「大切な時間」後半 あんな

→前半からの続きです。

■ホール入りしてから

ホール入りしてからは、神様会議をしたのは1度くらいかもしれません。
上手くできなかったとき、ホールから帰ってから、練習をしました。実際のホールのステージ上での練習も、なおちゃんたちと、多くさせてもらいました。

自分1人ではなく、七福神のみんなで一緒に、七福神をやっているから、一心同体のような気持ちでした。
それから、ドアを開けること、小道具のスタンバイ、どのように出てどこに座ってどこにはけるか、1人ではできなかったと思います。

ホール入りして3日間、みおちゃんも一緒に練習できました。みおちゃんは、仕事もあって、大変だったと思うし、もっと前から、もっとみおちゃんの身になって気にかけてあげればよかったと思い、後悔もあるのですが、本番の恵比寿さんはとても立派でした。

2日前だったと思いますが、お父さんが、恵比寿のみおちゃんの台詞を、みんなわかっているんだから、助けてあげなさい、ということを、七福神におっしゃいました。アドリブ的でもいいし、小声でも単語でもいいし、と言われて、本当にそうだったと思いました。

本番だったら、どんな手段を使ってでも、助けたと思いました。どこか、練習だから、という気持ちがあったと思いました。

小声で台詞を言ったときもあったけど、演者としての言い方ではありませんでした。あるいは、フリーズしたままぼんやりしてしまって、咄嗟に恵比寿の台詞がわからないこともありました。甘えだと思いました。そして、すごく、みおちゃんに冷たいことをしていたと思いました。

1回、1回がそのとき限りの本番で、真剣勝負なのだと思いました。お父さんお母さんも、おそらく、なおちゃんもやよいちゃんも、ももちゃんも、そういう気持ちでやっているのだと思いました。そこが、違うのだと思いました。情けなく、恥かしかったです。

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■積み上げてきたことが

本番では、ここまで七福神で積み上げてきたことが、表現できたと思います。何度も何度も合わせてる練習をした、俯くところ、顔を上げるところ、怒ってちょっとずつ動くところ、『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』のお上りさん風、『トゥトゥキ』の顔を覗かせるところ、どのシーンも、好きです。どういう状況なのか、どういう気持ちなのか、みんなで話して、お父さんお母さんに教えてもらって修正して、正しく知った上での動き、これまでの神様会議をして、何度も何度も練習して、毎日一緒に積み重ねてきた動きだから、意味がありました。

ここまで、七福神のみんなと居られた時間が、自分にとって大切な体験です。

なおちゃん、やよいちゃん、ももちゃんは、演技が際立っていました。あるべき品質をいつもしていました。

なおちゃんには、私は失礼なことばかりしてしまっていたのですが、いつも、どんなときも、人の心を大切に思ってくれていて、いい雰囲気になるように、心を砕いてくれているのを感じました。

尊敬の気持ちしかないです。私が、一緒にやっている人に、きつく出てしまったときも、気にかけてくれました。
なおちゃんと演劇をさせてもらえて、本当に嬉しかったし、幸せでした。

役者が集まってお父さんのお話を聞いたとき、
「気持ちにケジメがある人は、役を演じることができる。曖昧な人はできない。喜怒哀楽がはっきり深くある人は演じられる。やよい(ちゃん)にはそれがある」
というお父さんの言葉がありました。

やよいちゃんと練習させてもらっていて、とても、はっきりしているのを感じていました。これくらい、はっきりしてしまっていいんだな、と思いました。曖昧なまま濁してしまう、ということが、やよいちゃんにはありませんでした。

いろいろなことを考えて、遠慮したり、あるいは責任を取りきらずに、保留にしてしまう、放置してしまう、ということが、自分にはあると思いました。それを、なくしていこう、と思いました。勇気がないと思いました。潔いケジメを、はっきりとつけていこう、と思いました。

やよいちゃんは、とてもかっこよかったです。

ももちゃんは、いつも、気持ちを入れて演技していました。気持ちが入っていないと、やっている意味がないと、ももちゃんから教えてもらいました。私は、気持ちを使うのが、下手だと思いました。心が不自由、それは、すごく、おかしなことだと思いました。

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〈『トゥトゥキ』では曲の途中で七福神たちがドアから顔を覗かせる演出を考えました〉

