お父さんが最後のあいさつで「なのはなの子たちはこの時代のカナリアなんです。」とおっしゃった時、涙があふれてきました。
一度は摂食障害という病気になり、大きな挫折を経験しながらも、なのはなファミリーでより良い社会を切り開いていく力をつけて自立していくのだという言葉を聞いて、なのはなの一員として舞台に立たせてもらえていることを誇りに感じました。
今日まで生きてきてよかった、なのはなに出会えてよかったと心から思いました。
私は今回、れいなという役を演じさせていただきました。
この時代の苦しさに危機感を感じ、生きにくさをかかえながらも、美しい理想を描く心を持った女の子です。
11月13日、昼食後のバンドとダンスの合わせ練習の後、お父さんが「脚本の前半が完成したので、今から読み合せをします。」とおっしゃいました。
その時、初めて配役も発表され、脚本をいただきました。
最後まで読み終える前に早速読み合せが始まりました。
初めに幕前でのセリフを読んだ時の胸の高鳴りは今でも忘れられません。
私は演劇が人生初挑戦でした。だから演じるということは全く未知の世界で、第一声を発するまではとても緊張していました。
でも、「ああ、楽しみでたまらない。ああ、早く、大きくなって……」とセリフを始めた途端に、楽しい、嬉しい、面白い…言葉では表せない満たされた気持ちになるのを感じました。演じるということの魅力を知りました。
自分ではない何者かになれる時間は、恥ずかしさも怖さもなくなって、解き放たれたような気持ちになりました。
今まで自分が、いかに受け身で生きてきたかを実感しました。
他人にどう思われているか、自分は変なのではないか、どうしてもそればかりが心配だったけれど、初めてそうではなくなった瞬間が確かにありました。
自分という人間を演じながら生きていく、これからの人生の大きなヒントをもらったような気がしました。
演劇練習は常に新しい発見の連続でした。
お父さんが舞台での立ち位置、立ち振る舞いにはあるべき姿があることを教えてくださいました。
だから自分たちで作るというよりは、一番いい答えを見つけていくということでした。
私は団長役のなおちゃん、ジーブス役のなおとさん、みちこ役のやよいちゃん、グルグル役のももちゃんの中で一緒に練習させてもらえたことがとても幸せでした。
やよいちゃんはいつもどんなことも自分のこととして、強い責任感をもって向かっていました。練習メニューを組んでくれたり、大道具や小道具も率先して指揮をとってくれました。やよいちゃんが引っ張っていってくれたから、一つの作品として劇を完成させることが出来たと思いました。
ももちゃんは持ち前のセンスで、広い視野で全体を見てくれて、的確にアドバイスをしてくれました。
ももちゃんの演じるグルグルの役からたくさん勉強させてもらいました。
演劇以外でも、私の気持ちにまで気を配ってくれて、ももちゃんの存在にいつも支えられました。
また、演劇係ののんちゃんの存在もとても大きかったです。
普段の練習で団長の代役をしてくれたり、前から客観的に見てアドバイスをくれたり、ずっと真剣に練習に付き合ってくれました。
まさにチームプレーで、全体のために惜しみなく力を尽くしてくれたのんちゃんの姿に気持ちを正されました。
なおとさんは同じく演劇初挑戦だったと思うのですが、日に日にジーブスになっていって、団長と息ぴったりで演じることを楽しんでいるように感じて、私も嬉しかったです。
知的でクールでありながら、団長思いでおちゃめな部分もあるジーブスの役が素敵でした。
そして、なおちゃんと一緒に演劇練習をさせてもらえた時間は私にとって宝物になりました。
なおちゃんは毎日夜遅くまで仕事で、平日はほとんど顔を合わせることはありません。
とても忙しくて、セリフを覚える時間すらないはずなのに、限られた練習の機会のたびに素敵なアイデアをたくさん出してくれて、なおちゃんの周りからどんどん劇が面白くなっていきました。今回の劇のラストシーンはなおちゃんの提案で、団長とジーブスが地球に残ってくれることになりました。
コンサートの前日までは、2人はレベル5に帰るというストーリーでしたが、地球に残ってハッピーエンドになりました。
最後に、団長さんが嬉しそうに「残念ながら、私たちはレベル5へは帰れないということか……」と言ったとき、私は演じていることも忘れて、思わず満面の笑みになってしまいました。
コンサートが始まる直前まで少しも妥協せず、よりよいものを目指して磨き続けた結果の象徴のようなシーンだったと思いました。
そんななかで、自分には何ができるんだろうと思うと、あまりの未熟さに悔しくなることもありあましたが、とにかく今できる精一杯で向かうことだけでした。
だから、せめてセリフは一番に覚えようと思いました。
そのシーンの練習までには必ず全部暗記して、台本は持たずに、できるだけみんなの中で吸収しようと思いました。
自分の分かる範囲で最大限に作りこんでいかないと、みんなの足元にも及ばないと思って、何度も何度も個人練習をしました。
2回目の通し練習ではほぼ一度も台本を見ずにやれたことは、個人的に自信になりました。
コンサートが近くなってくると毎日のように通し練習をさせていただきました。そこではまた新たな課題が見つかりました。
それは、約3時間半を集中力を切らさず表現し続けることの難しさです。
つい次の出番のことを考えてしまったりすると、自分が何を表現したいのかが曖昧になってしまいました。
ステージに立つからにはしっかりと意志をもって表現しないと、そこにいる資格がないと思いました。
