「大切な時間」前半 あんな

ウインターコンサートは大成功でした。

これまで、コンサートに向かってみんなと一緒に作り上げて、積み上げていくなかで、気づかせてもらったり、自分の足りなさを知ったり、嬉しい気持ちが、幾つもありました。

本番は、これで終わってしまうのかと思うと、切なく、大切な時間だと感じました。
やよいちゃん、なおちゃん、ももちゃんはじめ、他の役者のみんなのの台詞の1つひとつや、曲が、重みを持って心に響きました。

脚本は、お父さんが書かれて、その前に、なおちゃんが下調べや資料集めやアイデア出しをたくさんしてくれたと聞きました。
お父さんとお母さんが何度も喧嘩をしながら、あるべき脚本、これ以外にないという脚本を書いてくださいました。

脚本のテーマは少子化で、難しいテーマだと、お父さんが話されていました。
えりこさんと光太郎さんの出会いの物語と、エビ天さんの改心物語が2本筋になっていて、そこに七福神や、未来の日本、ローマ時代の物語が組み合わさったものでした。

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■脚本を読んで

脚本を読ませてもらったとき、とても面白く感じました。少子化という堅い問題を、こんなにリアルに、自分のこととして訴えることができるのだと思いました。

少子化が進んだ日本で、老人が奥さんの穴を掘っているところでは、少しぎょっとして、引き込まれました。

日本がニュージャポニカ州になり露天商をしている場面も、引き込まれました。古代ローマの場面も、ニューヨークのような都市だったこと、贅沢を尽くしていたこと、戦に負けた国の兵士が奴隷になっていたこと、など、自分の知らなかった新事実が多くあって、引き込まれました。

光太郎さん、えりこさんが、生き方を見つけていくことに希望を感じました。その、深刻ななかに、七福神がリアルに生き生きと動いていて、ものを喋っていたり、サイコロを振って人生ゲームをしているというのが、とても面白くてわくわくしました。
そのなかに、エビ天という悪い要素があって、魅力的でした。

11月末、初めての読み合わせのときは、見ていて、次の展開が楽しみで、時間があっという間でした。

主人公が、未来や、過去に行くごとに、いろいろなシーンがあって、様々な登場人物が、物語っていて、とてもわかりやすかったです。

古代ローマについて、(始めの頃の脚本にあったように)6時間以上も食べて続けていたり、人同士の格闘競技をしたり、戦車レースも犠牲者も多かったのだろうなと思いました。人の道に外れている、と思いました。滅びるのもわかる、という気がしました。

そのなかで、キリスト教が生まれたことや、人は幸せになりたいけど、これまでの人類の歴史のなかで、1回目の上がりに辿り着いたあとに、間違ったほうに進んでしまい、2回目の上がりまで、人類はこれまで誰も、辿り着く道が見つけられなかったのだということが、難しくなく、描かれていました。

こういう脚本を書かれる、お父さんお母さんは、本当にすごいなと改めて思いました。

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■七福神

私は、七福神のなかの弁財天をさせてもらいました。弁財天は、最後のほうまで誰がするか決まらなかった役でした。そのこともあって、当初、自分がさせてもらうことに、自分でいいんだろうかという思いがありました。

今思うと、いらない余計な気持ちだったかもしれません。とにかく、させてもらえるのだから、しっかりやりたいと思いました。
私は弁財天がどんな人格なのか、なかなか掴むことができませんでした。そもそも、神様だから人ではないのだし、考えるほどに難しくなってしまいました。

七福神のみんなとの練習を、毎日重ねました。はじめに、なおちゃんが一緒に作っていってくれました。七福神の動きを、自分たちなりに決めていきましたが、初めての通し練習のとき、面白くないことがわかりました。

お父さんお母さんが、どのような七福神を見ているのか、どんな効果を期待しているのか、それが私たちに見えていませんでした。

「七福神が重い、固い、暗い」
など教えてもらったと思います。

その頃の七福神のみんなの気持ちは、あまりまとまりがなかったと思うし、雰囲気もあまりよくなかったような、何と言うか沈んでいるような空気があったと思います。どうしたら良くなるのか、手探りでした。

