「一筋の光へ駆ける」 やよい

 

 午後13時、勝央文化ホールの緞帳が上がります。『バッド・ロマンス』から始まる今年のウィンターコンサート。幕が上がると同時に拍手が湧き上がりました。まだ見ぬ誰かが私たちを待っていてくれたのです。燦然とした輝きを全身で感じました。

 目の前にいるお客さんは、これからなにが始まるのだろうかとわくわくしています。私たちはこの日のために全力をかけて走ってきました。

 レッスンルームで摂る昼食の席は100人を超えていました。お父さん、お母さん、なのはなファミリーのみんな、ホールの竹内さん、2週間前から帰ってきてくださって制作を進めてくださり、ホール入りしてからはスポットライトを担当した大竹さん、ビデオ、写真を担当してくださった中嶌さん、岡さん、大野さん、正田さん、照明には白井さん、永禮さん、台所の河上さん、水田さん、そして、たくさんの卒業生の人たち。私は本当にたくさんの人と繋がった中で本番を迎えました。幸せでした。

 緊張は、喜びへと変わりました。一曲一曲にかけるみんなの思い、練習してきた日々、一曲一曲、1シーン1シーンを早くお客さんに見てもらいたい。この私たちの表現を自慢したい。私はみんなの一部だと思うと、誇り高かったです。

 私はみんなのなかで、役割を全力で果たしたかったです。未熟ななかでも成長していきたかったです。

 お父さん、お母さん、みんなと、一体となって走りました。今日までの過程はかけがえのない宝物でした。大切に大切にしなければならない宝物でした。

 

 
 

■バッド・ロマンス

 今年のウィンターコンサートの幕開けの曲、『バッド・ロマンス』。一つひとつの振りを踊るたびに、あゆちゃんが教えてくれたこと、バディ練習で揃えた振りが思い起こされました。

 あゆちゃんが前から見てくれて練習したときの、美しさを求めて、みんなと揃えるために、厳しさがある練習の空気が好きでした。あゆちゃんがたくさんの言葉を私たちに伝えてくれました。
「自分の気持ちを出すのではなく、後ろ、横、前にいる全員のなのはなファミリーの気持ちを出す」
 私はそれを聞いて、今まで「みんなの一部」と何回も言葉に出していたけれど、そのことが自分には本当に入っていなかったと気づきました。私はいつも、個人プレーで踊っていました。自分を通して、みんなの気持ちを出す。他の一人も同様で、そう思うととても心強く、安心感がありました。
 のんちゃんは食事の席で、「自分が踊っているから、みんなも踊っている。みんなが踊っているから、自分も踊っている。」そうコメントしていました。ああ、そういうことなのか、と思いました。

 私は仲間意識が大きく欠けていました。私の課題でした。人に対する、思いやりの気持ち、敬う気持ちが弱く、コンサートに向かう中で育んでいきたい。私はここに来るまで育てられなかった感情をここで一から育てていきたいと思いました。

「厳しくなければ、美しくない。」
 あゆちゃんのこの言葉が胸に響きました。いつもこの言葉が頭をよぎりました。いつも、自分に問いかけなければいけない。気を抜いていると気づく度に修正していく必要がありました。

 れいこちゃんチームでバディ練習を毎晩しました。ふみちゃん、のりよちゃん、ひろこちゃん、ななほちゃんと練習しました。れいこちゃんはいつも笑顔で明るく、れいこちゃんの内にあるイメージを目一杯伝えてくれました。
「この振りは高級なエレベーターが開閉するイメージ」
「この振りはロマンチックに。」
「動き出すことが予測できなかったのに、急に動き出す感じ」
 れいこちゃんのなかには振りごとに明確なイメージがありました。私は普通には踊れていたとしても、その一段上に行きたかったです。ただの体操から、本当のダンスを踊れるようになりたかったです。自分の直線的な動き、淡泊さを壊したかったです。

