「みんなとの宝物」 まなみ

○5時間18分のドラマ

5時間18分に渡る、長いドラマが始まりました。
出てみたら、意外と走れてしまった、という心境です。
今でも、完走できたことが信じられないです。完走証を手に、現実であることを確認します。
42.195キロを走り切った瞬間、まだもう少し走れる、と思いました。

フルマラソンは、私が想像していたほどの過酷なものとは真逆でした。己の体力を思い知らされる壮絶な戦いと思っていましたが、火事場の底力ならぬ、マラソンの底力が発揮されました。
完走できたとして、6時間ギリギリで帰ってくる予想でしたが、時速八キロペースを乱すことなく、体力がついている手応えを実感しました。

○諦めないこと

4月20日。フルマラソン前日、午前の作業、山畑でカボチャの畝を作りながら、私は憂鬱でした。頭の中は明日の不安でいっぱいで、絶望的でした。
夜の集合でお父さんが、「前半の走りで、決まる。みんなは、始めから飛ばす傾向があります。抑えて、抑えて、絶対に最初から飛ばさない。足を使いすぎないこと」とよく説明してくださいました。
その言葉を聞くたび、(飛ばすも何も、飛ばせない。私には関与しない話だ)と思っていました。なのはなコースの九キロでバテてしまう、しかも常に最後尾の私が、フルマラソンに出られる足腰なのか疑問でした。

私は、今までも、練習では梅の木コースが精一杯で、石生コースをまともに走れた日がありませんでした。奈義コースも、今回初めて覚えた道のりです。
毎年、みんなが列になって走っていくのを、遠くから眺めて、手を振っていました。超がつくほどマイペースな私が、42キロもの果てしない距離を走ることは現実的に可能なのか、自信は全くありませんでした。

そう思う度に、みんなと1月から走り込みを始めた日々を思い出しました。みんなと一緒に毎日走ったこと。そのことが私を信じさせてくれました。

「練習は嘘をつかない」
不安になるたび、お父さんの言葉を思い出して、気持ちを整えました。
私は、長くコツコツ何かを地道に続ける、ということが極度に苦手です。
今までの人生で、そのエピソードが皆無です。

短期間で結果を求めようとしては、手を打つのが早過ぎたり、辞めたりを繰り返してきました。それが私の人生でした。積み重なったものがない分、感じるもの、得られるものは小さかったです。
でも、今回初めて、フルマラソンという壁に飛び込んで、私は変わったと思います。
前の私なら、走り切れるか保証もないのに練習に出ることが苦しく感じていたと思います。今回は、走る前提で練習に参加しました。当日のことは深く考えず、とりあえず、通年完走しているみんなと同じやり方を繰り返す。それに徹しました。

今までと今回の違いは、『フルマラソンに出たい』という思いがあるか、ないかでした。そう思わせてくれたのは、なのはなの仲間です。みんなが、私をフルマラソンに連れて行ってくれて、完走させてくれた、と言っても過言ではないです。

私と同じように苦しんだ仲間が、目の前で走る姿。
その姿は、まさに希望でした。私はみんなの最初を知っているから、それこそ信憑性のある、『回復していく姿』です。みんなが、それを体現してくれました。

そんな仲間の姿、生き様を見ていると、固まっていた気持ちが揺れ動きました。
私もそうなれる、と思えました。今まで、私はみんなと違う、と思っていたけれど、そうなれないはずはない、私もやってみよう、と思うようになりました。

初めて、継続は力になるのだ、ということが、実体験としてつかめました。諦めないことが、一番のポイントだと思いました。諦めなければ、何でもできる気がしました。
今までの私から、抜け出せた気がしました。