だから、気持ちづくりにも工夫をしました。
シーンごとに、自分の体験を当てはめて、その時の気持ちを思い出してから演じるようにしました。
そうしていると、何だか今まで自分が苦しかったときのことも少し報われた気持ちになることがありました。
私は摂食障害になってから、まさに人間の心を失ってしまっていました。
自分の意志とはちがう何か恐ろしいものが体の中で暴れているようで、自分のことなのにどうにもできない情けなさで、生きていることが苦しかったです。
ちゃんと生きたいのに、それとは真逆の行動ばかりとってしまって、というか体が勝手にそんな風に動いてしまって、怖くてたまらなかったし、さみしかったです。
私を1人にしないで、と心の中で叫んでいました。
でも、そんな気持ちも味わってきたからこそ、表現できるものがあるはずだと感じました。
今なのはなファミリーでお父さんお母さんに出会えて、大切な仲間ができて、とても幸せです。
大きな安心に包まれて、心が満たされています。
みんながいたから、ステージで思い切り自分を表現することができました。
今回は一輪車の演出も入れていただいて、ダンスの中や劇中でもやらせていただきました。
特にオープニング曲の『ザ・グレイテストショー』の間奏部分でのパフォーマンスはとても印象に残っています。
金時太鼓さんとも共演して、出演者ほぼ全員での壮大なショーで一輪車をやらせていただくことは正直ものすごいプレッシャーがありました。
だから、とにかく一曲目を落車せずにやり切れたときには、コンサートの8割くらいやり切ったようなほっとした気持ちになりました。
コンサート1か月前から、夕方の当番の時間に一輪車の練習をさせてもらいました。
みんなのなかで時間をいただいて練習をしているからには、意味のある練習する義務があると思って、それが心の支えになりました。
1人で練習をするというのは怖かったです。
どんな気持ちでどんな練習をしてきたか、その過程を自分しか知らないというのはそわそわしてしまうような不安なことでした。
何度も誰かに保障を求めたくなりました。「それだけ練習したのなら大丈夫だよ。」と言ってほしいと思いました。
練習の質を一定に保つことの難しさも感じて、練習しながら涙がこぼれたこともありました。
でも、コンサートの日、自分で自分のやってきたことを信じてパフォーマンスができるように、ただそれだけを目指して積み重ねました。
緊張すると足が固まってしまって、本番は完璧だったとは言えないけれど、それも分かっていたうえで精一杯練習してきたので、満足感があったし、すがすがしい気持ちになりました。
また、こうやって一輪車をやらせていただけたことも、本当にみんなが支えてくれたお陰です。
体育館の床が滑るので、廊下掃除の人たちが毎日体育館の雑巾がけをしてくれました。
まなみちゃんがいつも気にかけてくれて、当たり前のように雑巾がけを呼び掛けてくれて、その気持ちがただただ嬉しかったです。もちろん他にもたくさんの人が助けてくれて、感謝の気持ちでいっぱいでした。
こんなに家族に大切にしてもらって、私はなんて幸せ者なんだろうと思いました。
1人じゃとてもできなかったけれど、袖幕からのコーラスの力強い声にも背中を押してもらって、ありがとうの気持ちだけでやりました。
このコンサートを通して、自分の責任を果たせたと感じられたことが一番大きな自信になりました。
私は摂食障害になって症状が悪くなっていく連れて、あらゆる責任を果たせなくなっていっていました。
高校生としてちゃんと学校に通って、勉強をして、部活をして……そういうことができなくなりました。
今度は、家族や仲間を大切にすることとか、人として当たり前のことができなくなりました。
そして、最後は自分のことすら大事にできなくなりました。もう何が何だか分からなくなって、自分を痛めつけていました。めちゃくちゃで、やけくそでした。
そんな私が、もう一度頑張ってみようと思えたのは、お父さんお母さんの存在があったからです。
なのはなファミリーに来たときは病気を治そうなんてこれっぽっちも思っていませんでした。生きることに希望なんてなかったからです。
ただ、家にはいられないほどひどかったので来ました。
でも、そんな私のことをなのはなのお父さんお母さんは信じてくれました。「お前が好きだ」と言ってくれました。その時、本当に救われた気持ちになりました。
もしかしたら、私は生きていてもいいのかもしれないと思えるようになりました。
じっくりと時間をかけながら信頼関係を築いていくという経験は初めてだったかもしれません。
ずっと待っていてくれて、ありのままの自分を受け入れてくれる人に出会えたことが何より幸せなことだと感じました。
また、私が回復への一歩を踏み出せたのは、スタッフさんをはじめ、なのはなで活躍しているみんなの存在があったからです。
同じ摂食障害で苦しんだ人が、こんな風にキラキラ輝いて、自分らしく生きているんだというのを間近で感じられたことに勇気と希望をもらいました。
ウィンターコンサートの日がちょうどなのはなに来て半年でした。
それはあっという間でもあり、ずっと昔からここにいるような気もします。
半年前、こうやってコンサートを迎えるなんて想像もつかなかったし、半年後、1年後、自分がどんな風になっているのかなんてまったくわかりません。
ただ、今の私は希望に満ちています。
ここまで支えてくれたすべての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
私は今幸せです。