 バディ練習はとても貴重な時間でした。れいこちゃんがいつも前から見てくれて、気づいたこと、もっと良くなるためにとみんなに伝えてくれました。
 れいこちゃんは踊るときも、演じるときも、ステージに一歩でも踏み込めば、自分を捨て別人になりきっていました。表現とはこうでなければならない。
 日常の延長線上でダンスを踊ったり、台詞を言ったりしてしまってはいけない。自分を捨て、そのとき求められる役になりきって役になりきらなければならない。私はこのことが難しく、どうしても意識を高く持たなければ、普通の人に戻ってしまいました。
 れいこちゃんの魅せる姿から学びたいと思いました。れいこちゃんとバディ練習、演劇練習をできることが嬉しかったです。

 幕開けの曲、『バッド・ロマンス』は今年の顔見せの曲。これが今年のなのはなファミリーのメンバ-。私の身体からはみんなの気持ちが出ているんだ。そう思うと力が湧き上がります。この魅力的な仲間を見てほしい。未熟であったとしても、みんなとだから堂々と誇り高く踊りました。

 
 

■精霊2人とレオナルド・ダヴィンチ登場

 今年の1シーン目。私はキョウコを演じました。キョウコは私よりも8才上のお姉さんでした。
 なおちゃん演じる、明石が経営する骨董品店『センチュリー・アート』を人間の姿で訪れるときは、傲慢ちきで強気で気取った、お金持ちのコレクターのキョウコを演じました。今まで自分と近い年齢の役を演じてきたから、成人した女性を演じるのが難しかったです。
 声の出し方も今まで通りではいけなかったです。お父さん、お母さんがイメージする、脚本にあるキョウコを演じきりたいと思いました。

 演劇練習がはじまったばかりのときは、自分の演技の甘さにどうしようもない気持ちに襲われたけれど、堂々とアカリを演じるれいこちゃん、どこまでもエンターテイナーのなおちゃんの姿を感じると、私はこのままではいけない、と思いました。
「この世の中に大きな怒りを感じていて、ちゃんと生きるってことを諦めている」
 キョウコの魅力は、強気で気取っているけれど、純粋で素朴な部分があるところです。キョウコは魅力的な女性でした。自由奔放で、お金を自由に使って、物をコレクションしているけれど、この世の中の人々の不真面目さ、流されて生きることをよしとしている姿に、あきれて、物を買いまくることで憂さ晴らしをしていました。

 

 

 お父さんに演じ方を教えてもらいました。
 演劇では、感情を表情だけでなく、役者との距離の取り方、立ち位置、身体の角度で表現します。好きか、嫌いか、プラス発言なのか、マイナス発言なのか、それをはっきりと理解し、動きに反映させないと、曖昧な演技になります。自分の台詞への理解度、解釈などが自分の演技に全て現れます。

 演技は難しいけど、面白いです。
 お父さんに教えていただき、演じ方を覚えていくことで、自分には浅くしかない感情、または自分にはない感情を演じて表現することによって、自分がその感情を知るような、彩りが増えていくように思いました。
 私は演じることで、キョウコを知り、感情を知り、見せ方を学びました。もっと、色んな役を演じてみたいと思いました。
 私は傷ついて、苦しくなったことで、あまり気持ちを感じないようにして、自分を守り、感情の幅が狭くなりました。その不自由さをよしとしては絶対にいけない。演劇を手段として、本来あるべき人間味溢れる人になるために、自分の感情をもう一度広げていきます。

 冒頭の台詞。
「ガーガーガー。ガーガーガー。地球の温暖はものすごいスピードで進んでいる。
 人間の世界はいよいよ終わりに近いづいている。」
 今まで言ったことのないこの奇抜で印象的な台詞、この台詞を精霊のキョウコとなって魅力的に言いたかったです。1シーン目の1番初めの台詞。お客さんが聞く初めの言葉。バッド・ロマンスからこの台詞でお客さんを引き込みたい。今年の脚本の世界へ。
 この台詞を精霊のキョウコとして、魅力的に言うのを難しく感じました。この場面の台詞はなかなかピンと来ませんでした。体育館で鏡を見ながら何回も練習しました。なのはなファミリーの一員として、ステージに立つ者として、魅力的に演じたかったです。