○フルマラソンのスタート

フルマラソン当日の朝。5時に起床するみんなの足音で目が覚めました。夜はきっと眠れないだろうと思っていたのですが、意外と寝付けたようです。熟睡でした。

卒業生の子も何人か帰ってきてくれて、フルマラソンを一緒に走りました。前日、ゆりかちゃんが居室へ来て、「あみちゃんたちの布団、余分にあるかな」と確認していたので、起きてすぐにあみちゃんの姿を探しました。
車に乗ったとき、コンタクトをつけるのを忘れたことに気が付き、慌てて車を降りると、あみちゃんが声を掛けてくれて、思わぬ再会が嬉しかったです。

現地へ到着すると、朝六時台でもランナーの方々らしき車があったり、道中に「あと五キロ」の看板が設置されていたりと、マラソン大会の空気が漂っていました。車内で朝食や仮眠をとり、心の準備をする時間がたっぷりありました。仮眠の時間は一睡もできず、緊張はピークでした。

『2019』私のゼッケンナンバーが年度と同じで語呂が良く、ラッキーナンバーでした。
背中をつきちゃんと付け合いました。集合写真を撮り、「エイ、エイ、オー!」と決めて、いざゲートへ出発です。
グラウンドに並ぶと、ひろこちゃんが隣にいました。後ろを振り返ると、あけみちゃんにゆうこちゃん、まぁちゃん、みんながいました。靴紐を固く結び、心と身体の準備が整いました。どんな旅になるのだろう。緊張はこのとき、溶けました。

スタートの音が鳴りました。早速走り出すかと思いきや、何百といる人たちが団子になっているため、私のいる付近は中々進まず、進んだかと思いきや、僅かに徐行するだけでした。先頭のランナーの走りっぷりに目が点になりつつ、徐々に加速して、ようやくゲートを通過。
周囲にはミニマラソンや応援組のみんなや、なるちゃんやまえちゃんがカメラを構えて、「行ってらっしゃい!」と手を振ってくれて、旅の冒頭からエネルギーをもらいました。

○人との繋がり

一番最初は、フルマラソンを走っているというより、お祭りのパレードに参加しているようでした。
コースに出て驚いたのは、道路全面に広がって走ることでした。今までの練習で右側通行を徹底していた私にとって、カルチャーショックのような、不思議な感覚でした。フルマラソンならではの雰囲気でした。

仮装をして走る人、老夫婦の方、看護婦や医者の名札をつけて走る人、目の見えない方と、伴走者として隣で走る人。ホノルルマラソンのTシャツや、マラソンTシャツを着て走っているベテランの方。それだけでなく、右も左も、応援してくれるたくさんの人たちがいました。どこを見たらいいのか分からないくらい、濃厚な雰囲気でした。

走り始めて数分後、男性の方が、「なのはなさん、ですよね? 今年は何人で走るんですか?」と声を掛けてくださいました。筋肉マッチョの印刷が施されたランニングウェアを着ている、気さくな方でした。
近くで走るあけみちゃんやひろこちゃんを見て、「あそこにおるんも、仲間じゃろう? あっちにも、あそこにも。たくさんおるなぁ。走り込みはいつ頃からやっとるん?」と好意的な言葉をくださいました。
なのはなファミリーを好きでいてくれる、支えてくださる人がいることを、肌で感じた瞬間でした。

私が、「今回、初めての参加なんです」と話すと、「頑張ってな。このペースなら、完走は間違いないよ」と言ってくださいました。
スタートを切って十分もしないうちに、出会いがあると思っていなかったので、ここで既にフルマラソンの醍醐味を実感しました。

私の目の前にはあけみちゃん、やよいちゃん、まちちゃん、ひろこちゃんが走っていました。油性マジックで書かれた掌のタイム表よりも、仲間の背中が私の信じる矛先でした。

「一キロ通過。このペースで大丈夫」
隣でそっと教えてくれたひろこちゃんと、また折り返し地点で会おうね、と言って走りました。
やよいちゃんの走る姿が、とてつもなく爽やかでした。
私は後ろしか見えていないのですが、後ろ姿が颯爽としていて、とてもサラリとしていました。一歩ずつ、着実に踏み出すやよいちゃんの、生きるリズムを感じました。