面白い動きを考えて、漫画じみた動きをするのは、やりにくかったです。感情を入れないでやるのは、やっていて全然面白くなかったし、どんなに練習しても揃いませんでした。違うのだろうと思いました。

一緒に練習していた、エビ天役のももちゃんに、「気持ちが入ってないとやりにくい」ということを言ってもらうことがありました。
役になるというのが、全員ではないけど、それぞれ「難しい」と言っていました。

お母さんが、「あんまり固いから」ということで、ある日、七福神の落語を途中まで聞かせてくれました。その落語のなかで、七福神は、とても生き生きとして、人間くさくて、親しみやすい人格に描かれていて、驚いたと同時に、とても明るい気持ちになりました。

お父さん、お母さんが思い描いているものの片鱗が見えた気がしました。

七福神は、ステージの上に鎮座していて、その場の空気を大きく作る存在であること、ちょっとした動きで、深刻なことをやっていても明るくなったりする、ということなど、お父さんやお母さんに教えてもらいました。

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■神様会議

決めた動きを、一度壊すことにしました。
今度は、気持ち、感情を大事に、それぞれの神様になりきることを大事にして、練習をしました。

通し練習のときには、七福神はぼろぼろで、お父さんお母さんは脚本が面白くないのかもしれないがっかりされていて、危機感がありました。

「神様になりきって、話をしてみようか」

ある夜の練習のとき、第1回目の「神様会議」を開きました。それぞれの神様になりきって、話をしました。はじめはぎこちなかったのですが、布袋さんのますみちゃんが、それとなく、リードしてくれて、場に話を振ってくれました。

みんなの気持ちが解けて、空気が和やかに柔らかくなっていくのを感じました。その後のシーンごとの練習が、とてもやりやすくなりました。

その後、度々、七福神会議をしました。

2回目の神様会議では、それぞれの神様をどう思うかについて話すのはどうかと、布袋さんが提案してくれて、それをテーマに話しました。役を掴みかねている、私や、あやかちゃんや、ゆきなちゃんの悩みは、七福神の悩みとして、個人の困りではなくなりました。みんなで考え、思うことを言いました。

練習のときに、私は素の自分と、神様の自分の境界線が曖昧で、神様と生身の人間が混在していることも多かったり、ときによっては、全員神様から離れてしまっているときもあり、そういうときは、空気が固く、練習も上手くいっていないように感じました。そんなとき、神様会議を開くと、気持ちがまとまり、一体感が生まれるように感じたし、練習がやりやすくなり、やっていても楽しく思いました。

 

■お母さんのお話

あるとき、お母さんが、練習のときに来てくれて、話をしてくれました。

お母さんが幼稚園の頃、意地悪をされて悲しく思っていたとき、「あいつをやっつけようぜ」と、一緒に落とし穴を一生懸命作ってくれた子たちが居たこと、お母さんは苛められたことなんかどうでもよくなったこと、一緒に落とし穴を作ってくれた子たちは、それきり会ってもいないけど、きっと自分の芯を持ってちゃんと生きていると確信している、ということ、七福神のみんなも、そういうふうであってほしい、というようなお話でした。

「えつこちゃんがゆきなちゃんをフォローしたように、そしてゆきなちゃんがすっと自然に助けてもらったように、七福神一体となって、七福神になってほしい」

私は、七福神のなかで、表情が固いと教えてもらいました。まだ、役になりきれていませんでした。「まだ、自分でどうにかしなきゃと思っているんだと思うよ」と教えてもらいました。

「七福神のみんなといるときには、自然なのに、みんなの前に出ると、お父さんお母さんみんなにどう見られているかをすごく気にしている、間違えたら、あッというのが表情に出る、そういうのをやめたほうがいいと思う」