 
 

■ネバー・ギブ・アップ

 今年のテーマ「ネバー・ギブ・アップ 決して諦めない。」
 センチュリー・アートに突如現れるあかり。
「乱暴しないでだって? 私はね、今、乱暴したい気持ちなの。
 何もかもぶっ壊したい気持ちでいっぱいなの!」
 怒りと憤りに満ちたアカリの姿はなのはなに来る前の私たちの姿。けど、アカリは諦めず戦いつづけていました。今の社会の空気に流されず、優しく生きることを諦めていない。
 れいこちゃん演じるアカリの姿はあるべき姿でした。あるべき生き方を求めて、諦めずに戦う強さ、美しさ、正義感。そう生きねばならないです。

 あゆちゃんが音楽室で指揮をしてくれて、あゆちゃんとみんなとしたコーラス練習の風景が蘇ります。
 あゆちゃんの指揮で、みんなが一体となって、一人ひとりが大きく口を開けて、全力で歌いました。音楽室にみんなの気持ち、歌声が何度も何度も響きました。
 私たちは傷ついて、人生に躓いてなのはなファミリーに辿り着きました。不器用に歩んできたけれど、今こうして一本の道筋を示してくれる場所に出会い、そしてその道筋を共に歩む仲間と出会いました。 
 これから利他心がある原始的な人間の道へ帰るんだ。今は砂漠の中を歩もうとも、みんなで帰るべき場所を見つけるんだ。今はなくても、私たちなのはなファミリーがあるべき場所を作る、とお客さんに伝える歌。

 あゆちゃんがネバー・ギブ・アップの解釈をみんなに伝えてくれました。
 あゆちゃんはダンスでも、コーラスでも、全体演奏でも、みんなの先頭に立って、その姿、歌声、言葉であるべき姿を示してくれました。あゆちゃんが導いてくれるなかに入れたことが本当に有り難かったです。あゆちゃんはいつも全力でみんなに伝えてくれました。私はできる、できないに拘らず、そんな弱い自分は捨て、あゆちゃんから全力で吸収したいと思いました。

 諦めないアカリの姿、そのアカリを守るように歌う、踊る。とあゆちゃんに教えてもらいました。
「アカリ諦めないで。私も諦めないから」
 そう思いながら、舞台袖から、ステージに立つみんなに気持ちを送りました。

 
 

■ジャン・ケイタ登場、そしてなぞなぞバトル開始!

 夜の9時~10時の演劇練習の時間に、なおちゃん、けいたろうさん、れいこちゃん、まゆこちゃんと、そして彫像メンバーのさくらちゃん、ひろこちゃん、ゆきなちゃん、まことちゃんとなぞなぞシーンの演出を練習しました。演技を見合いながら、自分たちでアイデアを出し、動きやリアクションを自由に提案しました。
 お父さんはそのシーンで遊ぶことは役をもらった人の特権だと仰いました。
 夜の体育館でみんなで「遊ぶ」ことが楽しかったです。みんなが役とシーンを愛し、もっとよくしよう、面白くしようという気持ちで色づけしていけた時間がとても楽しかったです。お父さん、お母さんが言う「遊ぶ」というのはこういうことなのだと実感しました。

 
 