軽快な足取りで、まちちゃんの後ろを走りました。
普段の練習で、私は常に最後尾をマークしていたので、先頭陣のあけみちゃん、まちちゃんと近くで走らせてもらうことが光栄でした。
前半はとにかく、なのはなのベテランランナー、あけみちゃんを見失わないよう、意識して走りました。
そしてこの日の目標は、何としても一時までに折り返し地点へ辿り着くことです。
お父さん、お母さんに会いに行くこと。ハーフマラソンをとりあえず克服しよう、と思い、足を前に出しました。

○安心できる居場所

気が付くと、商店街に入っていました。近代的な道路から下町へタイムスリップしたように、景色が変わりました。
噂の物真似の方、綾小路きみまろさんと熱い握手を交わしました。その直後、聞き覚えのある声が背後から聞こえました。振り返ると、永禮さんが応援の方に溶け込み、手を振ってくださいました。
大好きな永禮さんに会えて、エンジンもフル回転し、力が漲ります。

地域の方々の応援が何よりあたたかく、今でも鮮明に思い出せるほど、印象が濃いです。人の気配がないところでも、頭上から「頑張れー!」と大きな声が聞こえてきます。
空を見上げると、あるお宅の二階の窓から女の子と男の子が、窓から乗り出すように応援してくれました。
たくさんの人が、ハイタッチをしてくれました。家の軒下で、「頑張れ、頑張れ。」と旗を振りかざして応援してくれる人や、「笑顔良いですね!」と言ってくださる方。水をかけてくださる方もいました。

繋がる感覚がしました。それは、とても居心地の良い、安心できる居場所に感じました。1人で走っているのではないことを、胸に置きました。

「まなみちゃーん! 良いペースだよ!」
カメラ越しに叫ぶなるちゃんの大きな声が響きました。手を振るなるちゃんが、天使のようでした。天使の羽が見える、と思いながら、手を振りました。
そのとき、自分自身が走っている感覚がしませんでした。全くしんどくなくて、身体がふわりと軽くなりました。負荷がなくなって、足が大股になり、両手を挙げて万歳をして、ずんずんと前に進みました。
私が力を入れているのではなく、誰かに身体を預けたような感覚で、どこまでも走れる、不思議な力が身体に備わりました。
みんなの応援が、私の給水所でした。

私が予想していたのは、遅すぎて給水所に何もなくなっているパターンでした。あっても水のみで、みんなが話すバナナや塩、かりんとうや梅干しは完売しているのではないか、と思っていました。
第1回目の給水所に寄るとき、取るタイミングや、混雑具合、足を止めてしまわないか、など心配していました。
給水所は、ランナーが取りやすいように長机を数個並べてあり、取りやすく、紙に「パン」や「バナナ」など、印刷した紙を貼り付けてあって、遠くからでもどこに何が置いてあるのかが分かりやすく、位置取りがすぐに把握できました。

地域の方がボランティアで出してくださっている場所もあり、そこで飲み物をいただこうとすると、「おこわ、今できたてだよ」と色とりどりのおにぎりを並べてくださっていたり、種類豊富なエネルギー源がたくさん用意されていました。
私はお好み焼きに寄る暇はないと思っていたのですが、ちゃっかり寄ることにしました。
鉄板周りをたくさんの人が囲んでいました。ランナーの人達が必死に頬張る姿を見て、焼いている方が、「みなさん、本当に走る気ありますかー? これからですよ!」というツッコミに、笑いが起こりました。

○出会いとスポンジ

フルマラソンで私が楽しみにしていたこと。それは、出会いとスポンジです。
よくテレビで中継されるマラソン選手が、スポンジを頭に絞りかけるシーンに、憧れていました。今回、初スポンジを体験して、やみつきになりました。スポンジの威力を知ってからは、毎回給水所でスポンジをもらいました。後半はダブル使いでした。

