「生まれてきて良かった」 るりこ

――「大成功だったよ」
幕が降り、そうお父さんが笑ってくれたとき、大きな安心と笑顔でいっぱいになりました。そして、
「今のメンバーでできるのは、最初で最後だからね」
というお母さんの言葉が、頭をよぎりました。コンサート練習が始まるころに、お母さんが話してくれたことです。

やろうと思ったら、いつでもやれる訳では無くて、今しかできないコンサート。
今いるメンバーの一部となって、お父さん、お母さん、みんなのなかで臨んだ、2017年なのはなファミリーウインターコンサートは、本番当日もそれまでの過程も、全てが大切な大切な宝物になりました。

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「楽しかった」という言葉でまとめるのは、あまりにも浅すぎます。
でも、コンサートを通して感じた気持ちは、これから先もずっと忘れないで生きていきたいです。

表現をすることの楽しさと喜び、そして全身で感じた興奮。
エビ天のセリフを借りれば、「生まれてきて良かった」と思いました。

摂食障害になったことは、自分の人生にとって大きな傷、マイナスなことではなく、なのはなファミリーに、今この瞬間に繋がっていたのだと思うと、わたしは摂食障害になって良かったと思えました。

この先もずっとずっと、なのはなファミリーの一人としての誇りを持って、同じ志を持つ仲間と共に、良い世の中を、これ以上苦しむ人が出てこない世の中を広げていく一人となっていきたいです。
そのために、日々精進していきます。

今感じるこの気持ち、感情を、一生ずっと忘れないでおきます。
コンサート一夜限りの気持ちで終わらせないで、今の気持ちをいつも持ちながら、これからを生きていきたいです。

■コンサートまでの過程

コンサートまでの過程も、本番当日も、わたしにとって流れるように過ぎていきました。
実行委員のあゆちゃんやあゆみちゃんたちが、毎週ごとにテーマを設けてくれて、それを意識しながら、みんなと練習をしていく時間が本当に楽しかったです。

大勢ダンスの『アイ・サレンダー』は、のんちゃんが振り入れをしてくれて、振りが少しずつ身体に入っていき、みんなと高いものを目指して、形作っていきました。わからないことをみんなで共有し合い、少しずつ良くなっていきました。

今回、あゆちゃんが”バディ”というチーム制で、個人練習をすることを提案してくれて、わたしは、まりのちゃん、ゆきなちゃんとバディを組ませてもらって、毎晩ダンス練習をしました。一人で練習しても、曖昧さが残ってしまうことが多かったものが、まりのちゃんが細かいところまで教えてくれたり、自分の誤った部分を教えてくれるので、日々少しずつ積み重なっていくことが感じられて、嬉しかったです。
まりのちゃんのコンサートに向かう真摯な姿に、いつも気持ちが正される思いでした。

看板係、喫茶係、小道具係として活動させてもらった時間は、勉強になることばかりでした。
大看板の製作で大きな失敗をしてしまったこと。ビニール張りの詰めが甘くて、設置後すぐに、水が入ってしまいました。

お父さんから、「詰めが甘いんだよ」と指摘を受けました。責任を負うことを誰かに任せてしまう気持ち、とにかく目の前のことだけしか見えていなく、先を読んだ行動ができていない自分を痛感しました。そういった手の抜きと甘さが、ダンス、コーラス、楽器練習、日々の生活でもたくさん見受けられると思いました。

そのことはコンサートの次の日に、お父さんが話してくれたことと、大きく重なるのを感じました。

「自分自身に対して、周囲に対して、疑問を持たなさすぎる。
わからないのにそれを調べたり、聞こうとしたりしないで、みんなが上がるときに、自分も一緒に上がれるような気持ちでいるかもしれないけれど、それは大間違いです。

日々の生活で、コツコツ苦労を積み重ねてきた人は、大きな壁に当たっても、難なく乗り越えられることができるけれど、普段手を抜いていた人は、大きな壁に当たったとき、とても苦労することになります」

今の自分自身のことだと思いました。日常の甘さ、これくらいで良いだろうという気持ちが、こういう場で失敗に繋がってしまったのだと思いました。

喫茶係としては、もえちゃん、ゆきなちゃん、よしちゃんと、喫茶で売るケーキやクッキーを作らせてもらいました。リーダーをしてくれるもえちゃんの姿勢から、食材を扱う者として、気持ちの甘さを持っていたり、手が遅いといけないということを、何度も教えてもらっていたように感じます。もえちゃんが引っ張ってくれて、作業中はいつも真剣な空気が流れていたけれど、完成したときに感じる喜びを、みんなと共感させてもらえることがとても嬉しかったです。