■ワット・ドゥー・ユー・ミーン

 お父さん、お母さん、あゆちゃん、みんなと音楽室で行ったコーラス練習の時間が大切な宝物です。
 お父さんはみんなが一度歌う度にアドバイスをくれました。
「カナダ人になりきって歌う」
「ワと、ドゥと、ミを強く歌う」
「手でリズムを取りながら歌う」
 お父さんの言葉は魔法のようでした。一回一回のアドバイスでみんなのコーラスが見違えるように変化していきました。音楽室の中に、大勢の人が入って、全力でコーラスを歌いました。私はみんなの一体感を強く感じました。私はみんなと家族であることが本当に幸せだと思いました。

 
 

■少年レオナルド

 

 

 りなちゃん演じるレオナルド・ダヴィンチの幼少期の姿は、なのはなファミリーの私たちの姿です。
 アスペルガーの特長は、優しい、真面目、人間味が濃い、嘘がない、その性質を持った人は今の世の中の中で生きにくさを感じます。りなちゃん演じる、レオナルドの叫びはなのはなファミリーみんなの叫びです。

 ブイブイと言って登場し、「アスペルガーだからこそ見える世界もあるんだ!」と決め台詞を言って、またブイブイと可愛らしく軽快に走り去って行く少年レオナルド。私はこのシーンが大好きでした。なのはなのみんなが大切に思うシーンの一つです。

 体育館で通し練習を行ったときに、前からこのシーンを見たときに少年レオナルドの演技でもっとこうしたらよいのではないか、と思い付くことがいくつかありました。
 私は自分がよくできると思ったことをりなちゃんに伝えました。それからしばらく毎日りなちゃんと夜の時間で演劇練習をしました。
 次の日の通しのあとの反省会で、「りなの演技が良くなった。」と仰いました。そのことがとてもとても嬉しかったです。自分にもできることがあるんだ、と思えて嬉しかったです。
 ウィンターコンサートをよりよいステージにするため、貢献できることが嬉しかったです。少年レオナルドの走り方、最後の決め台詞、継母にペンを奪われる場面、一つ一つの場面がもっとよく出来ると思いました。そして、りなちゃんと練習するたびに、日に日にそのシーンが色鮮やかさをましました。

 
 

■ウィ・ドント・トーク・エニィモア

 生きにくさを語るアカリと、その気持ちが手に取るように分かる明石。アカリを話を聞いた明石の残念でいたたまれなく思う気持ち、優しく生きたいと願う人が傷ついてしまうこと状況を変えることができないことを申し訳なく思う気持ち。そして、今もこの世界のどこかで痛んでいる子供達がいるんだという悲しさ。

 あゆちゃんにこの曲に入るときの気持ちを教えてもらってから、『ウィ・ドント・トーク・エニィモア』がとても踊りやすくなりました。
 本当に明石の気持ちに乗せて、明石の気持ちを前へ飛ばそうと思うと、とても切なくなりました。
 本番、私は明石の残念でいたたまれない気持ち、悲しさに乗せて、会場の人達へ私たちの気持ちが切なく届くよう表現しました。

 
 

■ダヴィンチと2人の弟子

 ダヴィンチは解剖している最中に解剖している遺体から見つけたボロボロの血管からあることに気づきました。血管がボロボロになると、人間は死ぬ。
 地球で生きている人間のモラルが下がり、間違った方向に向かうと地球もそれを感じ病気になるのだと。地球も生きている。地球は人間の行いに怒りを感じ、異常気象を起こしたり、急激に温暖化が進んでいく。
 ダヴィンチの価値観の確立、発見、私たち人間は間違った方向へ進んでいる。500年前に気づいたダヴィンチの事態は今も暴走を止めることができていません。欲のままに行動し、暴走する人間達。モラルの低下を止めて、この事態を変えていかなければ、人間に天罰が下る。
 人間に天罰が下る前に、地球の怒りが爆発する前に、なんとかしなければならない。一人、そう気づいたダヴィンチの意志、使命感にのせて、『シェイプ・オブ・ユー』を踊りました。