確かに、そうだと思いました。すごく、見ていて恥ずかしくなるような感じになっているのかもしれない、と思いました。自分のこと、自分がどう見えるかを気にしているのだと思いました。

それぞれの神様がどういう性格なのかという資料を、なおちゃんが渡してくれて、みんなで読んだりしていました。

弁財天は、「華がある、芸術的、音楽的センスに優れていて、知らないうちに鼻歌を歌っていたりする。優しいところがあって、細やかな気遣いができる」とあり、自分のキャラクターとかけ離れてしまっているように思えて、掴み難いところもありました。

その夜も、神様会議をしました。私や、あやかちゃんのことを、ますみちゃんが、神様の1人ひとりに、例えば、弁財天さんとあんなという人のキャラクターをどう思うかということなど聞いてくれて、みんながそれぞれ、「弁財天さんは、強気じゃなかろうか」「芸術方面や優しさは桃に変換したらどうじゃろ」など、言ってくれました。ああ、自分にはこんないい仲間がいるんだ、と思いました。

自分も、いい仲間でありたいと思いました。

その頃の神様会議では、主に、そのシーンはどういう状況で、どんな気持ちでいるのか、を話して、動き場所や、動き方を決めていきました。

ますみちゃんは、気持ちをとても大切にしていました。確かに、気持ちがないと、浮ついてしまって、しっくりこなくて、演じることができないと思いました。えつこちゃんは、限られた時間のなかで、何度も練習したいと言ってくれました。その時間配分が、難しく思いました。

 

■お父さんの言葉

その後の通し練習のとき、リニューアルした七福神は、それぞれの神様になりきって、それぞれの反応を、この神様だったらこういう反応をするだろうというのを、お喋りや身振りでしました。通し前の練習では、ももちゃんが、「面白い!」と喜んでくれていました。

全体の通しでは、
「七福神が動きすぎると、雑味になる。固まってて」
ということを、お父さんに教えてもらいました。

固まっているところと、動くところのメリハリが大事なのだと教えてもらいました。確かに、そのときには、かっちりしたところがなく、ぐずぐずになってしまっていました。

その日の全体での通し練習のあとだったと思うのですが、お父さんお母さんは、全体が「面白くない」とおっしゃいました。
こう動いてほしいというのと全然違う動きをされる、お父さんは、脚本を書くのを精一杯でやっているのだ、だからみんなも精一杯やってほしいとおっしゃいました。

七福神がしっかりしないことが、大きな要素になっていると思いました。すごく申し訳ないことをしていると思いました。お仕事組みで恵比寿役のみおちゃんにも、伝えられていないことが多くありました。誰かが伝えてくれているんじゃないかという人任せな気持ちだったり、通しの前の、1回の通しに臨むときの、真剣さが、足りなかったと思いました。

その日の夜、どのような解釈をしたらよいのか、校長室で、光太郎役のなおちゃん、えりこ役のやよいちゃん、エビ天役のももちゃん、七福神のみんなで、お父さんお母さんに教えてもらいました。

そのとき、どんな小さな疑問質問にも、お父さんは答えてくださいました。そして、七福神が、どのような存在で、劇なかでどのような役割をしているのか、はっきりしていきました。

間違った解釈、浅い解釈をしているところもありました。例えば、サイコロを振るシーンでは、神様会議で「自分たちのせいで日本が滅んでしまうかもしれないとても深刻な状況」と位置づけて、全員が、できる限り深刻な気持ちと面持ちでしていたのですが、「神様は達観していて究極のところ何がどうでもいいと思っている」のだと教えてもらいました。

「神様は上の空で生きているから、生身の人間と同じように深刻になってはいけない」

「人生ゲームは、ゲームだから真剣になる。面白がっている。真剣なんだけど軽さがあっていい」

「七福神は、楽観的さが土台にあって、こだわってない」

「ひょうきん、噛み合っているような噛み合ってないような、時代遅れとわかっているけどわかってないような」

神様というのはどういう存在なのか、とても難しく思っていて、生身の神様になってしまっていたと思いました。もっと、明るく、楽観的に、面白い存在でなければいけないのだと思いました。