たくさんの作業に加わらせてもらって、初めての経験がたくさんありました。間違ってばかりの自分でしたが、いつもみんなが助けてくれて、最後まで一緒になって考えてくれて、みんなの優しさや心強さを何度も感じました。
改めて、自分1人では何もできないけれど、みんなに支えてもらっていて、今を生かされているのだと知りました。

■伝える

コンサートの過程で、体育館で通しをしたときのことを、忘れないでおきたいです。
衣装を着ながらの通しでした。そのとき、コンサートに向かう自分たちの気持ちが甘すぎて、衣装の着方も、コーラスの振りもいい加減で、お父さんから強く叱られました。

「できない人には言わないけれど、みんなはできるのにやらないから、怒るんだ」

コンサートが近いというのに、本気になって向かうことができていませんでした。

「みんな、自分たちが苦しかった気持ち、いつ死んでもおかしくない状況だったことを、忘れてしまっていないかい?
たった今、摂食障害で苦しんでいる子たちがたくさんいるんだよ。先人の先輩たちが残してくれたものを、次は自分たちが、まだ見ぬ誰かに繋げていこうよ」

お母さんの言葉を聞いたとき、涙が止まりませんでした。
わたしは、症状が治まり、自分自身が楽になったことで、あの苦しみを忘れてしまったいたと思いました。

わたしは、なのはなファミリーに来て、お父さんとお母さんに命を助けてもらったのだから、今度は自分が、次の人まだ見ぬ誰かに、生きる希望を伝えていかなければならないのだと思いました。
ちゃんと脚本を読み込んで、本当に自分たちが伝えたいことがしっかり伝わるコンサートにしていきたいと思いました。

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■幕が開いて

幕開け20分前。わたしは、1曲目の『ザ・エクスタシー・オブ・ゴールド』の立ち位置につきました。緞帳を通して、観客席側では、ざわざわとお客さんがたくさん来て下さっているのを感じていました。

でもなぜか、全く緊張はしていませんでした。ホール入りをしてからも、何度も通し稽古をさせてもらっていたことが、緊張を感じさせない大きな要因だったと思います。今日もまた、通し稽古が始まるんだという感じでした。

コンサート当日の日が来るのが信じられないような、でも確かにやって来たんだという、冷静な自分もいました。
そして今、大勢の仲間とこの日を無事に迎えられたことが、本当に良かったと思いました。

――「あと、5分だよ」
時折タイムコールをしてくれるお父さんの声が聞こえる度に、(絶対に大丈夫だ)と気持ちが定まっていくのを感じました。
待機をしているとき、誰一人言葉を発しませんでした。みんながそれぞれの思いをもって、でも向かっているところは一つなんだということを感じました。
わたしもなのはなファミリーの一人として、自分の役割を全力で果たしたいと思いました。

「ブー」という開始ブザーの音で、なおちゃんのセリフが始まりました。
緞帳が上がった瞬間、席いっぱいに大勢のお客さんが座っていて、照明の明かりでぼんやりとだけれど、たくさんの目線がステージ一点に集中しているのを感じました。
でも全く雑音はなくて、息づかいが聞こえそうなくらい静かな空気に、さっきまでは感じていなかった緊張が、どわっと押し寄せてきました。フルートを持つ手が揺れて、口も震えました。

とにかくかにちゃんの指揮に集中しようと思って、演奏に集中しました。少しずつ感覚が戻ってきたと思ったときには、あっという間に曲が終わりました。次の瞬間、観客席から大きな拍手が湧き上がりました。

初めて大勢のお客さんの前で披露する、全体演奏の『エクスタシー・オブ・ゴールド』。
練習時間は決して多かったわけではないけれど、みんなの力があって、全体として上手くいったのだと思いました。

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■“康夫”として

今回のステージで、わたしは、主人公光太郎の友人の1人、”康夫”の配役をいただきました。初めての役者に喜びもあったけれど、それ以上の難しさもありました。
初めて立ち稽古をしたときは、あゆちゃんに見てもらいました。あゆちゃんは、康夫がどういう人物なのか、どういう性格なのかを、深いところまでイメージをしていて、それをわたしにアドバイスしてくれました。
その上で、自分が気がついていなかった癖や、動きを指摘してくれました。