 そして、ダヴィンチの意志を受け継ぐものとして、これから生活します。お父さん、お母さんが書き上げたこの脚本にあるメッセージを未熟であったとしても私もまだ見ぬ誰かに伝えていきたいです。発見したダヴィンチと同じ気持ちになります。この危機的な状況を変える一人になりたいです。

 私はダンスで淡泊になってしまいます。ダンスの淡泊さは私の課題でした。少しでも淡泊さをなくして立体的に踊りたかったです。練習が必要でした。しかし、ある時間は限られています。鏡の前に立って、自分の姿を見ながら練習しました。個人練習では気づけないことを、バディ練習、あゆちゃんに見てもらってのダンス練習で気づけることが沢山あります。それが私の甘さだと思いました。
 あゆちゃん、れいこちゃんに教えてもらいながら、ダンスのポイント、修正すべきところを教えてもらえることが有り難かったです。

 あゆちゃんは『バッド・ロマンス』の練習をしているときに言いました。
「本当にこの曲を好きになって、振り付けてくれたのんちゃんの気持ちを汲めば、あるべき形にいけるはずなんだよ」
 私が本当に表現すべきダンスを踊れるようになるには練習だけでなく、精神性を高めなければならないのだと思いました。

 ダヴィンチが2人の弟子と解剖するシーンが大好きでした。ある日の体育館での通し練習でダヴィンチの弟子役の2人がシーンの中で、「よっダヴィンチ!」「親方!」と叫んでいました。
 脚本の中で、精霊のキョウコとアカリが言った台詞です。脚本の登場人物が脚本の中でパロディをしたのです。本当に面白くて、そのシーンで遊ぶなおとさん、ちさとちゃん、まちちゃんの姿に嬉しさを感じました。
 冒頭の羽を広げて飛ぶレオナルドと、追いかける弟子2人の動きも、一回一回の通しで動きが変わっていきました。

 

 

 さやねちゃんが考えてくれて、今年は夜の時間の流れの枠が決まっていました。7時半から8時半がダンス・コーラスバディ練習、8時半~9時までがアンサンブルの練習、9時から10時までが演劇練習の時間となりました。
 9時からは平日はお勤めに出ているなおちゃんも帰ってきてくれて一緒に練習することができました。私は、演劇係として、その時間でどのシーンをどのくらいの時間練習するかを考えました。役者がかぶっていなければ、同時並行で2、3シーン練習することができます。
 私の不安はリーダーがいないなかで、そのメンバーのみで上手く進むことができるか、という点でした。私はその不安があったけれど、その不安は無視して、A~Fのパターンを作り、そのパターンに沿って自動的に、そのシーンのメンバーが練習できるように仕組みを作りました。

 夜の1時間練習はとても有効だと感じました。主要役者以外のシーンでも、解剖のシーンのように、練習時間をとることで、各シーンが確実によくなっていきました。ダンス、コーラスと同じようにバディ練習で、誰か1人強く引っ張るリーダーがいなくても、メンバー同士でよくしていけたのだと思います。まきちゃん演じる意地悪だけれど上品な継母、りなちゃんのかわいらしい少年レオナルド、レオナルドを慕う生き生きとした弟子のちさとちゃん、まちちゃん、堂々として威厳のある親方のかにちゃん、親方の弟子ののりよちゃん、さくらちゃん、最後の晩餐でそれぞれがキャラクターを色濃く演じる、かにちゃん、えつこちゃん、まみちゃん、えりさちゃん。

 どのキャラクターも日に日にキャラクターが立って、好きな気持ちが増していきました。みんなも演じることを楽しみつつ、お互いにそのメンバーとよくしていきました。みんなの役を好きな気持ち、演じることを楽しむ姿を感じました。

 私は演劇係として、自分ができることの全てをやりたかったです。通し練習が上手く進むように、練習段取りや、黒子決め、みんなへの呼びかけ、みんなが楽しく演劇練習できるような仕組み作り。今年はじめてコンサートに出る人達に自分が伝えられることは全て伝えたいと思いました。