大会当日は気温が高く、太陽が出ていたため、スポンジから滲み出る冷水が気持ちの良いこと。首筋、手首、膝、背中、各所にスポンジを当てました。スポーツドリンク×スポンジで、それまでの疲れがかなり軽減されるのを感じました。

また、レモンの偉大なるパワーにも驚きました。普段、積極的に食べない苦手なレモンの、クエン酸は疲れた身体に効果覿面でした。
給水所が混雑していて、隙間から大急ぎでオレンジを取るつもりが、ふと手元を見ると、レモンを一欠片持っていました。げげっ、まぁいいや、と思い口に含むと、レモンの甘さにビックリしました。
私の知っているレモンではありませんでした。長い間走り続けた身体に損なわれた栄養を、レモンがカバーしてくれました。身体が蘇る感覚がしました。
それからは、積極的にレモンを探しました。

向こう岸に、まえちゃんたちがいました。あのジャンパーは、まえちゃんだ! と思いながら、両手を振りました。応援組のみんなに早く会いたい、そう思って目の前を見ると、向こう岸までかなりの距離があり、とてつもなく待ち遠しかったです。
目に見えるところにまえちゃんがいるのに、私は直進で走っていて、どんどん遠ざかります。カーブを曲がり、ようやく会えると思いきや、まだ坂があります。みんなの声援を頼りに、足を動かしました。
17キロ地点ほどで、トップの方と思われる男性とすれ違ったときは目が点になりました。筋肉があって、短パン姿の男性でした。引き返しているわけではない。これはただ折り返しただけだ、と思い、速さに圧倒されました。
次に驚いたのは、なるみちゃんとすれ違ったことです。速いことは承知していましたが、まさかここで会うとは、という脅威的な速さでした。「なるみちゃん!」と叫ぶと、なるみちゃんの隣にいた男性の方も笑顔で手を振り返してくださって、一瞬驚きました。
なるみちゃんの軽快な足取りは相変わらずで、風のようでした。

○折り返し地点へ

折り返し地点まであと少し。その頃にはなのはなの子が続々とすれ違い、ゆうこちゃん、さやねちゃん、のりよちゃんにゆきちゃん、のんちゃんやはるかちゃん、ゆずちゃんにまゆちゃん。みんなとハイタッチをしました。

みんなの走りには疲れが一切見受けられず、日焼けした肌と笑顔が印象に残りました。もう少しで、お父さんとお母さんに会える。そのことだけを考えました。
折り返しまであと二キロ、となると、制限時間の一時には間に合うからなのか、周りのランナーの方で歩き始める方が急激に増えました。私は、それほど疲れていませんでした。
フルマラソンを、歩かずに走り続けたかったので、バテて歩いてしまう、ということにならないように、体力を余しながら走らなければ、と思いました。

4月の始めに下見に来たとき、「ここが折り返しです」と川の流れる側でお父さんの周りに集まった場所を、思い出しました。そろそろか、と思えば坂があり、カーブがあり。ようやく辿り着いたとき、お母さんとけいたろうさんが、掌に何かを持って、立っていました。お母さん!! ハグしたい気持ちを抑えて、お母さんとけいたろうさんに手を振りました。

私の前後にはなのはなの子がいて、きっとバタバタしていたのだろうと思います。お母さんは私の前にいた子に何かを渡している様子で、その子が曲がった瞬間に私がぬっと現れたので、驚かれていました。
お母さんが、かりんとうを1つ、私の掌に乗せてくださいました。けいたろうさんが、塩を梅干しを入ったタッパーを持っていて、塩を一つまみ、いただきました。「頑張って下さい!」けいたろうさんの誠実な声が、聞こえました。

折り返しで、お母さんたちに会えた。ひとまず目標がクリアできて、気持ちが潤いました。お母さんからいただいたかりんとうを食べるのがもったいない気持ちになりつつ、もったいぶって口に運びました。
そのかりんとうの、美味しいこと。私がこれまで食べたかりんとうのなかで、一番に値する程の美味しさでした。
お母さんの愛情が、心が、そのかりんとうに蓄えられていたのだと思います。お母さんのハンドパワーを感じながら、一気に元気注入されました。けいたろうさんからもらった塩も、効果覿面でした。
折り返し直後は長い間下りで、幾分走りやすかったです。