「自分から離れて、役を演じる」よくお父さんが教えてくれることです。ステージに立つときだけでなく、日頃から、何かしらの役を演じて生活をすること。
改めて、普段の生活に向かう心持ちがしっかりできていないと、いざ役を演じようと思っても、それは難しいことなのだとわかりました。

また、お父さんが書いて下さる脚本の、セリフ一つひとつに込められた意味を解釈していないと、ただ文を暗記して発したところで、そのセリフに伝える力は何もないこともわかりました。
本当に自分が心からそう思っていないと、語尾が曖昧になってしまったり、上げないといけないところが下がってしまいます。

自分の浅さ、幅の狭さを感じました。
でも通しをする度に、康夫を演じることが楽しくなっていくのを感じました。
本番では、いつも以上に動きが小さくなってしまい、自分のなかでは納得がいかなかったけれど、初めての経験は、自分にとって大きな財産となりました。

舞台袖から出を待っていたり、劇を見ていると、終始会場から笑い声が起きるのが聞こえてきました。演奏が終わるたびに、大きな拍手と、口笛のような音も聞こえてきました。

この会場にいる全員のお客さんが、なのはなのステージを楽しんで下さっていて、会場が一体となって、このコンサートをつくっているという言葉がぴったりだと思いました。

わたし自身、ダンスを踊っていても、コーラスを歌っていても、本当に楽しくて、堂々とステージに立つことができました。
アルトのコーラスで、最後まで課題だったコーラスの振りも、その日初めて、全員がシンクロしたように感じました。

みんなの勢いにのって、気がつくと前半のラスト曲『ファイト・ソング』に入っていました。
今まで感じたことのない、表現をすることの楽しさ。

ダンスを踊ることも、歌を歌うことも、人前に出ることも、大嫌いで苦手だったはずなのに、なのはなに来たことで、新しい自分に出会い、初めての感情を味わうことができました。

そして周りには、同じように笑顔で楽しんでいるみんながいて、心の底から、(最高の時間。なのはなに来ることができて、本当によかった)と思いました。

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今回の脚本で、一番心に残っている場面が、やはりラストシーンです。
光太郎とえりこ、そしてエビ天の別れの場面。

今回のテーマは「少子化」だったけれど、もう一つ、なのはなのテーマである「親離れ」のシーンでもありました。
えりこ役を演じたやよいちゃん、エビ天役を演じたももちゃんが発するセリフには、どれも強い意志が感じられて、2人が全身で表現していることが伝わってきました。

光太郎役のなおちゃん、やよいちゃん、ももちゃんから力をもらって、最後の曲『アイ・サレンダー』の立ち位置につき、しゃがみ込んだとき、今までの過程と思いが、頭のなかを駆け巡りました。そして、身体全身に鳥肌が立ちました。

苦しかったこと、大変だったこともあったけれど、全てが今この瞬間に繋がっていたんだと思いました。上手く言葉にできないけれど、初めて感じる興奮に、心の底から(生まれてきて良かった。この場にいられて良かった)と思いました。

お父さんお母さん、みんなのなかで、コンサートを迎えさせてもらえたことが、本当に幸せだと思いました。

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コンサート次の日の集合で、お父さんが話をしてくれました。
1年後、どういう姿でありたいか。それは、全てがこれからの日々の生活態度で変わってくると話してくれました。

日々の生活を怠らない、手を抜かないこと。怒ったり、いじけたしないで、いつも素直でいること。
地道にコツコツ積み重ねていった人は、絶対に神様がそれに見合ったものを返してくれること。

やるときはやる、楽しむときは楽しむ、休むときは休む。そういうケジメをしっかりつけて生活すること。
いつも全力で走り続けること、自分の精一杯で過ごすこと。

あの人は何でもできていいなと思う気持ちを持つことは間違っていて、自分もそうなりたいのなら、それに見合う努力をしていくべきだと話してくれました。

改めて、今のままではいけない、心持ち、姿勢を変えていく必要があると思いました。
コンサートに向かう自分自身の姿勢は、甘かったと思います。まぁどうにかなるだろうという、甘えた気持ちがうっすらとあったり、責任を負うことから逃げていたと思います。
そのときは全力でやっていたつもりだったけれど、きっともっと上があったはずです。

コンサートを通して学んだこと、見つかった課題を、これからの生活に活かして、日々精進してきたいです。なのはなファミリーの一人として、世の中を変える一人として、まだ見ぬ誰かの希望となる存在になっていくためにも、今のこの気持ちを忘れないで、生きていきます。
本当に本当に、ありがとうございました。