 演劇係でマネージメントする側として動くとき、自分がみんなのためにできることがあることがとても嬉しかったです。なのはなファミリーに受け入れてもらって、みんなの家族になりました。みんなのために自分ができることを全てしたかったです。未熟な自分でも、みんなのためにできることがある、そう思うと意欲が湧いてきました。

 大事なことは、演技が上手になることではなく、演技という表現を通して、みんなの気持ちが上がること、成長していけることでした。

 なおちゃんは平日はお勤めに出ていたけれど、夜は9時には必ず帰ってきてくれて一緒に練習して、土日は一緒に練習して、なおちゃんはいつもなのはなのみんなと同じ気持ちでした。私が手が回らないこともなおちゃんがいつも助けてくれました。

 なおちゃんがいてくれると、その場の空気が明るくなって、なおちゃんが全力で手放していつも外向きに演じているから、私もその姿に刺激されて、自分も少し演技が上手になったような気分になりました。

 私はあゆちゃんが考えてくれたダンス・コーラスバディという仕組みがとても画期的で優しいシステムだと思いました。
「今年は少し一味違う。みんなが夜の時間にバディ練習を行っていて一体感がある」
 お父さんはそう仰いました。あゆちゃんは今のメンバーでできる最高のベストパフォーマンスをするため、誰かひとりが統率するわけではなく、公平な文鎮型の優しい仕組みを作ってくれました。あゆちゃんのリーダーシップは私のお手本です。正義を強要するわけではなく、本当に目の前のみんなに良かれという気持ちで、かつ本質を見失わないリーダーシップがあゆちゃんにはありました。あゆちゃんのようになりたいです。

 

 
 

■ビート・イット

 アカリはレオナルド・ダ・ヴィンチから与えられた使命を胸に、人間界を救うべく全力で走りました。しかし、救おうとしている人間たちは、誰も温暖化のことを本気で受け止めてない、流されて生きることをよしとしている、誰も競争をやめようとしない、自分勝手で、欲まみれでそんな人ばかりの人間界に嫌気をさし、人間界を降りようとします。

 アカリはまっすぐで正義感が強くて、そんな世の中を許すことができませんでした。
 私は、アカリに申し訳ない気持ちがありました。

 私の中には競争心がありました。それはここに来るまでに私は、理解されなかったために、私の存在を見てもらいたいという気持ち、何者かにならなければ、蔑ろにされてしまうという、嫌われてしまうという怖さから来るものです。わたしは心のどこかでヒロインをやろうとしていました。
 私は失敗がとても怖く、利他心ではなく、失敗しないためにという目的で頑張ってしまうことがあります。
 その自分は捨てたかったです。私はなのはなファミリーに来て、みんなと出会って、みんなと家族になりました。何も怖いものはないのに、私はまだ本当の安心を得られていなかったです。脚本の中に答えはあります。その答えを自分のこととして受け止めて、私はアカリのように、この世の中を変えるためにあきらめないで一生懸命生きる人間になりたい。

 仲間を信じること、仲間を大切に思うこと。仲間意識は私の大きな課題でした。

 私はここに来るまで誰からも信頼されることなく、また、信頼できる人もいませんでした。私はどうしようもなく苦しくなったことで、私の中の自分という存在が大きくなりました。私は他人に対する思いやりの気持ち、敬う気持ちが浅いです。
 その自分をよしとしてはいけない、あぐらをかいてはいけないです。この不自由さをよしとしてはいけない。

 自分が何よりも大きくて、自分の正義を通そうと思ったら、周りにいる人すべてを超えて自分の意見を通そうとしてしまう部分があります。優先順位で迷ったときに、みんなでやることよりも、自分ひとりですることを優先してしまうのも、自分の不安を守るためです。不安はもう持たなくて大丈夫。私はみんなと家族なのだから、失敗も怖がらなくて大丈夫です。

