「自分の果たすべき役割」 みほ

 

 人間がモラルを無くし地球環境を破壊すると、地球はおかしくなってしまう。人間がモラルを無くし虚しい競争に走り、その中で傷付いた人たちが様々な依存症になる。地球環境の破壊と私たちの苦しさが結びついていること、私たちは社会がこのままではいけないと訴えて変えていかなくてはいけないと今回の脚本で学びました。
 コンサートの練習のなかでダンスは細かいカウントをみんなで揃えていきました。出はけもたくさん練習していきました。ここしかないという正解は1つしかなくて、そこに絶対合わせるんだという強い意志が無いとできないものでした。私は自分の気持ちの曖昧さを実感しました。ここしかないというのは人生も同じだと思いました。持つべき気持ちや取るべき行動はもう決まっていて、これしかないという強い意志を持って生活しないといけないと思いました。

 初めて後半の脚本を読んだとき、ツバサがそのまま私でびっくりしました。私はツバサと同じ勘違いをしていました。両親が私がおびえようが泣きわめこうが自分の思いどおりになるまで時には暴力も使って私を叱っていたことは、親の愛情だったのだと信じていました。なのはなに来た時、これまでは暴力的な支配があることが当たり前だったために、それが無くなると逆に不安になっていました。
 私は本当にダメな人間だから両親にそんな仕打ちを受けないとダメな大人になると信じ込まされていました。それが、間違いだったと認めることはあまりに話が違い過ぎて悲しすぎてなかなかできませんでした。
 両親にそうやって依存している状態にあると治る軌道に乗れなくて苦しい日が続き、お父さんお母さんみんなに失礼な態度をとってしまい迷惑をかけてしまいました。それでもお父さん、お母さん、のんちゃん、シスターさん、スタッフさん、みんながいてくれたから、勇気を出して勘違いだったと認めて、ようやくなのはなの子になることができました。
 ただ、もう洗脳された状態になっていて、それを解くために10日間、「私はこんな勘違いをしました。間違った考えです」と作文を毎日書きました。そうしたら、洗脳がとけたようで私は別人のようになりました。毎日がキラキラ輝いて、身体がよく動くようになりました。
 お父さんやお母さん、みんなを見ると心が弾むような気持ちになって自然と笑顔があふれるような気持ちになりました。初めて人を好きになること、人を信じる気持ちを持てたんだと思いました。

 

 

 本当の愛情というのは「理解し理解されること」とお父さんが教えてくださいます。私は60人の家族に愛されているんだと幸せを感じました。みんなとコンサートの練習をしたり畑作業をしたりする中で、「みんなの中だから私は生きていられる、みんなって本当に大切な存在だな、みんなの中で、私には役割がある、だから、私も大切なんだ」という気持ちになってきました。長い間ずっと忘れていた自尊心を持つことができたのだと思いました。
 私が10日間作文を書き続けて気持ちが変わったことをお父さんお母さんが喜んでくださり、その作文からツバサができたことを教えてくださいました。この時また私はお父さんお母さんみんなに失礼な態度をとってしまいました。
 両親を心配する気持ちが出てきてしまって気持ちを込めてツバサを演じることはできないと思い、苦しくなってしまいました。親離れ中枢に関わる依存症である摂食障害の病的な感情でした。気持ちを込めてツバサを演じること、これはお父さんとお母さんからの、私がもう病気を手放して生きていけるための最高のプレゼントでした。
 
 自尊心を不当に傷つける行為は絶対に許されてはいけない、今の世の中ではモラルのない学校でいじめがあり、家庭で虐待があり不当に自尊心を傷つけられ、心が苦しくなってそれを苦に自殺してしまう人もいます。
 いじめた側はいじめられた側が壊れてしまって初めていけなかったんだと気づいて、「そんなつもりじゃなかった。暴力も愛情の内、そんな愛情も分からないのか」と言い訳をして、忘れて普通に生きていく。
 いじめられた側は、壊れてしまった心、それによって失った時間を取り戻すことはできない。そんな社会はおかしいとツバサになって、怒りを表現すると決めました。
 それでも、ツバサ役をやろうとすると目が泳いだり動きが不自然になったりしてなかなかうまくできませんでした。やよいちゃんが本当に長い時間をさいてくれて一緒に、「このセリフではこういう気持ちだから身体の向き、目線はこうで、こういうふうに言おう」というのを何回も何回も見てくれました。だんだん気持ちをのせてセリフを言えるようになってきました。

