奮い立たせてもらったように感じました。

読んでくださってありがとうございました。
おやすみなさい。