 優しく生きたいと願う人たちが、この生きにくい世の中で苦しくならずに生きていけるように私は変わりたい。変わらなければいけないです。お父さん、お母さん、なのはなのみんなを信じて、自分の競争心、不安感、自己否定感をなくしていきます。
 失敗しても嫌われない。何ができても、できなくてもいい。一生懸命に生きることこそ美しい。私は変わりたいです。

 あゆちゃんが教えてくれました。
「利他心とは、あるか、ないか、そういうものじゃない。死ぬまで一生突き詰めていくのが利他心。お父さん、お母さんより自分は利他心が浅いと思ったら深めていけばいいだけの話」
 私は未熟であるけれど、間違ってもそのたびに素直に何回でも修正して、死ぬまで利他心を深めていきます。

 アカリは一生懸命全力でかけたけれど、自分と同じくらい危機感をもって、地球の温暖化を真剣に捉えている人はいない、と嘆きました。アカリと同じように、この危機感を真剣に捉えて、そして、傷ついたことによって身に着けてしまった雑味、私の汚い部分を手放して、本当にお父さん、お母さん、アカリのように生きたいです。
 お父さん、お母さん、あゆちゃんが志す世界を本当に作れるように尽力できる人間になりたいです。

 
 

■ミリオン・リーズンズ

 

 

 今の世の中の子供たちが傷ついている世の中で、自分は社会を作る一員であるけれど自分もその社会に流されて生きてきてしまったこと、そして、それを恥ずかしく思う気持ち、残念に思う気持ち、ツバサに向けた包容力のある優しさを向けた明石の気持ちに乗せて、表現する曲、『ミリオン・リーズンズ』。

 ツバサ演じるみほちゃんと、みほちゃんがツバサを深く演じられるように一緒にみほちゃんと練習を重ねました。
 はじめは動きをつけて練習をしていたけれど、みほちゃんの気持ちがストレートに表現されるには身振り、手振りに頼ることではなく、派手な動きをつけることはではなく、シンプルに気持ちが伝わるように演じることだと気づきました。
 みほちゃんはいつも真剣で誠実でした。お父さんから教えてもらったことを脚本に書き込んで、なおちゃんが作ってくれた演劇・演出の基礎を読んでその通りに演技をしようとしていました。

 みほちゃんがツバサになって、気持ちをストレートに台詞にのせて、表現できるよう、本番まで絶対に諦めないで私もみほちゃんに沿って、サポートしたいと思いました。私は未熟だけれど、分かることの全てをみほちゃんに伝えました。一緒に、台詞の解釈、動きを考えることが私にとって勉強になりました。

 みほちゃんの演技が日に日によくなっていくのが分かりました。

 精霊のツバサが人間に生まれ変わって、人間界に降りたとき、ただただ生きるのを苦しく感じていました。そして、ツバサはみほちゃんそのものでした。精霊のツバサとなって、みほちゃんの気持ちを真っ直ぐに飛ぶように、そして、それがみほちゃんの成長に繋がります。

 
 

■スカイ・スクレーパー

 アカリ演じるれいこちゃんが全身全霊で一輪車で表現する曲。れいこちゃんは毎日17時から一輪車を一生懸命練習していました。れいこちゃんが一輪車で飛んでいるように舞う姿が美しかったです。
 アカリは人間に幻滅したけれど、本当の本当には諦めていなくて、「人間なんて」の先には、「どうして、気づかないの」という言葉がありました。

 れいこちゃんはなのはなのみんなの気持ちを背負って、一輪車に乗っていました。その姿が綺麗でした。魅せる意識の高さだけでなく、普段の一生懸命さ、努力によってこの表現はなりたっているのだと思いました。
 ステージには立っていないけれど、アカリと同じ気持ちで、アカリにパワーを送るように袖幕に立っていたかったです。
 れいこちゃんの一輪車の技が成功するたびに、会場から暖かい拍手が湧き上がりました。