 

 

 本番のあと、お父さんに、「明石とつばさのシーン泣かせどころになっちゃったよ」と言ってくださったことや、みんなが、「みほちゃんだからこそのセリフで感動した」と言ってくれて嬉しかったです。自分に変化がありました。私は毎晩のように親の夢を見て夜中に起きてしまっていたのですが、親の夢を見なくなりぐっすり眠れるようになったのです。その時、親を不快にさせたら本当に怖い目に合うんだと思って、それがこの年までずっと続いて、親を心配してきたんだなと気が付きました。
 体力的にも立場的にも優位にある親がそれを使って子どもを支配して、その子供が「怖いよ、怖いよ」って親を心配して心がこんなに不自由なままこの年までいなくてはいけないなんて、そんなこと許されていいのかってやっと気が付きました。
 私は厳しい親の支配に耐えて苦しんできたんだなって心の底から気が付きました。それと共に自分の未熟さを痛感しました。いつも目が泳いだりまごまごしたりするのは「叱られるのが怖い気持ち」がどこかにあって、自分の意志を持てないでいるからだと思いました。アカリのように正しい正義を持って、「私はこう生きていきます」と力強く自分の意志で生きる人間になりたいと思いました。
 『セカンド・ワルツ』では傷ついて壊れた人形のようになってしまった心の不自由さ、そして、その人形のように固まってしまった心が明石さんや他の精霊たちとの出会いの中でだんだんほぐれていくことを予感させるような、そんな踊りにしたいと思って表現しました。

 

 

 本番はわくわくして、やるんだという気持ちでむかえました。これまでの人生で入試とか、部活の大会とか大きな本番はあったけれど、いつも失敗するイメージしか持てなくてしょんぼりしてむかえていたのでこんなことは初めてでした。
 お父さんとお母さんは絶対評価で精一杯がきれいなんだと言ってくださいます。お父さんとお母さんの中にはもうあるべき形があって、それに到達できていなければ厳しい言葉をかけていただきました。最後まで演劇が全然だめだったけれど弱気にはならなくて、やってやるという気持ちでいっぱいでした。
 それはお父さんとお母さんが私があるべき姿に到達することを信じてくださって、真剣に私に向かってくださることを肌で感じさせていただいたからです。自分のことを信じることはできないけれど、お父さんお母さんのことは信じているからできるって思えました。

 本番は100人の家族とご飯を食べました。こんなに大勢の方に仲間にしていただいたらもう怖いものは無いと思いました。
 660人の観客の前で表現させていただいて、自分は正しい正義のもとに優しい社会を作っていくと宣言させてもらえて、また、この社会のモラルを正していかなくてはいけないと訴えさせてもらえて本当に嬉しかったです。そして、私はこれからの人生そういう役割を背負って生きていくんだと思えて本当に幸せです。人間を止めてしまわなくて、生きていて本当によかったです。
 お母さんが、人生はプラスマイナスゼロだから苦しかったらその分喜びが大きいんだよと教えてくださいました。苦しかったけれど、アカリのセリフにあったように、これから自分の人生をかけて社会のために全力で尽くしたら、どんな素晴らしい人生にできるんだろうと希望にあふれています。


●感想文集 目次●

「私が生きる意味」 れいこ
「ジャンと私」 けいたろう
「一筋の光へ駆ける」 やよい
「自分の果たすべき役割」 みほ
「私たちの生きる道」 さやね
「埋もれることが美しい」 りな
「世界が動き出すまで~明石小二郎の人生を生きて~」 なお


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