また、このとき、弁財天について、
「ステージ上で身の置き所に困ってしまっている、消えてしまいたいという感じになってしまっている。弁財天になったり、生身の自分になったりしている」
ということを、お父さんに教えてもらいました。

間違っていてもいいから、没頭しようと思いました。自分になってしまうから、恥かしさがあるのだと思いました。それは、ステージ上では見苦しいだけです。こういう機会に、そのように、ステージで、堂堂とできないような、自分の人間性が暴かれてしまうのだ、と思いました。

■メリハリをつけて

翌日は、ぐずぐずになりすぎた七福神の、固まるところと動くところのメリハリをつけて、動きを確定していきました。これは、お父さんが演技指導をしてくださって、動いていいところ、固まっているべきところなど、教えてもらいました。表情も消すことを教えてもらいました。

「神様は、透明で、透けてしまっているような存在で、時々、動くときだけ人間ぽくなるけど、あとはオブジェになっている」
「ガラスのような透明さ」

できるだけ、透明に、存在を消して、微動だにしないで、表情も消して、達観した気持ちで固まるように、神様の気持ちになって、固まりました。

動きも間違いも、修正してもらいました。あるべき形に、近づいていくのを感じました。動きが確定したら、それを精度高くする練習を積んでいきました。

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少しあとの神様会議で、
「弁財天さん、毘沙門天さん(あやかちゃん)、どうじゃ?(役について)」
と布袋さんが聞いてくれました。

「私はおかげさまで、だいぶ、しっくり来たのよ」
と答えました。七福神のみんなのなかで、弁財天のキャラクターが、自分のなかで、はっきりくっきりしてきていました。毘沙門天さんは、
「もう、迷ってる間はないからの。やっていくなかで作っていくだけじゃと思うとる」
と話してくれました。

大黒天さんは、「弁財天さん、このごろ、表情がよくなったのう」など、しみじみ言ってくれました。時々、「私、全然、演じてないだけど、大丈夫かな?」というますみちゃんは、いつも布袋さんそのものでした。

えつこちゃんの福禄寿さん、ゆきなちゃんの寿老人さんも、お母さんが言ったように、ぴったりでした。ひろこちゃんは毘沙門天になっても、大黒天になっても、なりきっていて、本当に男の神様に見えていました。

七福神のみんなで時間を重ねるごとに、気持ちがまとまり深まっていくのを感じました。

素の○○ちゃん同士でいるより、神様になっているときのほうが、居やすかったです。お互いに、言いたいことを、言うことができました。

ここはどう思うかと、言い合って、「それはよいのう」「素晴らしいわ」など、みんなで手を叩いて喜んだり、「ここはこうしたらどうかと思うんじゃが、どうかの?」と考えたり、ときには「弁財天が怒るところ、ちょっと見てほしいの」と言って見てもらって「弁財天さんらしい!」「怒った感じがでとる」など言ってもらって自信が持てたり、神様の自己紹介のところで変化をつける動きを考えたときは「寿老人さんは髭を撫でたらどうじゃろう」と「それはいいわ!長く生きている感じよ」など盛り上がったり、心から喜んだり、笑ったりすることが増えました。

ホール入りも目前になったある日、1日中、シーンの練習をしているとき、夜になるとみんなの集中力が切れてしまって、簡単な間違いが多くなりました。

「久しぶりに七福神会議をしようか」
ということを言って、何日かぶりで、みんなで輪になりました。そのとき、すごく、心がほっとして、安らぐのを感じました。それは、みんなも同じだったと思います。

誰からともなく、輪の中心に手を出して、それにみんなが手を重ね、
「七福神、オー!」
と言いました。コンサートまでかもしれないけど、今、こうして仲間でいられること一緒にいられることが幸せでした。

 

→後半へ続きます。