 

 
 

■セットファイアー・トゥ・ザ・レイン

 ダ・ヴィンチの3つの機械の謎を解き明かし、アカリが人間界に戻ってきて、明石はついに学術学会を開き、研究発表を行います。
 明石は、世界中にレオナルド・ダヴィンチの意志を伝えていく、決意したのです。

 お父さんは、この脚本を余す力なく、全力を振り絞って書き上げました。太陽の方向をとらえる水晶に導かれ、太陽光を集める凹面鏡で海面に光を集めて、海水を沸騰させ、雲を作り、雨を降らせて、海水の温度を下げます。
 盗まれた3つの機械と、その用途、そして、ダ・ヴィンチが数々の絵に込めたメッセージをお父さんは考えました。

 なおちゃん演じる明石は会場のみなさんに、堂々と誇りを持って、ダ・ヴィンチの意志を、なのはなファミリーのお父さん、お母さんの意志を伝えます。なのはなの輪が大きく広がります。

「今日家に帰ってから、まずにっこりと微笑んで、目を大きくぱっちりと見開き、その目を輝かせて、今日のなのはなファミリーのコンサートがいかに素晴らしかったか、ご家族にたっぷり話してください」
 お客さんに苦しい世の中を少しでも生きやすい世の中に変えていこうというメッセージを、地球の温暖化が進んでいることをみんなに真剣に考えてもらえるように、みんなと練習した振りを揃えて、気持ちを一つにお客さんに伝わりますように、そう願いました。

 
 

■シャンデリア

 幕が上がって、キョウコの初めの台詞は不安要素の一つでした。何回も何回も練習しました。
 袖からステージへ出たとき、私は何かに守られているのを感じました。冒頭の台詞は今までで本番が1番上手に言えた気がしました。自分の力ではなく、大きな見えない力に守られていました。私の力ではなく、なのはなファミリーのみんなの力で私は動いているのだと思いました。

 お父さんがゲネプロ後の夕食のとき、私たちに言いました。
「みんなは僕にとって精霊みたいです。急にぱっと現れて、しばらく時間が経つと、また、他の場所へ行ってしまう」
 今いるメンバーでこのホールで、明日ウィンターコンサートをできるのはこのひとときだけなのだと思いました。4時間の一瞬一瞬を大切にかみしめて、味わうように、表現したい、ステージに立たないときも、みんなに気持ちを注ぎました。

 

 

 アカリの最後の台詞。
「どんな、大きな困難を前にしても、希望を持つことができる人達がいる。
 明石さん、ジャンさんと力を合わせて、私も自分のすべてを掛けて挑戦したならどんな素晴らしい人生になるだろうって、思ったんです。」
 この台詞は私たちの気持ちでした。ステージに立っている私たちは、この世の中を変えていくために、自分のすべてをかけて素晴らしい人生にしていく。1人でなく、みんなとそう自分自身に誓う。私はこれから仲間と共に、すべてをかけて生きていく。そう思うと、私は本当にみんなで家族になれて幸せだと思いました。私は幸せものだと思いました。これ以上何を望むこともないのだと思いました。

 たとえ、どんな困難が前に立ちはだかったとしても、絶対に諦めないアカリのように、戦っていく、まだ見ぬだれかのために。これから生きていく人達のために。

 私たちはこの日、この場所で660人の前で約束しました。
 本当に、今日の日まで、この4時間に向かって、みんなとかけた時間が楽しかったです。
 ありがとうございました。


●感想文集 目次●

「私が生きる意味」 れいこ
「ジャンと私」 けいたろう
「一筋の光へ駆ける」 やよい
「自分の果たすべき役割」 みほ
「私たちの生きる道」 さやね
「埋もれることが美しい」 りな
「世界が動き出すまで~明石小二郎の人生を生きて~」 なお


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