■幕開け~『ザ・エクスタシー・オブ・ゴールド』

開演前、緞帳の内側で、スタンバイしているとき、お客さんのざわめきから、いよいよ本番なのだと思いました。
緞帳の向こう側から、なおちゃんの光太郎さんの口上の畏まった声が聞こえてきて、ああ、これがこのメンバーでこの劇をできる最後なんだな、と思いました。

幕が開くと、多くのお客さんが入場されていて、客席の1階席はほとんど埋まっていて、2階席にもお客さんが多く見えました。お客さんは好意的で暖かくステージを見てくださっていました。

かにちゃんが好きな曲なのだと、お母さんが話してくださいました。壮大で、物語の冒頭に相応しい曲でした。

『ザ・エクスタシー・オブ・ゴールド』では、トランペットの高音パートを、あやこちゃんと担当させてもらいました。
これまでにない高音で、高いシ~レの音がありました。これは、2人ともなかなか出せなくて、お父さんがみてくださって、2人で役割分担して、交代で2音ずつ吹いて、音が切れずに繋がるように吹こう、ということになりました。

ホール入りの少し前に、あやこちゃんが、「できれば2人で吹けたら嬉しい」、ということを言ってくれました。もし1人が失敗しても、1人は出せるかもしれないし、2人出せたら厚みと迫力になっていいし、ということです。

これまで、自分の担当のところを吹けたら安心してしまっていたのですが、俄然、頑張ろうという気になりました。
技量的には、達していたのだと思います。出ないのは、気持ちだったのではないかと思います。事実、ホール入りしてからは、毎回、高いレも、シも、出ました。

本番は、あやこちゃんを感じながら、吹きました。高い音は、責任感を持って、祈るような気持ちで吹きました。自分しか出す人がいない、というつもりで吹きました。少し外してしまったところもあったのですが、出すことができました。

本当はもっと高い質があったと思うけど、この曲に向かうなかで、自分のTPの幅を広げることができました。あやこちゃんとさせてもらえて、たくさん引っ張ってもらっていて、助けてもらいました。

■前半 

たまごを持った未来人女性のなるちゃんの切迫感のあるシーンから始まり、曲が終わるごとに、大きな拍手が聞こえました。
どのシーンも、それぞれ好きでした。

学校のシーンの、光太郎さん、雄二、康夫のキャラクターも、まゆこちゃんの教師役も、魅力的でした。

『カノホナピリカイ』のあと、弁財天の衣装に着替えて、ピンマイクをつけて、上手の舞台袖に行くと、大黒天のひろこちゃんが、いつものように、笑顔でウクレレを渡してくれました。
そのネックが、いつもの何倍も、温まっていました。きっと、七福神のみんなが、同じ気持ちだと思いました。いよいよだと思いました。

出囃子に乗ってステージに出て行くと、お客さんが注目してくれているのを感じました。

面白い存在、というのを思いました。劇のなかで、七福神がベターッと倒れるところとか、布袋さんがお腹を叩くところとか、客席が笑い声で沸いて、そのたびに、気持ちが乗りました。

数字の神業も、本当に驚いてくださっているのを感じて、神様になりきって、どうだ、という気持ちでした。お客さんが一緒にステージを作ってくださっていました。

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自分にとっての前半の山場は、神様がサイコロを振る人生ゲームのシーンでした。

弁財天がプリプリ怒るところで、何度も個人練習して臨みました。
「本番は、二十面体のサイコロで、せっかくだから大きい数字が出たらいいね」
と、なおちゃんたちと話していました。大黒さんが振った数は具体的には忘れてしまったのですが、そこそこの数だったと思います。

ちょうどよい位置に、駒を持っていくことができました。

光太郎さんが振ったときは、「20」が出ました。あとでなおちゃんの話のなかにあったように、「あっ」というなおちゃんの声が聞こえました。

駒を動かすとき、予想外に、会場が沸きました。
歩数と早口の升目の数が合っていなくて面白い状況になっていたのでした。会場がよい空気になっていることを感じ、嬉しかったです。