○出会いがたくさん

後半でも、たくさんの出会いがありました。
20キロ地点を走っていると、後ろから40代くらいの男性の方が声を掛けてくださいました。その方の隣には20十代と思われる女性がいて、2人で参加している様子でした。

「この中学生についていこう! このペースだったら、完走できるだろう!」
私を親鮫にしよう、という話で、たまげました。一見、マラソン慣れしていそうな服装をされていたうえに、フルマラソン初心者の私に!? と思いました。三十路手前の私に、中学生というワードは驚きましたが、若返ったという点で嬉しい言葉でした。
「これは時速何キロペース?」と聞かれて、8キロペースで走っています、と掌のタイム表を見せて言いました。初めてであることを話すと、「目標はありますか?」と聞かれて、5時間30分は切りたいです。と話すと、「全然行けるよ。このままキープできたら、5時間切るんじゃないか? 完走は間違いないさ」と言ってくださいました。

その2人組の方とは、しばらく前後で走らせてもらって、私が心強かったです。
しばらくしていなくなった、と思いきや、背後から「中学生! また会いましたね、中学生! おい、やっぱりこの中学生についていこう!」

中学生に本当に見えるのだろうか、と思いつつ、やはり嬉しかったです。
しばらくしてその方とは離れたのですが、マラソン仲間ができました。

みんなの応援車が何回も通りました。「まなみちゃーーーん!!」
1人で走っていても、1人ではなくなりました。後ろからたくさんの仲間が、窓から顔を出して私の名前を呼んでくれました。
スポンジが手に入らない……どうしよう、とスポンジを求めていると、心の声が聞こえたかのように、まみちゃんが桃スポンジを手に応援してくれていて、すかさず受け取りました。
なのはなでも、スポンジを持参してくれていたことが救われました。

掌にかりんとうを置いてくれたみかちゃん。さとえちゃんとまよちゃんがくれたスポーツドリンク。さとえちゃんが封を破り掌に載せてくれた、塩飴。みんなの声、姿、気持ちが、私の走る活力になりました。
あゆちゃんがたくさん、写真を撮ってくれました。

カメラを構えてスタンバイするあゆちゃんが、どこかのスタントマンのようで、格好良かったです。カメラを首からぶら下げていた部分が日焼けをするくらい、私達の一瞬一瞬を見逃さないよう、細心の神経を使い、専念してくれました。
あゆちゃんのカメラワークのすごさを感じました。

両手を挙げてあゆちゃんに手を振りました。私は、風になったみたいでした。

○風になって

最後の最後は、足が自分の身体ではないような疲労感でした。35キロ地点からは、ピークを達して、あまり記憶にありません。覚えていることは、トイレに行きたくて必死だったこと、炭酸飲料で生き返ったこと、走っているのに、景色がなかなか変わらない、ということです。

バルーンが見える! あと7キロくらいだよ、なのはなコースを1回だね! バッタリ会ったりさちゃんとそう言って、また会おうね、と別れました。バルーンが見えたということは、ここからがクライマックス。走っても走ってもゴールが遠ざかる、という、あの道なりです。

予想はしていましたが、やはり、『あとちょっと』が全然ちょっとじゃなくて、困りました。残り五キロを切った頃、かなちゃんの後ろ姿が見えました。あの黄緑のハーフパンツは……かなちゃんだ! と思って、スピードを上げて猛ダッシュしました。最初から今まで一度も会ってないかなちゃんと会えたことが、嬉しかったです。