光太郎さんとえりこさんが50年後の日本に行くところで、前半の七福神の出番は終わり、老人のシーン、露天商のシーンが続きました。

ますみちゃんの老人のシーンも、のりよちゃん、もえちゃんの露天商の掛け合いのシーンも、とても好きでした。露天商のところは、回を重ねるごとに、どんどんリアルに、面白くなっていくのを感じていました。

本番から少し離れますが、演劇とか、ステージで役をするというのは、曖昧さをなくすこと、緻密に積み上げていくことなのだと思いました。ダンスを踊るのもそうだと思います。

立ち位置とか、あるべき形というのがあって、
「上手く演じるのではなくて、あるべき形を見つけていくと思ったほうがいい」
というお父さんの言葉がありました。

また、今になって思うのですが、弁財天について、自分には自分の弁財天しかできないのだろうなと思いました。(違っているかもしれないけど、)それでいいんだろうなと思いました。

それで、だんだん、しっくりしてきたんじゃないかと思います。まったく違う人間を無理にでも作ってするというより、なおちゃん、やよいちゃんや、ももちゃん、他の七福神のように、一体化、ということのように思いました。

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■『イエロー・ストーン』

ドラムアンサンブルの『イエローストーン』を、かにちゃん、ゆりかちゃん、りさちゃんと演奏させてもらいました。

かにちゃんが、コンサートで演奏することになったと言ってくれたとき、正直、嬉しかったです。
そして、かにちゃんが、夕方の5時~6時で毎日、4人で音楽室で練習をしようと言ってくれて、練習できたことも、嬉しかったです。

イエローストーンの1回目と2回目の間に、かにちゃんのソロが入りました。
かにちゃんは、どれだけ練習したのだろうと思いました。

スティックの反対側で叩いたり、交差させたり、打ち鳴らしたり、回転させたり、連打のなかで織り交ぜていて、音だけでなく、視覚でも見せるショウでした。かにちゃんの緊張感は、どれだけのものだろうと思いました。

私は、ドラムを叩くのが、純粋に楽しかったです。
それに、以前のコンサートでも演奏したのですが、そのとき以来、練習していないのに、上手く叩けるようになっているという不思議な現象が自分に起きていました。

でも、楽しいだけではいけなくて、厳しい面がありました。なかなか、4人でずれないで合うことが難しかったです。

それは、特に、私が、リズムキープができないことが大きかったと思います。メトロノームにあわせて叩くとはできても、みんなであわせるときに、いろいろな音とリズムのなかで叩くと、よくわからなくなってきてしまって、ずれました。
音源を聞くと、わかった気がしても、実際にすると、ずれました。もっと音源を聞き込めばよかったのかもしれません。

何度か、音楽室で、かなり合ったときがありました。そのときは、かにちゃんが、
「お互いの音を聞いて、あわせてやろう」
ということを言ってくれたときでした。

ホール入りしてからも、なかなか合いませんでした。それでいいはずがないとも、思っていました。

かにちゃんの緊張度と、自分とは、全然違う、と思いました。自分はどこかで諦めていたようにも思いました。許されるはずが無いと思いました。
リズム感がないにしても、神経を研ぎ澄ませて、祈る気持ちとか、絶対に外さないという気持ちがあれば、できるはずだと思いました。

ホールに入ってから、ドアの裏側で、何の曲だったか覚えていないのですが、もえちゃんがコンガを叩くのが見えたときがありました。誠実さを感じ、はっとするほど美しかったです。
きっと、何度も何度も祈る気持ちで、練習してきたのだろうと思いました。

前日の夜、メトロノームで練習しました。
本番は、冒頭部分からAは、りさちゃんのスティックの動きを見て、耳ではなく目で合わせました。合った、と思いました。

Bの、私が立つタム回しのところも、本当に神経を研ぎ澄ませて、かにちゃんの音を聴こうとしたら、聴けました。そして、最後まで乱れることなく、最後の一音まで合いました。

かにちゃんのドラムソロを挟んで、『イエローストーン(2回目)』は、緊張もほぐれてきて、神経は研ぎ澄ませたまま、音を聴きながら、思う存分に叩きました。

本番は、これまでで、一番、よくできたと思いました。
終わったとき、お客さんの拍手や口笛が大きく聞こえました。嬉しかったです。

 