「もうすぐだね!」そう声を掛けると、「まなみちゃん、初めてですね!」と言ってくれて、一緒に走る仲間も、私の初めてのフルマラソンを応援してくれていると思うと、気持ちが強くなりました。
そこからは本当に本当に、長いです。『あと4キロ』が待てども3キロにならず、という感じに、焦れったい思いがしました。

最後の坂を登り切り、「ここが最後の給水所です」という声が聞こえました。最後の補給。もちろん、スポンジは勿論、その場にいたおじさんに水を頭からかけてもらい、私の靴下もTシャツも、大半は濡れていました。やけくそになっていました。

最後、グラウンドに入ると、足がものすごい速さで回転しました。自分でもビックリしました。体力、余ってたんかい、と自分で突っ込みたくなるくらい、走っていました。
グラウンド周辺では、りんねちゃんやななほちゃんが笑顔で迎えてくれました。あさみちゃんの涙に、もらい泣きしそうになりました。グラウンドをあと一周、というところで、最初に隣にいたひろこちゃんと再会しました。
ハイタッチをして、あとは真っ直ぐ、全力で行くだけ。私の足が、身体が、気持ちが、別の人間になっていました。
全身の力を出せました。力の出し惜しみをしたくない、と本気で思いました。全てを出し尽くしました。

○私の宝物

フルマラソンまでの過程も、当日も、私の宝物です。一生忘れません。
希望である人たちが、私を引っ張ってくれました。
お父さん、お母さんにも、感謝の気持ちでいっぱいです。

私は、本当に幸せでした。全身全霊で、なのはなの底力を、発揮しました。

まさか私がフルマラソンを走り切れるなんて、思いもしませんでした。次元が違う話だと思っていて、他人事でした。
あんなにボロボロだった私が、最後まで止まることなく、走り続けたこと。 低体重で、走ることはもちろん、生活のあらゆることが他人の力を借りないと全くできなかった私が、走り切れたのは、
みんながいてくれたから、今の私がいます。
なのはなに辿り着いていなかったら、と思うと、この感動は一生得られなかったと思います。
かけがえのない、フルマラソン大会です。そして、毎日走った過程も、宝です。

私が走る姿、フルマラソンを完走したことは、この先出会う人に、希望に映るのだろうと思います。私がみんなを見てそうだったから、きっとそうだと思います。
それは、すごく嬉しいことです。私は、走り切れたことも嬉しいけれど、この先誰かが、私の姿を見て、自分ももしかしたら、できるかもしれない。そう思ってもらい、一緒に走る仲間が作れるかもしれない。
そう思うと、それは革命だ、と思いました。これが本当の、誰かの為になる、ということなのかな、と思いました。

人の役に立てない、なんてことはないと思いました。色んな形の表現があると思いました。誰かの為に、走り続けたい。心の底から思いました。
そう思うと、足が、気持ちが、前へ前へと、ずんずん進みました。

痛みも疲れがあっても、へっちゃらでした。
痛さも、苦しさも、どうでも良かったです。今、とことん走り尽くしてやろう、今しか感じられないことを、見よう、感じよう、そう思って、色んな方向に視線を向けました。
見えるもの、聞こえる音、感じることが、全て新しかったです。

今回、10キロ地点に達した段階で、決心したことがあります。
70歳になるまで、走ることを楽しんでみようか、と思います。

道中、ご高齢の方々が元気に走る姿を見て、そう思いました。今の私が希望になるとするなら、年老いても希望となり続けたいです。
白髪交じりの腰が曲がったお婆ちゃんになっても、走っていたい、好きでいたい、と思いました。元気が取り柄の、おばあちゃんランナーになります。それが私のささやかな夢です。

●第27回津山加茂郷フルマラソン全国大会【感想文集】●

「みんなとの積み重ねが力に変わる」るりこ

「みんなとの宝物」まなみ

「自分ではないこと」まゆみ

「フルマラソンで学んだこと」まゆ

「夢の初舞台」まち

「まだ見ぬ誰かに繋げるフルマラソン」のりよ

「ミニマラソンを終えて」れいこ