■『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』

主人公たちがローマに行くときの曲で、七福神がお上りさん風に往復しました。それぞれのアイテムを携えて、七福神のみんなとローマを観光するのが、とても楽しかったです。

体育館で、お父さんが最初に先頭になってしてくれた恵比寿さんが指すポイントは変えずに、それぞれの神様だったらこうするだろう、というのをしながら作り込んでいきました。

布袋さんが写真を取ろうと言ってくれて、「ナイスアイディアだね」と、盛り上がりました。「神様はカメラを持っているんだろうか」とか、「神様だから何でも手に入るんじゃないか」とか言っていたのですが、結局、写真を撮ってよくて、集合写真はもっとぎゅっとなったほうがいいというお父さんの指導をいただきました。

最後のポンポン連鎖(前の人の方を次々叩いていく)が難しかったけど、そこも分解して、お父さんがアドバイスしてくださって、形にできました。

 

■『トゥトゥキ』~『テレへ』~『ハバネラ』~『テンション』

主人公たちがローマで処刑されそうになって、「七福神様ー!」と叫んで、『トゥトゥキ』になります。「『トゥトゥキ』のときに、七福神が登場したら面白いんじゃないか。ドアから顔をのぞかせたり」ということを神様会議で話していました。

お父さんは「いいねぇ」と言ってくれました。とても、嬉しかったです。曲のどこで出るか、どんな形で出るかというのを、きちんと決めて、実現しました。

『トゥトゥキ』のとき、七福神のみんなと、ドアの裏側でスタンバイしていて、息を合わせてドアを開けました。
可愛かったとか、よかったというお客さんの声があったと聞いて、嬉しかったです。

後半の七福神の山場は、『テレへ』のあとから『テンション』までで、話し合いの体形でフリーズしたり、書いた升目を見せたり内輪の拍手をして盛り上がったりするシーンです。

話し合いの体形になるために、はじめから後ろに座っておいたり、紙を持って出たり、最後に原発の升目を回収したり、上手はけだったりと、何かとややこしいシーンで、これまでの通しでは、全部が上手くいくことがなかったと思うし、毎回、緊張しました。
本番は、これまでで一番、スムーズに流れていきました。

■オリジナル曲

このコンサートでは、オリジナル曲の『シーズ』『ルナ』が演奏されました。

お父さんが作詞されて、お父さんやさとみちゃんが作曲した曲でした。この曲を、多くの人に聴いてもらいたい、と思いました。
ステージでは、エビ天のももちゃんが、歩いていました。すごく、曲に合っていました。

私は、『ルナ』を聴くと、涙が出てきます。この世界で、どれだけの苦しんでいる人がいるんだろうな、と思います。お父さんが、どう生きてきたか、それに触れたような気持ちになります。この曲を聴いて、どれだけの人が、どれほど救われるだろうと思います。

舞台袖から、あゆちゃんはじめ、バンドメンバーが、一音一音、大切に、心を使って、演奏している姿が見えました。

さとみちゃんの間奏や後奏のサックスが、この歌詞の気持ちそのものを現していると思いました。そういう旋律と演奏を作りだせることを、心から尊敬します。

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■ラスト~『アイ・サレンダー』

やよいちゃん(えりこさん)、なおちゃん(光太郎さん)、ももちゃん(エビ天さん)の演技は、魂がこもっていました。訴える力が、とても強いのを感じました。本番は、いつにも増して、そうでした。

「いいわ。そのためなら、生きていきたい」
『トゥーマッチ・ラブ・ウィル・キル・ユー』の前、拍手が起こりました。気持ちが同調して、えりこさんの台詞が、私の心に響きました。お客さんにも、強く届いたのだと思います。

「私、ここでサイコロを振り続ける、2回目の上がりが来る日まで。光太郎さんは、エビ天さんと、下界へ、降りて」
「そんなこと、できない」

「僕は、今度は、ここで真面目に働きます」
「いいことがあるたび、エビ天さんが、サイコロを振って、いい目を出してくれたって、思うからね」

この場面での七福神としての役割をしっかりと果たしたいと思いました。
天神様が出てくる最後のシーンは、会場全体が、張り詰めていました。

「エビ天さん、しっかりね。さあ、光太郎さん、行きましょう」
心を掴まれるような、言葉でした。

その言葉に乗せて、『アイ・サレンダー』を踊りました。役者の演技によって、気持ちが統一されました。
私は捧げます、そういう気持ちで踊りました。精一杯で訴えたい、全力で、そういう気持ちでした。私はこういうふうに生きていきます、そういう気持ちでした。

本番までに、積み重ねてきた練習の、ピークであり最後でした。今思うと、もっともっと上があったと思うけど、そのとき持てる全部でやりました。
客席からは、大きな拍手と、感動が伝わってきました。

■終演後

ロビーで、農産コーナーに立たせてもらいました。「よかったです」「素晴らしかったです」と、心からの笑顔で言ってくださる方、握手を求めてくださる方もいらっしゃいました。

中嶌さんと岡さんが、今年も、写真撮影に来てくださいました。

この日に向けて、卒業生のまみちゃん、大竹さんが来てくださって、ビデオ撮影を考えてくださったり、前日から当日は、大竹さんのお友達の正田さん、大野さんがカメラ撮影をしてくださいました。

片付けや準備のときには、何かできることはないかと、声をかけてテキパキと助けてくださり、暖かい気持ちをいただきました。
他にも、卒業生のみんなが来てくれて、当日の喫茶コーナーに入ってくれたり、明るい笑顔に会えたことも嬉しかったです。なのはなが多くの、よかれの気持ちでできていて、それが広がっているのだと思いました。

開演前と終演後に農産コーナーに立たせてもらっていても、お客さんの表情から、確実に、なのはなを知って応援してくださっている方が増えていることを感じました。

 

■コンサートを終えて

コンサートで感じたときの気持ちで、一生、生きていくのだと思いました。
一生、走り続けなければいけないのだと思いました。自分は、日常の生きる姿勢で、甘いところがたくさんあると思いました。

みんなはすぐに休みたがる、みんなは特に一度躓いたのだから、走り続けなければ依存に絡めとられるのだと教えてもらいました。

お父さんお母さんは、誰が可愛いとかでなく、役をもらったり外されたりというレベルではなく、一番いいように、今のなのはなで一番よいものができるにはどうしたらよいかと、考えている、それは神様でも同じだろうと話されました。

お父さんお母さんは必死でいいものを作りたいと思って、精一杯でやっている、お父さんお母さんと同じくらい心を砕いている人がいたら、コンサートはお父さんお母さんがいなくてもできるだろう。

そして、お父さんお母さんは、本当にみんなに気を使っていると話されました。拗ねないか、ふて腐れないか、と。

なおちゃんは、お父さんがいいものを作ってくれると信じていて、決して拗ねたりとかしないから、お父さんは遠慮なく何でも言える、なおちゃんは怒らない、それはどういう意味ですかと聞いてくる、みんなとなおちゃんのような関係を作ることができたら、どんなによいか、と話されました。

なおちゃんの日々、目立たなくてもコツコツと正しく生きていく姿勢を、神様がほうっておくわけがなくて、なおちゃんが受からなくて誰が受かるのだという話で、税理士試験に合格するのだというのは、本当にそうだろうなと思いました。

お父さんとお母さんに気を使わせません。真面目に、驕らずに、怠けずに、もっといい形があるんじゃないか、もっとよくなりたいと求めて、願いながら生きていきます。

日々の姿勢が、貯金されていくのだと教えてもらいました。
いつもスポットライトが当たっているわけではなく、なおちゃんのように、日々苦労していたら、何かあったあとで苦労するのではなく、ここぞというときに楽に越えられる。

お父さんは、どんなことも、信じて走り続ければできるとおっしゃいました。

みんながそういう気持ちで生きていったら、次のウインターコンサートは、今年よりもよいものができるということでした。

自分に足りないところ、変えるべきところは、ケジメのなさ、生きる姿勢の甘さ、曖昧さ、勇気のなさ、楽しない心持だと思いました。そして、私は、天神様の言葉にあった、1人を慎むことが、欠落していると思いました。

時間とか決まりとか守ることはきちっと守って、わからないことは曖昧にずるずる保留にしないできちっと解決させて、一度決めたことは逡巡しないで、積み重ねます。

心の貯金が減っていくことを、よしとしないで、次回のウインターコンサートで輝く表現ができるようでありたいです。